阿含宗という宗教214
- このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
議論スレ:「阿含宗と桐山氏について」(したらば)
http://jbbs.livedoor.jp/internet/3419/
議論スレ:「agama@chs-1」
http://jbbs.livedoor.jp/internet/6441/
考察資料の総合案内「agama考察室」
http://agama.zouri.jp/index.htm
テーマ別の阿含宗批判「agama galage」
http://agon.konjiki.jp/
過去ログ倉庫:「阿含宗という宗教」
http://souko.digi2.jp/
過去ログ倉庫:ザビビ「阿含宗と桐山氏について」
http://agama.ehoh.net/kakoindexthebbs.html
阿含経の分析や研究に 「agama 研究室」(アーガマ 研究室)
http://agon.genin.jp/
退会について考えたり相談できるサイト 「agon secession club」 略称ASC
http://agama.22web.net/
- >>1 無関係さん
スレ立をありがとうございます。
様々な規制にひっかかり、立てられませんでした。
- >612 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:45:52.88 ID:B0NBWNpu
>用語で引っかかるのか、いちゃもん(下品ですね)を付けているのか
>心中は判らないけど、桐山氏が宗教家として世間に出た時代は、因縁なる
>宗教用語は、世人に容易に理解しやすかったのでしょう。
桐山さんのしていることが正しいとおっしゃりたいのですか。
逆に聞くが、桐山さんがその悪因縁をズバリ的中させたという
事例をあなたは知っていますか。
私は知らない。
あなたが出した事例のように、夫の浮気で苦しんでいる妻に
色情の因縁の話をするのを、後出しヂャンケンと言います。
桐山さんが因縁診断で使った詐欺手法です。
桐山さんが宗教家として出た時、因縁が世人にわかりやすかったか
どうかは議論しないとしても、その使い方が誤りなのだから正すべきです。
ましてや、阿含経を依経とする正しい仏教教団を自称するなら、因縁(縁起)と
いう仏教の基本中の基本の用語の意味が違っていたら、話にならない。
ダイヤモンドと称して「うちの店ではダイヤとはガラスのことだ」と売ったら
下品どころか、詐欺です。
アゴン宗も同様で、宗教詐欺です。
- >612 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:45:52.88 ID:B0NBWNpu
>用語で引っかかるのか、いちゃもん(下品ですね)を付けているのか
いちゃもんをつけているのではありません。
因縁という仏教用語を誤った使い方をしていると指摘しているのです。
悪因縁こそがアゴン宗教義の柱です。
しかも、桐山さんは、仏教の解脱とは因縁解脱だと主張している。
解脱という仏教の根幹に関わる話です。
それが間違っていると指摘することがどうしていちゃもんをつけたことになるのですか。
アゴン宗は仏教にはありもしない因縁切りや因縁解脱を
釈尊が説いた解脱だと世間に宣伝しているのだから、
それを嘘デタラメだと指摘するのは当たり前です。
因縁切りや因縁解脱が仏教にあるというなら、あなたが示してみればいいではないか。
できもせずに、こんな簡単な指摘を理解しようとしないあなたこそ
いちゃもんを付けており、それは下品というよりも下劣です。
- >612 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:45:52.88 ID:B0NBWNpu
>身体に刺さった矢を抜くのが先決であるのです。
いいえ、あなたの説は詭弁であり、間違いです。
なぜなら、毒矢の意味が仏教のそれとは違うからです。
釈尊のいう毒矢とは煩悩のことです。
だが、桐山さんやあなたのいう毒矢とは悪因縁という
運命の星のことですよね。
釈尊のたとえを拝借しながら、中身をすり替えてしまうのは悪質です。
釈尊はまず苦を説き、苦の元を示し、苦の元を取り去る方法を説いた。
苦の元こそが毒矢であり、これを他の物にすり替えたら、
仏教の毒矢のたとえは成り立たないのです。
成り立たないというよりも、誤魔化しであり、誤った道を歩ませる。
釈尊は煩悩こそが毒であると言っているのに、
桐山さんは悪因縁こそが毒であると言っている。
桐山さんは毒の中身すらすり替えて、人々を脅かし、効きもしない偽薬を売っている。
こういうのを詐欺宗教というのです。
- >605 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:05:31.90 ID:YXWQ/4ZY
>僭越でありながらお答えすると、悪因縁とは苦と苦の原因(因縁)のことであり、
>それは「煩悩・業・苦」=悪因縁であるわけです。
>で、阿含経では「悟りを滅とか解脱と表現して、悟りは縁起の滅した世界」と
甚だしく僭越であり、アゴン宗の教義としては真っ赤な嘘です。
「「煩悩・業・苦」=悪因縁」などという教義はありません。
すでに何度も『修行者座右宝鑑』から引用して示しているように、
アゴン宗では悪因縁と煩悩とは別です。
悪因縁は運命や身体に出るものであり、煩悩は心の因縁といって、
性癖などに現れるとされ、心の因縁が悪因縁を作る元となっています。
両者は密接に関係しているが、別物です。
私から何年にもわたりこれを反論されても、準シュダオンさんは
完全無視して、これを書き並べている。
アゴン宗の教義でないことをしつこく教義だと嘘を書いているのですから、
非常に悪質であり、アゴン宗への営業妨害です。
また桐山さんは「悟りは縁起の滅した世界」などとは言っていません。
信者さんたちはくれぐれもこういう準シュダオンさんの
「自分教」を鵜呑みにしないで、『修行者座右宝鑑』をしっかりと読んで学んでください。
- >605 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:05:31.90 ID:YXWQ/4ZY
>また、「因縁解脱は、阿含経のどこにあるのか?」という質問ですが、それは
>阿含経のいたるところで説かれている、としか申し上げられません。
これも嘘です。
阿含経には因縁も解脱もありますが、因縁解脱など言葉も概念もありません。
桐山さんも準シュダオンさんも根拠となる阿含経を出したことができない。
今回も準シュダオンさんは「ある」と口先でいうだけで、出せない。
彼はこういう口先の嘘を平気でいう卑しい人間です。
準シュダオンさんですら出せないというこの現実を信者さんたちは良く見てほしい。
彼が因縁解脱の根拠として出したのが岩波仏教辞典の「縁起の滅した世界」という一文です。
阿含経から探しだせないから、仏教辞典の解説を曲解して主張するしか手がないのです。
阿含経にあるなら、こんな変なことをしなくても、阿含経を引用して見せればいいだけです。
だが、もちろん無いから示せない。
この準シュダオンさんの縁起滅の苦し紛れの詭弁こそが、
阿含経には因縁解脱などないことの何より証拠です。
- >606 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:09:56.46 ID:YXWQ/4ZY
>それは桐山管長の解釈です。
>607 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:13:40.85 ID:YXWQ/4ZY
>これも管長の説であり、阿含経に書いてあるとは言っていませんよ、たぶん。
悪因縁は先祖の霊障が原因だとか、子孫に悪影響を与えている、という
根拠は阿含経のどこにあるのかという質問に、準シュダオンさんは、
それは桐山説であって、阿含経にはないと答えた。
606-607の準シュダオンさんの「管長の説」は正しい。
と言われると、他の信者さんたちは唖然としませんか。
桐山さんの法話や阿含経講義の本でも、霊障のカルマを阿含経の
オシャカの成仏ホウで断ち切ることがもっとも重要だと教えられてきた。
毎年のように行われた海外護摩や洋上護摩も全部
霊障のホトケを成仏させ、霊障のカルマを断ちきることです。
それなのに、その根拠が阿含経にない?!
今さらそれはないだろうと思いませんでしたか?
では、どうして、大半の信者さんが、霊障解脱が
阿含経に説かれているかのように錯覚したのでしょう。
もちろん、それは桐山さんの舌先三寸です。
- 「梵行とは「浄め、高める修行」です。まず、法にしたがって身を浄める。また、先祖供養をし
て不成仏霊・霊障のホトケを成仏させる、という霊的な浄化もこれに入ります。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』175頁)
これは阿含経講義の中に出てくる一文です。
これをこのまま読むと、まるで釈尊が、梵行という形で、
霊障や霊障解脱、先祖供養を説いたかのように錯覚させられる。
もちろん、錯覚であり、桐山さんはその錯覚を狙ったのです。
これは桐山さんの得意技で、阿含経に出てくる文章や仏教用語を
説明したり、学者の解説などを引用しながら、突然、その中に、
桐山さんのオカルト教をサッと混ぜて、まるで正統な仏教で
あるかのように見せかける。
また、いかにも根拠を示したかのように錯覚させる。
私は何度か、『守護霊を持て』で桐山さんがやったこの手法を紹介した。
そのすり替え、手品の実例の一つが上記です。
- 「梵行とは「浄め、高める修行」です。まず、法にしたがって身を浄める。また、先祖供養をし
て不成仏霊・霊障のホトケを成仏させる、という霊的な浄化もこれに入ります。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』175頁)
梵行という言葉は阿含経に出てくる仏教用語です。
こういう言葉などをうまく使い、途中で中身をすり替える。
それが上の文章で、桐山さんによれば、阿含経の梵行には、「不成仏霊・霊障
のホトケを成仏させる、という霊的な浄化」が入っているというのです。
普通に読んだら、他の阿含経で釈尊が、「霊障のホトケを
成仏するのが梵行だ」と説いていると解釈するでしょう。
つまり、桐山さんは「霊障のホトケや霊障解脱は
阿含経の中で梵行という名前で説かれている」と説明したのです。
だが、準シュダオンさんも解説しているくらいで、これは桐山梵行であって、
阿含経には存在しない。
仏教の梵行には先祖供養や霊的浄化なんて意味はありません。
桐山さんの作り話であり、桐山教です。
- 「梵行とは「浄め、高める修行」です。まず、法にしたがって身を浄める。また、先祖供養をし
て不成仏霊・霊障のホトケを成仏させる、という霊的な浄化もこれに入ります。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』175頁)
準シュダオンさんの指摘のように、桐山さんは上記の文章で、
これが阿含経に書いてあるとは述べていない。
この説明が桐山さんの個人的な主張だとも書いていない。
だが、信者さんたちはそれで納得できるか。
阿含経の解説をしているのだから、桐山さんの梵行の解説は、
阿含経を元にしているのだろうと解釈するのが普通です。
だが、上記の説には何ら阿含経の根拠がない。
これほど信者さんたちにとって重大な教義なのに、
阿含経に根拠がなく、桐山説にすぎないのです。
信者さんたち長い間、阿含経で釈尊が霊障解脱や死者成仏を説いたと
桐山さんから解説されたかのように信じて来た。
だが、準シュダオンさんが指摘しているように嘘です。
信者さんたちは狐につままれたような気分でしょう?
小手先の誤魔化しだと思うでしょう?
そのとおりで、これが桐山さんが宗教詐欺師であることの証拠であり、
人を巧みに錯覚させ、騙している現場こそが上記の文章です。
- 「梵行とは「浄め、高める修行」です。まず、法にしたがって身を浄める。また、先祖供養をし
て不成仏霊・霊障のホトケを成仏させる、という霊的な浄化もこれに入ります。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』175頁)
この文章は本が出た2007年から主張されている内容ではありません。
1982〜1983年に法話で講義された内容です。
これを機関誌『ダルマチャクラ』(1992年、38号)に掲載した。
ですから、桐山さんは三十年近くもこれを述べていることになります。
特に古い信者さんたちにお聞きしたいのは、
あなた方は、霊障や霊障解脱が阿含経にはないと知っていたのか、
また、桐山さんが「ない」と説明するのを聞いたことがあるか、
また、霊障や霊障解脱などの霊障論はすべては桐山教にすぎないことを
知っていたのか、という点です。
知っていたという人はおそらく皆無です。
準シュダオンさんももちろん知らずにここに来て、批判側から教えられて知った。
ヂミズさんと同じで恩知らずのバカ犬だから、批判側にキャンキャン吠えている。
好戦経で霊障の事例を出すなど、釈尊もまた霊障を説いているかのように
信者さんたちは錯覚していたはずです。
その錯覚を与えた桐山さんの講義が次の事例です。
- 「不成仏霊とか霊障のホトケという言葉は、たしかに「阿含経」にはありません。けれど
も『堕胎経』でマハーモッガラーナのご覧になったものは、どう見ても,霊障のホトケではありませんか。」
(『仏陀の真実の教えを説く[中]』263頁)
この文章の後で桐山さんは、阿含経には霊障のホトケがないという
批判に対して、鬼の首でも取ったかのように、
肉段こそが霊障のホトケではないかと主張した。
こういう桐山さんの主張に、信者さんたちも阿含経には霊障の
ホトケとか不成仏霊という言葉はないが、
「釈尊は肉段など別な言葉で霊障のホトケを説いた」と
信じたのではありませんか。
だが、これもまた桐山さんのお得意の錯覚です。
桐山さんは信者さんたちに堕胎経や好戦経を使い、二つの錯覚を与えた。
- 錯覚1.肉段は霊障を発している?
一つ目の錯覚は、肉段を霊障のホトケとした点です。
両者は違うことに気がつきませんか。
その違いとは、他者への影響です。
阿含経の肉段は「本人」だけが苦しんでいる。
だが、アゴン宗の霊障のホトケはまったく違う。
霊障という言葉に含まれているのは、生きている人たちへの悪影響です。
霊障のホトケは、本人がただ苦しんでいるだけでなく、霊障という
デンパを出して、子孫や社会全体に大きな悪影響を与えるとしている。
これを桐山さんは霊障のカルマと呼んでいる。
家運衰退をもたらし、子孫の運気浮沈をもたらし、
桐山さんの刑獄の因縁を作り出したのも霊障のホトケです。
桐山さんは、因縁の元となっているのはすべて霊障のホトケであると
いう教義まで作り上げた。
霊障のホトケとは生きている人たちに致命的な悪影響を与える「悪霊」です。
だが、好戦経や堕胎経を見てください。
釈尊は肉段が他人に悪影響を与えるとは説いていないのだから、
肉段は霊障のホトケとは違います。
- 錯覚2.釈尊は肉段を成仏させろと説いた?
二つ目の錯覚は、釈尊が肉段を成仏させろと説いたかのようにみせかけた点です。
『間脳思考』の好戦経の原文を良く読んでください。
釈尊は、大目連の目撃した肉段が存在することを認めた。
だが、その後で、「しかも説かざるは」(163頁)と述べている。
この言葉に信者さんたちは仰天しなければならない。
「肉段は自分も見ているから、大目連の目撃は正しい。
しかし、私が比丘や人々に肉段のことを説明しないのは・・」
と言っているのです。
質問した比丘も肉段のことはまったく知らなかったのでしょう。
普段から、釈尊は教法で肉段の話をしていなかったのです。
アゴン宗のいう霊障のホトケを釈尊は説かなかったのです!
信者さんたちは驚きませんか。
桐山さんの主張では、霊障のホトケを成仏させなければ因縁は絶対に切れないし、
なによりも霊障のホトケによって家運は衰退し、家族も個人も
メタメタになるばかりか、こいつらが集団になると霊的な不浄となり、
天は怒って、天譴をくだし、人災天災が起きるという。
桐山さんと相性の良い都知事も東日本大震災を天罰だと言った、あれです。
アゴン宗の重大な教学であり、オシャカの成仏ホウを使わないと
決して問題解決できないとされた霊障のホトケや霊障のカルマを
釈尊は説かないのです。
- 錯覚1.肉段は霊障を発している?
錯覚2.釈尊は肉段を成仏させろと説いた?
アゴン宗の教義をしっかりと学んでいるなら、
釈尊が霊障解脱どころか、霊障のホトケも霊障のカルマも
説かなかったと聞いて、愕然とするはずです。
なぜなら、インドでオシャカが桐山ゲイカに白銀バイブで伝えたのは、
「霊障のカルマで地球が壊滅するから、桐山よ、おまえが体得した
オシャカの成仏ホウで地球を救え」という御霊示だった。
以後、今日に至るまで、阿含経にあるオシャカの成仏ホウで
霊障のカルマを断ちきり、悪因縁を切り、地球壊滅から
人類を救うために、世界中で焚き火をしてきたのです。
霊障のカルマを断ちきってきたのでしょう?
洋上法要も、戦没者たちが霊障のホトケとなって苦しんでいるから
助けるだけでなく、彼らが霊障のカルマという毒ガスを出しているから、
それを消滅するために、わざわざ船までチャーターして、法要をしたのですよね?
釈尊がお悦びになることであり、徳を積ませてくれると信じているから、
私から死者冒涜のただの焚き火と批判されても無視したのでしょう?
だが、釈尊はそんなことは説かない、知らないと言っているのです。
その釈尊が信者さんたちの霊障解脱の焚き火や法要に徳をくれると思うか。
- 「不成仏霊とか霊障のホトケという言葉は、たしかに「阿含経」にはありません。けれど
も『堕胎経』でマハーモッガラーナのご覧になったものは、どう見ても,霊障のホトケではありませんか。」
(『仏陀の真実の教えを説く[中]』263頁)
法要している時も、信者さんたちはお釈迦様に
「護摩木のお金を出しますので、その見返りにオシャカの成仏リキで
霊障という毒ガスを出している連中を始末してください」と
お願いしているはずです。
だが、釈尊は好戦経などで、霊障のホトケが出す霊障を
なんとかしろとか、何とかできるなんていっさい説いていない。
そればかりか、そもそも霊障のホトケなんて説いていないのです。
一つ目で申し上げたように、釈尊のいう肉段は霊障なんて出していない。
準シュダオンさんのようにアゴン宗を擁護したい立場から見ても、
釈尊が霊障や霊障の悪影響など説いておらず、これらはすべて
桐山さんの作り話だと認めている。
脳味噌の溶け始めている準シュダオンさんですら理解したのに、
信者さんたちはまだ釈尊が霊障のホトケや霊障解脱を説いたと信じるのですか。
- >>1
無関係さん、スレ立てをありがとうございました。
実は私も今夜あたり↓にスレ立てを代行依頼しようかと思ってました。
◇◆スレ立て代行依頼スレッド◆◇in心と宗教板
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260455303/
ただ前スレも落ちてテンプレ見本もないので迷ってました。
しかしテンプレなんてものは「テンプレは>>2以下にどなたかお願いします」とだけ
書いてもらって、阿含宗批判スレであることを明記すればよいかなと思って
依頼しようと思って確認したらちょうど立っていたことを発見しました。
次回から代行依頼スレも積極的に活用しようかと。
しばらくスレが立たなくて困っていたのは準爺かと思います。
相手にしてくれるところがなくなったわけですから。
- >608 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:18:56.16 ID:YXWQ/4ZY
>例えば阿含経で、釈尊が「来たれ比丘たちよ、修行して苦の滅を得るがよい」
>と話されていますが、それで釈尊の教法は「苦」=悪因縁を切る教えだと
>いうことが解るでしょう。
これで解るのは準シュダオンさんのように脳が溶解した人だけです。
釈尊が出家の申し出に、
「来たれ、修行者たちよ。教えはよく説かれた。
苦しみを全く終滅すために清らかな修行を行え」
(『ゴータマ・ブッダ』中村元、初版、291頁)
と答えた。
だが、「苦の滅」がなんで「悪因縁を切る」になるのですか。
信者さんたちも良く見てください。
釈尊は苦を悪因縁であるなどとは言っていない。
仏教の苦とは、四諦の苦集滅道の苦であり、その内容は次のようなものです。
「<苦諦>とは,迷いの生存は苦であるという真理であり,その代表として,
生老病死(しょうろうびょうし)などのいわゆる四苦八苦が挙げられる」
(岩波仏教辞典)
簡単に言えば、輪廻を含めた我々の人生、生きていること、この世界の
すべてが苦であるという教えです。
その苦が悪因縁だとどこにあるのですか。
霊障のホトケ同様に、これもまた桐山さんの作り話です。
- >608 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:18:56.16 ID:YXWQ/4ZY
釈尊は、アゴン宗のいうガンの因縁などの特定の事柄が苦だと述べているのではなく、
桐山さんのように、脳梗塞になるまで美食飽食を楽しむこと、
桐山さんのように、色っぽい愛人を囲うこと、
桐山さんのように、あるが上にも肩書きや勲章を集めること、
桐山さんの望みのように、美男美女に生まれること、
つまり、桐山さんが苦の対局にある楽だと思っていることも苦だと
いうのが、釈尊の指摘です。
桐山さんは因縁(条件)しだいで苦も楽になるなどと言っているが、
釈尊はそんなことは言っていない。
人間が楽だと思っていることも全て苦の種だと言っているのです。
この世界はすべて苦だというのです。
だから、釈尊は桐山さんとは正反対に、食事は肉体を維持するのに
必要最小限しか取らず、女性は近づけず、近寄らず、
名誉などは避けるべきこととして受け取ったことはありません。
桐山さんは苦が四苦八苦に分類されるなどと頓珍漢な解釈をしているが、
四苦八苦とは、人間もこの世の中もすべてこの八種類の苦の中に
分類されてしまうと指摘しているのです。
アゴン宗の悪因縁、つまり悪い運命だけが苦だと言っているのではなく、
信者さんたちの望む良い運命もまた苦だと釈尊は指摘しているのです。
- >609 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:28:11.61 ID:YXWQ/4ZY
>それは、釈尊もキノコを食べて食中毒を起こして、下痢で悩んだのと同じことです。
信者さんたちは準シュダオンさんの詭弁に気がついていますか。
因縁切りの話をする時は、桐山説の因縁解脱を出して、
桐山さんの因縁丸出しの状態を指摘されると、
因縁切りなど説いていない釈尊を引き合いにして、誤魔化した。
いかにも準シュダオンさんらしく、こすからい。
釈尊が食あたりで亡くなっても、彼の教法とは何ら矛盾しない。
なぜなら、釈尊は前世の業の報いを帳消しにするとか、運命を変えるなどとは
一切説いていないからです。
そればかりか、自分が為したことは必ず本人に返っていくとくり返し説いている。
だから、大目連も異教徒に撲殺されても、彼が解脱者であることには
何ら変わりない。
仏教の解脱の定義が、煩悩から解放されていること、だからです。
死に方が、極端な話、自殺であってもその段階で煩悩から
解放されていれば解脱です。
ところが、アゴン宗はそうではない。
- >609 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:28:11.61 ID:YXWQ/4ZY
>それは、釈尊もキノコを食べて食中毒を起こして、下痢で悩んだのと同じことです。
桐山さんは因縁解脱を説き、彼は自分が悪因縁を完全に解脱したと
1991年頃に宣言した。
悪因縁を解脱したのは、真正仏舎利が来た時というのだから、1986年です。
だが、1987年にはさっそく密教食事件で有罪判決で刑獄の因縁を出した。
二年後には、E川さんをホテルに誘い、愛人内弟子にしたのだから、
色情の因縁を出した。
十年後には脳梗塞になり、脳障害の因縁を出した。
こんなふうに桐山さんは悪因縁の解脱を宣言したにもかかわらず、
次々と悪因縁を出し続けている。
準シュダオンさん以外の信者さんたちにこの明瞭な矛盾に気がついてほしいのです。
いや、普通の知性を持っている信者さんは気がついているはずです。
しかし、この矛盾に目をつぶろうとしている。
アゴン宗の教義が嘘であることを、目の前の桐山さんが証明している。
因縁切りなんて釈尊は説いていないし、現実に
桐山さんは因縁切りなど嘘だと実証している。
目をそらさずに、あるがままに見てください。
- >610 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:34:34.11 ID:YXWQ/4ZY
>>その証拠は誰にも提示できない。釈尊だとて、成仏したという証拠は示せない。
これも真っ赤な嘘です。
釈尊は成仏した証拠を示した。
仏教の成仏とは解脱であり、煩悩から解放されること、です。
釈尊が煩悩から解放されているかどうかは、彼の日常の言動を見ればわかる。
因縁切りみたいに本人しか自覚できない話ではありません。
素人が見ても、つまり、我々が見ても、煩悩に囚われているかどうかわかる。
食欲も抑えられず、食いしん坊を自慢し、性欲も抑えられず、
八十代にして愛人から裁判に訴えられ、名誉欲は果てしなく続き、
名誉欲大餓鬼の大作さんに激しい嫉妬を示す。
煩悩丸出しなのが素人でもわかる。
こんな人物が解脱者であるはずがない。
釈尊や比丘たちは、その言動にいっさいの煩悩を出さなかった。
しかも、互いにそれを監視し合うから、夏安居の時、釈尊は自らの言動に
煩悩が出ていたら、それを指摘するように弟子たちに促した。
もちろん誰も批判などしなかった。
つまり、釈尊が成仏した証拠を示したのです。
神通力で見るのでもなんでもなく、日常の生活の言動に煩悩を出さない人
のことを解脱者といい、煩悩を出さないことが成仏した証拠です。
素人でも観察すれば解脱者かどうかわかります。
- >610 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:34:34.11 ID:YXWQ/4ZY
>釈尊だとて、成仏したとは自称から始まったのであり、説法最初の五比丘も、
>当初はそれを信じなかった。釈尊でさえも、成仏した証拠は示せないわけです。
信者さんたちもこの話を知っているでしょう。
最初の弟子である五人の比丘も、最初から釈尊を解脱者として受け入れたわけではなかった。
だが、この話こそは、桐山説を否定していることに気がついていますか。
桐山さんは、解脱とは神通力を使ってカルマを断ちきることであり、
釈尊は布教のために神通力を使ったと述べている。
これが真っ赤な嘘である証拠がこの5比丘の帰依です。
桐山説のとおりなら、5比丘を説得するのは簡単で、神通力を示せばよい。
紫磨黄金のオーラをぴかぴか光らせて、念力で火をつけて、
上半身を火に、下半身を水にすれば、帰依したはずです。
信者さんたちも、5比丘を釈尊が神通力で帰依させたのかどうか読んでください。
- >610 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:34:34.11 ID:YXWQ/4ZY
>釈尊だとて、成仏したとは自称から始まったのであり、説法最初の五比丘も、
>当初はそれを信じなかった。釈尊でさえも、成仏した証拠は示せないわけです。
釈尊は5比丘に言葉で説いたのです。
神通力でも何でもない。
二組に分かれて托鉢をしながら、説法を聞いたというのだから、
かなり時間がかかったことを示している。
神通力でもオーラでもなく、釈尊は理路整然と四諦や中道を説き、
知性で理解させたのです。
これは当たり前で、今日でこそ、我々は仏教の概念を知っているが、
5比丘は初めて聞く内容です。
現代でさえ、信者さんたちは釈尊の説く解脱が漏尽解脱だと理解できず、
未だに因縁解脱だと思いこんでいる。
二千五百年たってさえもこの有様なのだから、初めて聞いた比丘たちに
してみれば、煩悩からの解放が解脱だと言われても、なんのことかわからない。
解脱の定義を理解していない5比丘が、釈尊を解脱者とみなすはずはない。
解脱とは漏尽解脱なのだと知性で理解して、初めて釈尊を解脱者、
仏陀と認めたのです。
- >610 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:34:34.11 ID:YXWQ/4ZY
釈尊の主張どおり、日常の言動の中に、何一つ煩悩を出していないのを
見て、5比丘は、釈尊の言葉通りに彼を解脱者、仏陀と認めたのです。
信者さんたちは解脱者を見抜くためには、霊能力がないわからない
と桐山さんから教え込まされている。
5比丘はオーラを見て釈尊に帰依したのではなく、
その教法の正しさを理解して、釈尊を仏陀と認め、帰依したのです。
その人が仏教の解脱者かどうかは言動を見ればわかるのです。
解脱者は食事を節制して、必要最小限しか取らず、
酒など肉体に維持に必要のない物はいっさい取らず、
若い女性に自分のホテルに夜来るように告げるなどありえない。
ベンツやロールスロイスを乗り回すなどありえない。
名誉など受け取らないし、自分から求めるなどありえない。
「管長猊下は嘘つきです」と言われたとたん、身の置き所が
ないほどに激昴するなどありえない。
話を始めれば、どれほど苦労し、迫害されたかという自己憐憫と、
どれほどの天才かという自慢話しか出て来ないなど、ありえない。
解脱者とはこのように、日常の中に煩悩が出てこないのです。
逆に言うなら、これらの煩悩を少しでも出しているなら、
その人は絶対に有余依涅槃の聖者などではない。
- >610 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:34:34.11 ID:YXWQ/4ZY
>釈尊だとて、成仏したとは自称から始まったのであり、説法最初の五比丘も、
>当初はそれを信じなかった。釈尊でさえも、成仏した証拠は示せないわけです。
信者さんたちも、煩悩を出しているかどうか、という目で桐山さんや
先達たちを見てごらんなさい。
普通の人よりもはるかに強烈な煩悩を持つ桐山さんがどうして解脱者な
はずがありますか。
こういう桐山さんのミモトで修行してきた先達たちも、解脱への道を
歩むどころか、年々、無知と無恥と慢心が増大して、「煩悩メタボ」になっている。
普通の世俗の世界よりも、よほどアゴン宗の中のほうが煩悩が強烈なのは、
私から説明されなくても信者さんたちは体験しているはずだ。
桐山さんに批判の目が向けられないのなら、周囲の先達たちを見てごらんなさい。
信者さんたちも朱に交われば赤くなるで、煩悩メタボになるだけです。
それは釈尊の教法からますます遠ざかることを意味します。
- >612 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:45:52.88 ID:B0NBWNpu
>用語で引っかかるのか、いちゃもん(下品ですね)を付けているのか
>心中は判らないけど、桐山氏が宗教家として世間に出た時代は、因縁なる
>宗教用語は、世人に容易に理解しやすかったのでしょう。
理解しやすくありません。
かえってわかりません。
試しにあなたのご近所でアゴン宗も知らない一般人に因縁解脱の用語だけ示してみなさい。
仏教の目標目的は因縁解脱にあると。
するとその一般人はアゴン宗の示したい正しい意味を汲み取りますか?
人間関係をなくしちゃうことですか?とか。
桐山因縁解脱を運命転換と汲み取ってもらう為にはさらに解説が必要です。
因縁とは運命の星であり、解脱とはそれから脱却することであり・・・
因縁と聞いて運命のことなんだと捉える人は実は一般人にすらいない。
解脱にしてもしかりで、その正しい意味を一般人は知らない。
私はある手かざし系の教団の道場に連れて行かれたことがある。勧誘を受けて断ったのだが。
その道場に高校生がいたのだが、こちらが示したアゴン宗の名前を知っていた。
「桐山ヤスオさんでしょ?いんねんかいだつを説く」
解脱の読み方すら知らないわけですよ。
だってあくまでも仏教用語なんだから一般人が知らなくて当然です。
オウムだって「解脱した解脱した」と言うが、ますます解脱とは何かわからない。
因縁を付けたってますますわからない。
古い仏教用語を噛み砕いてわかりやすく造語したいのならば運命転換、運命改善
で十分で、どうして正しく浸透していない仏教用語を混ぜたかと言うと
わかりやすく解説したのではなく、伝統的な仏教専門用語のように思わせたかったからです。
- >610 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:34:34.11 ID:YXWQ/4ZY
>釈尊だとて、成仏したとは自称から始まったのであり、説法最初の五比丘も、
>当初はそれを信じなかった。釈尊でさえも、成仏した証拠は示せないわけです。
深山さんが説明しており全く重複するが、この場合2通りの反レスが可能です。
一つは成仏=仏陀に成るの仏教の正しい仏陀の意味である煩悩をなくした人とするならば
これは外見で判断できるものなんです。
しかし意地悪な見方をすれば釈尊は人前では猫をかぶっていたのであり
裏ではどこまで煩悩をなくしていたやらわからないということも言えます。
しかし護摩と法話の時だけ太鼓と共に聖者みたいに振る舞って信者の前に現れる
桐山さんと違って、釈尊は自室などないのだから常に人前に晒されている中で
一挙足一動作、一言動です。
一方桐山さんは猫も何も醜い煩悩を外に示してしまったのだからもうアウトです。
煩悩とは見えるものなんですよ。
本人が自覚しないものまで外見から。
もう一つは桐山さんの言う成仏=仏陀になる=因縁解脱を成し遂げた人という仮定での話です。
これも簡単に外見でわかる。
今目の前にいる人の運命などわからないが過去の運命歴を辿ればわかる。
だって桐山さん自身が具体的な運命の星を因縁と示したのだから。
脳障害の因縁だのガンの因縁だの刑獄の因縁だの。
これを自ら解脱者宣言をした後の桐山聖者が悪い運命を誰から見てもわかるように
公開してしまったのだから仕方がないではありませんか?
- スレ違いですが、面白かったので、転載します。
やや日刊カルト新聞社 http://dailycult.blogspot.jp/2012/09/blog-post_4.html#more
------------------------------------------------------------------------------
文鮮明氏死去で本紙が声明文「生きていても迷惑、死んでもなお迷惑」
9月3日、統一教会教祖の文鮮明が死去。これに伴い、本紙やや日刊カルト新聞社は、翌4日付けで声明を発表しました。
声明は、文鮮明氏について「生きていても迷惑、死んでもなお迷惑」とし、「教祖の死を悼むことはしない」と断言。
これまで統一教会の権威付けに利用されてきた政治家や宗教者に対して、「公的な地位にある者による追悼行為が
新たなる加害に加担するものである以上、本紙は容赦なく暴露して非難する」として、
「文鮮明死去記念特別報道キャンペーン」の開始を宣言しました。
(以下、省略)
- >611 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:44:31.56 ID:YXWQ/4ZY
>それはそのとおりです。だから、解脱供養が必要だ、と信じる人が申し込んで、
>信じない人は申し込まねばよろしいのです。
準シュダオンさんは上記の言葉を実践して、
解脱供養は4体申し込んだが、効果がないのでそれっきり。
冥徳解脱も数体申し込んだが、効果がないのでそれっきり。
つまり、準シュダオンさんですら、解脱供養なんて
信じていないから、申し込まないのです。
これを信者さんたちは良くみることです。
これだけアゴン宗を擁護する準シュダオンさんが、
行歴がまもなく三十年になろうというのに、解脱供養4体です。
おそらく初めの頃、悩みを解決するために出したのでしょう。
でも、何の効果もなかったから、やめた。
本人はその間に車を何台も乗り換えるだけのお金があったのだから、
解脱供養を出そうと思えば出せた。
ところが、4体でやめてしまった。
つまり、準シュダオンさんにして、桐山さんの死者の成仏も
霊障解脱も信じていないのです。
こういう準シュダオンさんの存在自体が、解脱供養には
何の効果もないという証拠や証明です。
- アゴンちゃんも統一に蝕まれているかも
- >611 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:44:31.56 ID:YXWQ/4ZY
>それは、イエスもムハンマドもブッダも説いていない。
>だから、ウソだと思う人はしなけりゃよいのです。
ユビキタスさんから、死者成仏が解脱の要ならば、
どうして釈尊は普段から説いていないのか、という指摘に対する
準シュダオン教のお答えが上記です。
ピント外れというよりも、準シュダオンさんの脳味噌はこんなものなのでしょう。
桐山さんは死者成仏は信者が因縁を切る上で絶対に必要だと説いた。
先祖に霊障のホトケのいる人は因縁が切れないから解脱もできない。
このことを桐山さんは阿含経から体得したと述べている。
先祖の成仏が、本人の因縁切りや解脱に不可欠な要素なら、
釈尊がそれを説いていないのはおかしい。
もちろん、実際の阿含経では説いていません。
つまり、桐山さんの説はウソです。
準シュダオンさんも桐山説はウソだと思うから、解脱供養は4体で止めた。
筋が通っていますね。
準シュダオンさんですら信じていない死者成仏を信者さんたちは
信じるのですか。
- >613 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:59:29.42 ID:YXWQ/4ZY
>まぁ、解釈の仕方は様々あろうが、国を繁栄させるためには、偉人や聖者や英雄の
>おみたま・霊を供養することは有効だと、釈尊が話していることに変りありません。
準シュダオンさんはまた嘘を並べている。
釈尊は偉人や聖者のおみたまの供養なんて説いていません。
遊行経で釈尊が説いたことは先祖供養などではなく、
「戦争をするな」です。
準シュダオンさんはどさくさに紛れて、「偉人や聖者や英雄の
おみたま・霊を供養」などと今度は書いている。
チェーティヤが先祖を祭る宗廟でないとわかったものだから、
今度は、聖者や偉人を祭ったなどと勝手な話を作り上げた。
ウソです。
隙あらばつけ込もうというのだから、
本当に準シュダオンさんてコスカライ老人ですね。
経典のどこに「偉人や聖者や英雄のおみたま・霊を供養」とあるのだ?
経典に書いてあるとおりを読もうとせず、知ったかぶりで勝手な空想を付け加える。
- >>613 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:59:29.42 ID:YXWQ/4ZY
>まぁ、解釈の仕方は様々あろうが、国を繁栄させるためには、偉人や聖者や英雄の
>おみたま・霊を供養することは有効だと、釈尊が話していることに変りありません。
釈尊が、「世界を支配する帝王」と同じような祭り方をしろと
いったから、それを準シュダオンさんは恒例の勝手解釈で偉人、
聖者、英雄などと書いた。
インドでは偉人や聖者が祭られ、供養されていたとあなたは信じているのでしょう。
だが、当時そんな習慣や事例はありません。
桐山さんと同じで文章を斜め読みで、チャラチャラと底の浅い自己流の
解釈をして、いかにも何か知見を得たかのように自惚れている。
当時の遺跡にはこういう事例がまったくないことを学者たちは指摘している。
釈尊が比較したのは、「世界を支配する帝王」という存在しない理想王です。
解脱者を現実の偉人や英雄などという俗人と一緒にするはずがなかろう。
なによりも、チェーティヤとは先祖を供養する場所などではありません。
- >613 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:59:29.42 ID:YXWQ/4ZY
>解脱は別として、在家は国と同様に繁栄する必要があります。
話をそらして誤魔化そうとしても無駄です。
あなたは先祖供養を釈尊が説いた根拠として遊行経の七つの法を出してきた。
だが、七つの法の中に、そもそも先祖供養や死者供養などない。
あるのはチェーティヤという霊域を大事にして、
祭られている精霊に供物を捧げろと言っているだけです。
どこに先祖供養があるのだ?
どこにアゴン宗のいうような死者成仏があるのだ?
チェーティヤは、昔の火葬場だったかもしれないが、釈尊時代には
樹木の神などを祭る場所ではあっても、先祖を祭る場所ではない。
先祖崇拝などインドにはないと三枝先生が書いている。
釈尊がチェーティヤを出して先祖供養を説いたなんて、真っ赤なウソです。
読んでいる信者さんたちは良く見てほしい。
釈尊は先祖供養なんて説いていません。
- >609 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:28:11.61 ID:YXWQ/4ZY
>愛人だと思うのは妄想であり、彼女は信者の権利を訴えたのであり、、愛人の権利
>を訴えたのではない。妄想で議論してはいけない。
妄想は準シュダオンさんのほうです。
あなたの主張には何の根拠も証拠もない。
週刊誌の記事内容すらろくに記憶せずに、自分が信じたいように主張している。
そういうのを妄想というのです。
批判側は裁判や提出された証拠に基づいて指摘している。
準シュダオンさんの脳味噌には御霊示も、桐山さんが贈った恋歌も、
E川さんがもたれかかる写真の件もまったく記憶されないようだ。
でも、毎回あなたがこういう主張をしてくれれば、
私は具体的に反論することができる。
信者さんたちが読めば、いやでも思い出し、記憶できる。
この意味では準シュダオンさんの妄想も役に立っている。
- >609 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:28:11.61 ID:YXWQ/4ZY
>愛人だと思うのは妄想であり、彼女は信者の権利を訴えたのであり、、愛人の権利
>を訴えたのではない。妄想で議論してはいけない。
「高原の千草の影の風さやか そぞろに君のしのばるるかも 」
「吉兆で君の名を問う 春の醉 」
何でもない相手に、こんな恋歌を贈るはずがあるまい。
E川さんは愛人の権利を訴えたのです。
週刊誌に公表された裁判の前に、彼女は桐山さんと「個人的関係」について
調停を申し込んでいる。
なんですか、個人的関係って?
内弟子として認めろなら、そのように主張するべき所を
個人的関係について調停を申し込んでいるのです。
この調停で桐山さんはお金を払って和解している。
だから、裁判にならなかった。
他の信者さんたちも聞くが、個人的関係って何ですか。
また、どうしてそんなことでお金を払うのだ?
桐山さんは内弟子などいないと法話で話したという。
では、内弟子でないE川さんを特別扱いしたのは何なのだ?
桐山さんは内弟子であることを否定したのだから、残りは愛人です。
- てっきり死んだのかと思い心配してましたその深山さんお久しぶりです。
暑い夏の日々相当に鬱憤が裏庭に堆肥のごとく山積してましたね。
貴方の文章は正直言って最後まで続けて読めませんね。
目がチカチカして痛くなりますのでね。(多分私の肉体障害の因縁表出です)
貴君は文筆家としては因縁悪いですよ多分脳障害のインネンをお持ちか。
有名人を酷く暗くうらんだ末に毎日文章を書きまくる
そのような日本で数人しか居ない脳障害の因縁を墓場に積みましたね。
こういうのを、インネンをつけるって事だと亡父が申しておりました。
- >>40
じゃあ、人に悪因縁や霊障などの因縁をつける(つけた)桐山はもっと駄目だろうな。
- >>40
それは桐山さんに言いな。
あいつは因縁付けの大将でしょう。またの名を宗教ヤクザとも言う。
宗教を隠れ蓑にして有りもしない因縁を付け、信者を脅して金を巻き上げて来た。
これがヤクザでなくて何なんだよ。
その親分が今では自分の因縁に悩まされている。お笑いだよな。
- >40貴方の文章は正直言って最後まで続けて読めませんね。
正しい事が書いてあるのだから、何回かに分けて読んだらどうですか?
- >>43
読んでも理解ができないんでしょう
かわいそうな人ですね
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>貴方の文章は正直言って最後まで続けて読めませんね。
>目がチカチカして痛くなりますのでね。(多分私の肉体障害の因縁表出です)
はい、よくわかりますよ。
批判を読むと、目がチカチカして、頭が頭痛して痛くなるんでしょう?
あなたが崇拝する桐山さんを批判されて、悔しいやら、憎らしいやら、
頭に来るが、反撃したくてもあなたの脳味噌からは何も出て来ない。
あなたはダルマさん状態で、怒りで顔を真っ赤にしながら、
目を白黒しているようなものです。
だから、ついには目がチカチカして読めなくなる。
現実や事実への拒絶反応というやつです。
辛すぎて最後まで読めないのです。
とにかく反論しようとパソコンに向かっても、指が動かない。
頭の中には桐山ゲイカから習った壮大な仏教論が渦巻いているから、
深山に一撃加えてやろうと、文字にしようとすると雲散霧消で、何も出てこない。
かろうじて40で書いた内容は、皮肉や毒舌ばかりで、中身が何もない。
出て来たのは桐山さんから習った因縁でインネンを付けることだけ。
他の信者さんたちもごらんなさい。
40さんの頭の中はこんなに空っぽです。
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>貴方の文章は正直言って最後まで続けて読めませんね。
>目がチカチカして痛くなりますのでね。(多分私の肉体障害の因縁表出です)
これがあなたのような洗脳信者の典型的な病状です。
私も信者時代、批判本や批判記事を読む時は心が痛かったから、
症状だけはよくわかります。
ただ、そこからがあなたとは違う。
私は苦痛に耐えて読み続けた。
あなたと違い、是々非々で、批判のうち正しい事は正しいと認めた。
あなたは違いますよね。
批判記事の中から小さな間違いを一つ探すと、
「こんなのは嘘だ、悪口だ」と感情任せに全部否定する。
知り合いにそういう信者がいたから、よくわかります。
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>貴方の文章は正直言って最後まで続けて読めませんね。
>目がチカチカして痛くなりますのでね。(多分私の肉体障害の因縁表出です)
目がチカチカするなら読まなければ良いのにどうして読むのだ?
読まずにいられないからでしょう?
どうして読まずにいられないのだ?
あなたの知性がここに引っ張ってくるからです。
アゴン宗批判を悪口だとは切り捨てられないからです。
目がチカチカする程度は大したことはない。
あなたの妄想信仰と現実のギャップに大いに苦しみなさい。
元信者は誰もが多かれ少なかれ、それに苦しんだ。
インチキ宗教に騙され、金と時間、人生や良識、人間関係までも犠牲に
したと認めるのは大変な苦痛です。
自分がどれほど馬鹿だったかを認めるのに等しいからです。
その激痛に比べれば、あなたの目のチカチカなんて物の数ではない。
でも、あなたはその激痛に耐えるだけの勇気のない弱虫です。
桐山さんや準シュダオンさんのように、一生そのまま
現実を直視する勇気を持たず、妄想世界の弱虫のままでいなさい。
- 深山氏、あっぱれ。
阿含宗は今や崩壊寸前。
ほとんど深山氏、一人の貢献。
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>貴君は文筆家としては因縁悪いですよ多分脳障害のインネンをお持ちか。
文筆家?
あなたの因縁妄想ではついに私は文筆家になったのですね。
私は文筆家などではない。
あなたのいう文筆家とは、桐山さんの話を真に受けて、
「アゴン宗に出てきてもらっては困る教団がお金で雇っている
悪質なジャーナリスト」という意味なんでしょう?
宝生さんが私を創価の回し者だと言うのと同じです。
桐山さんから言われて、無批判にそのまま信じ込んでいる。
未だにアゴン宗が世間の大注目を集めていると思っているとはオメデタイ脳味噌だ。
今のアゴン宗をどこの教団が競争相手だとみなしているのだ?
自惚れもここまでくると立派です。
前に出したたとえをすると、シワだらけのバアサン芸者が
「あたしの美貌に嫉妬しているのよ」と言っているみたいです。
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>暑い夏の日々相当に鬱憤が裏庭に堆肥のごとく山積してましたね。
>有名人を酷く暗くうらんだ末に毎日文章を書きまくる
「鬱憤」「うらんだ」などと、恨みで書いているというのだから、
私を元信者と認めるのですね。
でも、それをすれば、あなたのいう文筆家と矛盾しますよ。
準シュダオンさんと同じで口から出任せだから、どうでもいいか。
信者たちは口をそろえて、私が恨みや憎しみで書いていると言う。
私の文章のどこが恨みや憎しみなのだ?
あなたなどよりはよほど冷静に淡々と客観的な事実に基づいて批判している。
あなたの書いた「てっきり死んだのかと」のほうが、よほど
私への恨みや嫌悪が出ていますよ。
あなたの信仰を頭から否定され、尊崇する桐山ゲイカをエロ教祖と
あざ笑われても、あなたは手も足も出ず、したことは私に
インネンを付けただけだった。
それが因縁切りとブッダの智慧を目指したあなたの末路か。
情けない自分の姿を鏡に映してみたらどうか。
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>そのような日本で数人しか居ない脳障害の因縁を墓場に積みましたね。
脳障害の因縁を墓場に積んだ?
日本語としても、アゴン宗の教義としても意味不明です。
どうしてアゴン宗の信者とはこんなに国語力が低いのだろう。
脅かす時くらい、意味のわかる普通の日本語を書きなさい。
あなたが言いたいのは、私が、桐山ゲイカのような胃大な人物と
アゴン宗を批判した悪業によって、死後や来世には脳障害の因縁で
苦しむだろうと脅かしたつもりなんでしょう?
さすがはインネン付けのアゴン宗の信者だけのことはある。
自分が何をしたか、わからないでしょう?
あなたは根拠のない霊的な事で他人を脅かしたのだ。
桐山ゲイカから習った霊感商法がしっかりと身についている。
あなたには霊視能力などないから、悪因縁がどうなるかなんてまったくわからない。
それをさも知っているかのように脳障害の因縁を墓場に積んだなど書いた。
力もないくせにあるかのように見せかけて、ハッタリで霊的に人を脅かした。
桐山ゲイカの御立派なお弟子さんになりましたね。
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>こういうのを、インネンをつけるって事だと亡父が申しておりました。
因縁をつけているのは私ではなくあなたです。
周囲に、大災害が来て横変死するとか、霊障のホトケがいるとか、
地球壊滅などありもしない話をして、人々を霊的に脅かしている。
桐山さんは霊的な因縁を付ける宗教ヤクザで、あなたはその下っ端にすぎない。
桐山さんは霊感商法の親分で、あなたはその販売員です。
詐欺宗教のアゴン宗の批判をするとどうして悪業になるのだ?
まったく逆で、インチキ宗教を告発して警告を出すことは
市民としての当然の義務です。
自分がどれほどの悪業を為しているか自覚がないとはオメデタイ。
人々を霊的に脅かし、根拠のない話で金品を集める手伝いを
しているあなたこそ、大変な悪業を積んでいる。
死者たちを人質にして人々からお金を騙し取った。
圧巻は、如来の説いた解脱を小解脱と罵った。
桐山さんによれば、如来の説くことを信じないと地獄に墜ちるそうだ。
桐山さんがあなたの地獄逝きを保証してくれた。
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>こういうのを、インネンをつけるって事だと亡父が申しておりました。
「こういうのを」とは私の文章を指しているようだが、
私の文章のどこがインネンをつけることになるのだ?
私は桐山アゴン宗を批判する時、根拠を示している。
私は、因縁解脱など阿含経にはないと書いた。
これが因縁をつけたことになるなら、では、あなたが
因縁解脱と書いてある阿含経を示してみなさい。
私は、先祖供養など阿含経にはないと書いた。
これが因縁をつけたことになるなら、では、あなたが
先祖供養をしろと書いてある阿含経を示してみなさい。
できるか?
できませんよね。
では、因縁をつけたのは私ではなく、あなたです。
- >>40 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 14:59:55.32 ID:G2uV8DFB
>こういうのを、インネンをつけるって事だと亡父が申しておりました。
私は、E川さんが愛人だと指摘した。
これが因縁をつけたというなら、E川さんが愛人ではないという
あなたの主張の根拠を示してみなさい。
桐山さんの御霊示、E川さんへの恋歌、こういうものを
あなたはどう解釈するのだ?
それとも、これらは全部批判側の捏造だとでも言うのか。
だったら、どうして桐山さんはこれらを全部閲覧禁止にしたのだ?
あなたは正面からは私の文章には反論できないから、
亡父まで引きずり出して、インネンをつけたなどと言っているのでしょう?
桐山さんと同じで、死者をこづき回すのが大好きなんですね。
せっかくあなたがインネンをつけてくれたから、
E川事件の続きを書きましょう。
- >609 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:28:11.61 ID:YXWQ/4ZY
>愛人だと思うのは妄想であり、彼女は信者の権利を訴えたのであり、、愛人の権利
準シュダオンさんは女にもてたことがないから、裁判の記録を見ても、
何のことかわからないのでしょう。
他の信者さんたちは現実を良く見ることです。
桐山さんの出した御霊諭、E川さんに贈った恋歌、
桐山さんの浴衣にもたれかかるE川さんとのツーショットを
直接見た人たちは桐山さんとE川さんの関係がただならぬものだと疑った。
夜中の十一時にホテルに来いと命じて、お金まで同封している。
そのことについて「今夜にでも」返事しろと二度も書いている。
スレ213の24にあります。
教祖が夜中の十一時に、独身の色っぽい二十代の女を自分の部屋に
こっそりと呼びつけて、それで内弟子にしたという。
その後、十五年以上にわたり、桐山さんが直接「お手当」を渡したという。
世間ではこれを内弟子とは言わず、愛人というのです。
これだけ証拠を示されたら、裁判員制度なら、
裁判員は全員が二人の男女関係を疑う。
- >609 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:28:11.61 ID:YXWQ/4ZY
>愛人だと思うのは妄想であり、彼女は信者の権利を訴えたのであり、、愛人の権利
これらの資料はE川さんが裁判に提出したものです。
単に会員復帰というなら、準シュダオンさんのいう信者の権利の
ためなら、なんでこんな資料を出す必要があるのですか。
除名が不当なものであると主張すればいいだけで、
桐山さんからの御霊示、恋文、ツーショットなんて関係ないはずです。
これらの資料は誰がみても、桐山さんとの男女関係を疑わせるものばかりです。
つまり、E川さんは桐山さんとの男女関係を主張したのです。
だから、桐山さんはこれらの裁判資料を隠した。
裁判とは原則公開なのに、裁判が終わったとたん、桐山さん側からの
強い要望で閲覧禁止になった。
自分に何らやましいところがないなら、なんのためにこんなことをするのですか。
正々堂々と信者に裁判の経過を示し、週刊誌に書かれたような
愛人の疑いなどないと身の潔白を示せば良い。
だが、桐山さんは法話ではただの一言の釈明もないばかりか、
信者たちに知られないように証拠を隠滅した。
潔白ならばどうしてこんなこそこそと隠し事をするのだ?
これは愛人疑惑を自ら認めたのと同じです。
- >609 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:28:11.61 ID:YXWQ/4ZY
>愛人だと思うのは妄想であり、彼女は信者の権利を訴えたのであり、、愛人の権利
>を訴えたのではない。妄想で議論してはいけない。
私はE川さんが愛人だったと聞いて、いくつもの疑問が合点できた。
あの当時、別院で修行していた人なら、誰しもが、なぜ
E川さんだけが「超法規的」なのか、疑問に思っていた。
一般信者にすぎず、桐山ヨイショ本の編集者という肩書きにすぎず、
人集め金集めに大きな成果があるわけでもないチャラチャラした彼女が、
職員よりも権限がある。
YANのS瓶さんや、横浜道場のK柳さんの件など、
いくつかの疑問が、E川さんが愛人だとわかった瞬間に解けた。
愛人でないなら、E川さんとは桐山さんの何だったのだ?
週刊誌に写真が掲載されたように、E川さんは桐山さんとゴルフをする仲だった。
E川さんによれば、長年、「お手当」を桐山さんから直接もらっていた。
若い色っぽい女性に自分の財布から直接お金を毎月渡す。
二度目の脳梗塞の発症の後、ホテルオークラに妹を含めた三人で
長期滞在していた。
桐山さんは内弟子であること否定したらしい。
では、こういう関係を信者さんたちは何だというのか、説明してください。
- >609 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:28:11.61 ID:YXWQ/4ZY
>愛人だと思うのは妄想であり、彼女は信者の権利を訴えたのであり、、愛人の権利
>を訴えたのではない。妄想で議論してはいけない。
信者さんたちに質問したい。
これがもし大作さんやどこかの教祖の話なら、信者さんたちは
一も二もなく、女性関係だと思うでしょう。
では、どうして桐山さんだと急に判断を保留にしたり、
愛人ではなく、可愛がられた内弟子だなどと思うのだ?
桐山さんに愛人がいたら、自分の信仰が崩れるからでしょう?
自分にとって都合が悪いからですよね。
準シュダオンさん場合、桐山さんに愛人がいたのでは、
彼にとってここでの立場が不利になるからです。
結局、口先では信仰や仏道修行を唱えながら、実際は
自己の利益のために、事実や現実から目をそらしているだけです。
それでは麻原を未だに崇拝しているオウムの残党と何が違うのだ?
片や殺人鬼を聖者と崇め、片やエロ教祖を聖者と崇める。
- >>52
反論できないからそんなくだらない事を書いているんだろw
基地はお前だよw
- 阿含宗批判ダイジェスト1
■因縁解脱の嘘
釈尊は因縁解脱(運命転換)を説いていない。釈尊は漏尽解脱(煩悩解脱)を説く。
■カルマ解脱の嘘
釈尊はカルマ解脱は説いていない。神通力で因縁・カルマを断つことも説いていない。阿羅漢のモッガラーナは横変死、
ヴァッカリは病気を苦にして自殺、ゴーディカも自殺。これらの事実からも仏教は因縁解脱やカルマ解脱を説かないことが分かる。カルマ解脱は外道の教え。
■供養の嘘
「如来に供養すれば福徳を授ける」は嘘。釈尊は取引供養は述べていない。まして「解脱の徳」を与えるとはいっていない。
福徳は善因楽果という因果応報の原則の結果に過ぎない。
■応供の如来の嘘
応供は「供養に相応(ふさわ)しい」が正しい意味。応供が「供養に応える」「御利益を授ける」は嘘。
■三福道(三供養品)の嘘
三宝において供養をして解脱の徳を頂くというのは嘘。
この経は三宝において三善根の実践(無貪・無瞋・無痴の三毒煩悩を無くす)をすることの教えを説いたもの。
■八法十六法(一切事経)の嘘
「信・戒・施・聞・持・観・法次・方向」は誤り。「信・戒・施・『見』・聞・持・観・法次方向」が正しい。
- ■異陰(仙尼経)の嘘
「異陰相続して生ず」は誤読。「陰と與に相続し生ず」が正しい。「與」を「異」と誤読。異陰が不成仏霊は嘘。
■止息法(止息経)の嘘
止息は呼吸法ではない。止息とは煩悩を「とめる」こと。
■世間福・出世間福(世間福経)の嘘
世間福は「一般社会に対する布施行による福徳」でなく、「比丘たちに衣食住を供養」することで得られる福徳。
出世間福も「因縁解脱の成就、法力の完成などの超世間福」でなく「在家が仏教に帰依して実践」して得られる福徳。
■福田(大祠経)の嘘
旧「修行者座右宝鑑」の「応供の仏をば”福田”」は嘘。福田が「御利益を授ける」も嘘。
釈尊と比丘たちは「福田」であるが、これは「煩悩無くして心が平安になる者が多くなる働きがある」からであって「御利益を授ける」からではない。
なお大祠経に「応供の仏に供養することにより、三悪道の因縁を解脱して、煩悩の毒箭を離れて大富利を獲得する」に相当する内容は無い。
■三福業(衆集経)の嘘
「三福業」が「運の悪い者が運を改造するために福徳を身につけるための三つの方法」というのは嘘。
「三福業」は施業・平等業・思惟業という三つの清浄な行為(煩悩をなくす行為)を達成するための基本的な実践を述べた経。
- 阿含宗批判ダイジェスト2
■三宝が偽物
仏…真正仏舎利は偽物(大統領メッセージと由来書に本物の仏舎利との記載無し、カニンガムは仏舎利を発見していない)
http://souko.digi2.jp/mede01/bushari01.htm
http://souko.digi2.jp/mede01/bushari02.htm
http://souko.digi2.jp/mede01/bushari03.htm
法…三福道は桐山氏の捏造(三宝に供養して解脱の徳が得られるなど釈尊は説かず、桐山氏の創作)
http://souko.digi2.jp/mede01/sanfukudo01.html
http://souko.digi2.jp/mede01/eon01.htm
僧…桐山氏は僧侶の資格が無い(護摩法の伝法が不明で阿闍梨の資格が無い)
http://souko.digi2.jp/mede01/rireki01.html
■因縁切りが実現できていない(桐山氏自ら因縁切りの教義を否定)
・密教食事件で刑獄の因縁を出す(1987年)
・脳梗塞となり脳障害の因縁を出す(1996年、2001年)
・美人内弟子の告発で色情の因縁が明らかになる(2009年)
これらは全て完全に因縁解脱できたと宣言した後に起きた出来事
■霊障の嘘1 桐山氏の因縁を形成した18人の霊障武士の嘘
信州の幕末には上意討ちは無い。
藩主たちは日和見だったため、信州の幕末の死者はわずか五十数名。
18人の上意討ちがあれば記録に残るはずだが記録に一切無い。
霊障武士は元々存在しない桐山氏の創作。
http://mentai.2ch.net/psy/kako/945/945075010.html(45)
■霊障の嘘2 ソンディが異母兄の生まれ変わりとするのは嘘
桐山氏は「ソンディは異母兄の生まれ変わりで、異母兄と同じ運命の反復」と唱える。
しかし、ソンディは異母兄に4歳から育てられていた!
このことは、ソンディ学派の学者が本で紹介している。
異母兄は生きていたことからも桐山氏の霊視が嘘であることがわかる。
- ■剽窃・盗作・パクリが多い
密教占星術(『九星日盤鑑定要法 中伝』齋藤擁道、東京運命学研究会、1976年)
http://souko.digi2.jp/mede01/okuden01.htm
和讃(法印教会『宝篋印陀羅尼経 和解秘略釈』、昭和33年3月17日)
http://agama.zouri.jp/ws1.html
阿含密教いま(『原初経典・阿含経』増谷 文雄、筑摩書房、1970年)
http://souko.digi2.jp/mede01/tosaku01.htm
■仏舎利解脱宝生行で唱える三種真言は真言立川流の創作の疑い
勤行の三種真言は邪宗で有名な真言立川流が所蔵の「寶悉地成佛陀羅尼經」からの引用。
http://agama.zouri.jp/dato1.html
■超能力開発が実現できていない
念力の護摩は手品、モンゴル奇蹟は天気予報を利用。
指導が開始されてはほぼ四十年たつが、超能力を持つ弟子は皆無。
■解脱の定義そのものを誤っている
仏教の解脱…漏尽解脱(煩悩解脱)。因縁解脱という言葉や概念すら仏教には無い。
因縁解脱を仏教とするのは桐山氏の創作。
- 阿含宗という宗教192から抜粋
410 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2011/01/01(土) 22:05:38 ID:S517eCjJ
『 御 霊 諭 』
平成1年5月4日
第○○則○○(無記)
「『×××しないと×××するぞ』とか『付き合え』とかいうようなそんな職場に君は勤めていてはい
けない。今すぐやめなさい。わたくしがもっと君にふさわしい良い仕事を君に紹介してあげる。」
「『釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた』と書いてあるが、
実はわたくしもそう思っていた。自分からは言い出せなかったので、
人に言ってもらうと本当にうれしい。君はなかなか見所がある」
「君が命がけでやるというなら弟子にしてあげる。」
「但し道場では君にだけ会うと君がねたまれるから、
私の修行場所があるからそこで面接する。
打ち合わせをする。私の秘密電話番号を教える。」
(ここに管長の秘密電話番号が書いてある)
「そこに電話すると交換手が出るから、
そうしたら暗号の数字を言ってからどうするかを伝言をしなさい」
「その電話に私の方から君にかけることのできる電話番号を
入れておきなさい。(今夜にでも)」
(「(今夜にでも)」というのは原文のまま)
「又は、私は名古屋の東急ホテルに六日の夜、泊まる。
君も名古屋へ泊まって、夜十一時頃、私の室へ電話をしなさい。
今夜にでも秘密電話にどうするか報告しておきなさい。」
「名古屋で泊まる費用を同封しておく」
- ?桐山ゲイカが一般会員e川さんに恋いこがれて勇気を出して渡した?初めての告白御霊示お誘い文?です (桐山原稿用紙:ゲイカ直筆です)
_____________________________
『 御 霊 諭 』
平成元年
e川千景
「『抱かれるか殺されるかどっちかにしろ』とか『××××』などという男の出入りする不浄の場所に
君を置いておけない。今すぐやめなさい。わたくしがもっと君にふさわしい良い仕事を君に紹介してあげる。」
「『釈迦は桐山靖雄を出現させるために現れた』と書いてあるが、
実はわたくしもそう思っていた。自分からは言い出せなかったので、
人に言ってもらうと本当にうれしい。君はなかなか見所がある」
「君が命がけでやるというなら弟子にしてあげる。」
「但し道場では君にだけ会うと君がねたまれるから、
私の修行場所があるからそこで面接する。 打ち合わせをする。私の秘密電話番号を教える。」
(ここに管長の秘密電話番号が書いてある) 「そこに電話すると交換手が出るから、
そうしたら暗号の数字を言ってからどうするかを伝言をしなさい」
「その電話に私の方から君にかけることのできる電話番号を
入れておきなさい。(今夜にでも)」 (「(今夜にでも)」というのは原文のまま)
「又は、私は名古屋の東急ホテルに六日の夜、泊まる。 君も名古屋へ泊まって、夜十一時頃、私の室へ電話をしなさい。
今夜にでも秘密電話にどうするか報告しておきなさい。」
「名古屋で泊まる費用を同封しておく」
________________________________
《投稿理由として》
上記のような事実が実際にあったということを 知らない信者の方々に広く公表致します。
阿含宗では既に組織ぐるみで完全に隠ぺい、レベル1級の最極秘特別シークレット事項で一般会員信者には絶対にわからない事実です。
以上
【阿含宗内弟子愛人裁判資料】より
- ?桐山靖雄幸せ恋歌ご披露?
m(_ _)m
??阿含宗管長桐山靖雄氏がe川さんに贈ったロマンチックな恋詩です??
※{モチロン桐山氏の直筆です}※
【1】押し花の額の裏に書かれた詩
高原の千草の影の風さやか
そぞろに君のしのばるるかも
靖.
1993.9.12
【2】料亭吉兆にて桐山氏、e川姉妹、他1名での会食時
割り箸包み紙に書かれた詩
吉兆で君の名を問う 春の醉
優雅ですね〜ぇ?
高級料亭でe川さんを魚に
幸せホロ酔いごきげん気分なのでしょう♪
本当に桐山氏は若く華やかなe川さんのことが好きだったのでしょう
以上
【阿含宗内弟子愛人裁判資料】より
- http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1339665613/624
624 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/07/01(日) 20:56:45.08 ID:gDyElE3C
>>621
でもね〜
私、東京裁判所で
桐山管長猊下と信者のe川さんが
桐山管長猊下のマンションの自室で白いバスローブの胸元あらわにはだけた
管長猊下の胸元にそっと顔をうずめるe川さんの仲睦まじい様子の写った
愛人裁判証拠写真ハッキリ見てきましたよ
他にもコッソリ東京裁判所に見に行った人たくさんいると思いますけどね
見た瞬間、目が点(・・)になり
それから次に笑いが止まらず
そして次には
桐山さんの虚像が音を立てて崩れて行きました
皆さんもあの証拠の数々を目の当たりにしたら百年の恋も冷めるでしょうにね
残念です。
- 767 名前:無関係な人間です ◆/r5j5C8KiI [] 投稿日:2012/07/25(水) 11:02:27.26 ID:rZRR6pz0
>>750
桐山さんがどんな宗教を始めようが、その桐山さんを信仰する人がいても自由です。
実際、私も少し前まで阿含宗への興味を失っていました。しかし、桐山さんは、過去、
自分には超能力があると豪語し、自分は釈迦の悟りの正当な後継者として他の既成仏教
や新宗教を激しく攻撃しました。それを本に書き、メディアで宣伝し、それを信じた人
を対象に宗教団体を結成し多額のお金と労力の提供を受けました。しかし、彼が90歳に
なっても、桐山さんの言う成仏法をマスターした人は一人もいません。彼の年齢を考えると、
この先、成仏法をマスターする人が出て来る可能性はかなり低いと言えます。
すると、結果的に彼が主張した事は虚偽であると言えます。しかも、彼の前科や愛人の存在、
豪華な私生活を考慮すると、彼は自分の言っていた事が事実ではない、と認識していた可能性
があります。その場合は詐欺に当たります。関係者の数の多さや期間の長さ、金額の多さを
考えると、本人同士の問題には収まらないと言えます。社会事件と言えます。
少なくても桐山さんは、彼が攻撃した既成仏教の人達や彼の言う事を信じた信徒の皆様へ
説明する義務があると思います。
- 768 名前:無関係な人間です ◆/r5j5C8KiI [] 投稿日:2012/07/25(水) 11:04:41.73 ID:rZRR6pz0
桐山さんは自分の主張は釈迦正当の伝承であるというものです。しかし、具体的な内容は
釈尊の教えを大きく修正したものです。これは羊頭狗肉だと思います。そのくせ、彼は他の
仏教を釈尊の正しい教えから逸脱していると批判しています。彼の言動は無責任だと思います。
また、桐山さんと阿含宗への非難の中には、外国政府要人への賄賂、暴力団との関係等の内容
が含まれています。これらは、内部問題に限られるものではありません。公的な批判の対象に
なりうるものだと思います。
769 名前:無関係な人間です ◆/r5j5C8KiI [] 投稿日:2012/07/25(水) 11:09:34.08 ID:rZRR6pz0
次に、掲示板での情報が正しいとしたら、桐山さんは、初期に言っていた事と最近言っている
事がまるで矛盾しています。個人としてならともかく、宗教家で宗教法人の創設者である以上、
彼には沢山の信徒への責任があるはずです。桐山さんの言う事を信じてお金と人生を提供して、
その挙げ句、全然違う事を言い出すのはあまりにも酷いと思います。私が信者なら火がついた
ように激怒すると思います。第三者から見ても、あまりにも無責任で人をバカにした話だと
感じます。お金はともかく、時間は取り返しがつきません。ある程度の年齢が行くと分かり
ますが、これはとても残酷な話です。こういう酷い話をうやむやにするのが正しいか、
どうかは考えたら分かる話です。既に起きた事は取り返しがつかないですが、事態の真相
を追求し、今後の戒めにする事は被害者にはせめてもの慰めになるはずです。
★仏教は自殺を本当に禁じているのか?
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html
へ〜お釈迦様の弟子ってみんな自殺してるんだね
これじゃ〜
仏教が因縁切り(横変死、自殺他殺事故死)の法だなんて全く言えないじゃん!
- >611 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:44:31.56 ID:YXWQ/4ZY
>それはそのとおりです。だから、解脱供養が必要だ、と信じる人が申し込んで、
>信じない人は申し込まねばよろしいのです。
では信じない人は申し込まねばよいということは、どういうことを意味しているのですか?
解脱供養というのは施主に霊障があり、その人の運命に暗い影を与えているのだから
これを霊視して除去しようという営みです。
これを信じない人はやらなくてもよいとは、どうぞ霊障が除去できないまま
不幸になってろと突き放す発言なんですか?
それとも霊障なんてものは信じる人にだけ作用するものであり、信じない人は
申し込まなくたって、何も悪いことは起きないのだから安心して任意の選択をせよ
ということなんですか?
桐山さんはアゴンマガジンなどでも質疑応答で、金がない人が解脱供養を無理に
申し込む必要はないことを掲載しています。
ならばそのまま申し込まないでおれば、霊障なんてものも作用することはなく
不幸になることはないのだから、解脱供養はしたい人だけがすればよいと言っているのですか?
- 535 名前:深山 ◆Y0jS4ug6fQ [] 投稿日:2012/01/19(木) 23:53:38.94 ID:cqXoI/d7
・釈尊が死者成仏を否定した阿含経
釈尊が死者成仏を否定した経典を引用します。
南伝の相応部経典と、漢訳の中阿含経にあります。
サンユッタ・ニカーヤ(相応部経典)、42、6、西地人
「阿含経典 3」増谷文雄、筑摩書房、119頁
中阿含経、17、伽弥尼経(国訳一切経、阿含部、4巻、66頁、大東出版社)
古書で手に入れやすいのは、増谷博士の本でしょう。
また、『ヒンドゥー教と叙事詩』(中村元、p108-)にも載っています。
どれかを入手して確認してください。
経典を全文引用するは難しいので、部分引用にとどめ、内容について説明します。
- 536 名前:深山 ◆Y0jS4ug6fQ [] 投稿日:2012/01/19(木) 23:56:46.08 ID:cqXoI/d7
・釈尊は死者を天界に至らせることができますか?
「西方地域のバラモンたちは、水瓶をたずさえ、セーヴアーラの花輪をかけ、水に入って水浴し、
火神につかえているが、彼らは死没した人を向上させ、冥福を得させ、天界に至らせる。しかし
あなたはそのようになすことができるでしょうか。」
(『ヒンドゥー教と叙事詩』中村元、p108-)
これは村の長が釈尊にした質問です。
西方のバラモンたちが、水と火を使って死者を成仏させると言っているが、
お釈迦様はできるのか、と質問したのです。
水と火を使って死者を成仏させるという点をよく見てください。
今のアゴン宗とそっくりです。
つまり、当時も桐山さんみたいなインチキ宗教家がいたのです。
釈尊は村の長の質問に直接答えず、逆に次のような質問をしました。
「たとえばある人が巨大な石を深い湖水のうちに投げ入れたとしよう。そこへ大勢の人々が群れ
集まって来て、「巨大な石よ、浮かび出よ。浮かび上がれ。陸上にのぼれ」といって、祈願し、
礼讃し、合掌して、へめぐり歩むとしたならば――汝はどう思うか。その巨大な石は、大勢の人
々が祈願し、礼讃し、合掌して、へめぐり歩いたという原因によって、浮かび出るだろうか。浮
かび上がるだろうか。陸上にのぼるだろうか。」
この答は明瞭です。
祈ったからといって、石が浮かび上がるはずもありません。
釈尊は同様のたとえで、水に浮かんだ油に沈めと祈ったら沈むか、
という質問をしています。
このたとえの後、釈尊は次のように述べています。
- 538 名前:深山 ◆Y0jS4ug6fQ [] 投稿日:2012/01/20(金) 00:00:26.48 ID:NRMww+bd
・生前の本人の行いのみで死後が決まる
「それと同じく、かの人が生命を害し、盗み、邪姪
を行ない、虚言を語り、つげ口をなし、粗暴な語を発し、ざれごとを語り、食り、怒り、邪った
見解をいだいているならば、たとえ大勢の人々が群れ集まって来て、祈願し、礼讃し、合掌し、
へめぐり歩いて、「この人が身が滅び死んだあとで、善いところ・天の世界に生まれるように」
といったとしても、この人は身が滅び死んだあとで、悪いところ・地獄に生まれるであろう。」
(『ヒンドゥー教と叙事詩』中村元、p108-)
悪業をなし、煩悩のままに死んだ者はそれに応じた世界に輪廻すると述べているのです。
もちろん、この経典の最後まで、釈尊は死者の成仏ができると言っていません。
上記のように、はっきりと否定したのです。
釈尊の言葉に信者さんたちに愕然としてほしい。
桐山説でも霊障のホトケとは自らの悪業で不徳だから不成仏霊になるのでしたね。
だが、釈尊は、その者たちは生前の行いと煩悩にふさわしい世界に行くだけで、
他人は助ける事も、行き先を変えることもできないと言っているのです。
行き先を変えようとするのは、水に沈む石に浮かべと祈るようなものであり、
つまり、死者成仏はできないと言っているのです。
- 539 名前:深山 ◆Y0jS4ug6fQ [] 投稿日:2012/01/20(金) 00:04:20.83 ID:d+C5KFgP
・釈尊は死者の成仏はできないと否定した
釈尊が死者の成仏を説いていたのなら、この村の長への返事はおかしいですよね。
「ワシの成仏ホウを使えば、死者たちは成仏する。供養金しだいじゃ」と答えたはずです。
だが、釈尊は自分はできないと否定したばかりか、
そんなことを望むのは道理に反すると否定したのです。
現実に死者を成仏させるなんてどの阿含経にも存在しないし、
この伽弥尼経のようにはっきりと死者成仏は否定しています。
つまり、
・釈尊が死者を成仏しろと説いた阿含経はない。
・釈尊が死者成仏をしたという阿含経はない。
・釈尊は死者成仏はできないと伽弥尼経で説いている。
これを見れば、どう見ても釈尊は死者成仏など説いたはずはないのです。
ただ、ここで桐山さんの本をしっかり読んでいる信者さんなら、
好戦経と堕胎経、そして盂蘭盆経を思い浮かべ、
「たしかあの経典では釈尊は死者成仏を説いたはずだが」と思うはずです。
- >618 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 11:43:11.39 ID:YXWQ/4ZY
>有という意味での霊魂の存在は認めないが、空
>という意味での霊魂の存在まで否定してるのではない。
「空という意味での霊魂」とは何なのですか。
桐山さんの詭弁を真似て、有の霊魂と、空の霊魂があるそうだ。
準シュダオンさんはこれを自分がとても頭が良いと思って、
自慢して書いているのです。
だが、空の霊魂があるのではなく、準シュダオンさんの脳味噌が空なだけです。
有と空の違いを桐山さんが出していた。
釈尊の説いた仏教にはこんな考えはありません。
釈尊のいう有(う)とはただ存在を表すにすぎない。
その意味では、我々人間は有です。
空(くう)は、阿含経にもいくつか出てきますが、龍樹が用いたような
意味での空はほとんど出てこないし、中心思想ではありません。
阿含経では文字通りの空っぽ、空しい、無価値という意味で使われています。
龍樹の頭の良い所は、仏教の基本である無我、無常を空という
言葉で端的に表した点です。
仏教でいう有は無常であり無我ですから、龍樹がいう空です。
有と空に特別な意味を持たせ対立概念として議論したのは、
後の大乗仏教などで、特に大好きなのが中国仏教です。
それでも「有の霊魂」「空の霊魂」なんて聞いたこともない。
- >618 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 11:43:11.39 ID:YXWQ/4ZY
>が、そうではなかった。釈尊が、現世にも死後にも自我を認めない、といえども
>自灯明という場合の自我は認めるわけです。
相変わらず、何一つ理解できないまま我流の勝手解釈ですね。
準シュダオンさんは「自己」と「我(アートマン)」の区別すらつかない。
あなたも引用しているように、釈尊は「自らを拠り所とせよ」と述べ、
そればかりか「自己に帰依することを成し遂げた」とまで述べている。
アートマンを否定しているのに、自己に帰依したなんて矛盾するというのが
あなたのその脳味噌の理解ですね。
そのミソも糞も一緒のグチャグチャ具合がすさまじい。
自己なんてあるに決まっているではないか。
人間が自分だと思っているもの、それが自己です。
釈尊は、こういう自己の存在など否定していない。
自己とは五蘊でできており、その五蘊にはアートマンという
中心的で普遍的な存在などない、と指摘しているのです。
自己は五つの部品でできた集合体にすぎず、霊魂のようなものが
核となって輪廻しているのではないというのが無我説、非我説です。
五蘊の中にそもそも霊魂はないのだから、「変化しない霊魂」も
「変化する霊魂」も仏教にあるはずがない。
- >618 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 11:43:11.39 ID:YXWQ/4ZY
準シュダオンさんのように誤解しないためにも信者さんたちに助言するが、
「我」という言葉ではなく、アートマンと表現したほうが間違いません。
誰でも自分を意識できる。
オレ、私、アタイと思っている普通の意味での自分、自己です。
釈尊が問題にしたのは、その自己が存在するかどうかではありません。
そんなものは誰がみても存在する。
当時のインド思想では、この自己は仮の姿であり、
本当の自己は内側にあり、それをアートマンであると考えた。
アートマンは霊魂といってかまわない。
なぜなら、死んだ時、輪廻する時の核となるからです。
輪廻する本体であることから、まさにこれが自分の本当の姿だとみなした。
彼らは解脱とは、「真のアートマン」、すなわちブラフマンを見いだすことだと考えた。
アートマンの本当の姿はブラフマンという宇宙の真理なのに、
我々はカルマによって穢れているアートマンを自分だと錯覚して、
真のアートマンを見失い、輪廻の中をさまよっているという考えです。
アートマンの穢れをなくし、ブラフマンと一体化すること、
梵我一如となることこそが解脱である!
これが当時のバラモンの代表的な思想です。
釈尊はこれを否定した。
- >618 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 11:43:11.39 ID:YXWQ/4ZY
>が、そうではなかった。釈尊が、現世にも死後にも自我を認めない、といえども
>自灯明という場合の自我は認めるわけです。
話はそれるが、こういうアートマンとブラフマンの関係は
どこかで聞いたような話だと思いませんか。
実は、後に大乗仏教が取り入れた。
人間は誰しも生まれながらにして仏となる性質、
つまり仏性を持っており、それを磨きだせば良いとした。
私も仏、あんたも仏、みんな仏で、それを自覚すれば良い、
山海草木悉有仏性というオメデタイ思想です。
信者さんたちはこういう思想を聞いて笑ったかもしれないが、
実は同じ事をアゴン宗もしている。
それが真言宗の、仏との入我我入です。
あれはブラフマンとしての仏、アートマンとしての自分が
一体化することで解脱するという思想です。
もちろん、釈尊の教法から見たら、子供騙しのオママゴトにすぎない。
いい年をした大人がもったいぶり、秘伝奥伝の高度な修行法
であるかのように自惚れながら、オママゴトをしている。
本人は解脱に近づいたつもりで、実は自惚れと妄想という
煩悩を増やして、もっと遠ざかっている。
- >618 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 11:43:11.39 ID:YXWQ/4ZY
話を元に戻すと、インド思想の多くは、自己の真の姿はアートマンであり、
霊魂であり、これが輪廻するときの核となると考えた。
とてもわかりやすい思想です。
果物に種という核があり、果肉が腐っても、種がまた次の植物の元となる。
同様に、人間には霊魂という核があり、肉体はその衣類にすぎず、
死ねば衣類を脱ぎ捨て、次の肉体に輪廻する。
霊魂こそは永久不滅のものであり、霊魂こそが自分の真の姿であ〜る!
信者さんたちもとても納得したのではありませんか。
そして中にはこれが仏教なのだと信じている人たちがいる。
だが、釈尊はこういう思想を否定した人なのです。
- >618 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 11:43:11.39 ID:YXWQ/4ZY
この種の霊魂説でなかでもっとも優れた説を出した思想家が、
釈尊よりも百年ほど前といわれるヤージュニャヴァルキアです。
霊魂説が好きなら、ぜひ彼の思想は学んだほうが良い。
私の知る限り、彼の思想を越えるような霊魂説はありません。
精緻で、矛盾が少なく、それに比べたら、部派仏教や
大乗仏教が作り上げた霊魂説は不完全です。
ましてや、桐山さんの霊魂説など子供騙しです。
準シュダオンさんの変化する霊魂なんてお笑いでしかない。
霊魂説など今から二千六百年も前に出尽くしており、
なんら新しい思想など出ていない。
信者さんたちに良く知って欲しいのが、
釈尊はこういう精緻で良くできた霊魂説を知った上で、
しかも、これを否定した人なのです。
- 信者さんたちにまず理解してほしいのは、
「釈尊の説いた霊魂説などない」
という点です。
釈尊の説いた無我説からは、絶対に霊魂説は出てこない。
それをしたら自己矛盾する。
ところが、その釈尊の教法を学び体得したという桐山さんは
霊魂説を唱えている。
準シュダオンさんと同じで、無我説の意味が理解できず、
霊魂説など出したら無我説と矛盾することすらわからないのです。
多少学識のあるお坊さんが霊魂の話になると歯切れが悪くなるのを
桐山さんは、坊主の癖に霊魂を否定している、などと非難していた。
だが、無知で愚かなのは桐山さんのほうです。
仏教を学び理解したら、霊魂はある、なんて絶対に言えない。
正式な教育を受けた坊さんたちは仏教の基本である無我説も
習うから、霊魂説と矛盾することを知っているからです。
信者さんたちは桐山さんをものすごく頭の良い人だと思っている。
だが、本当に仏教を理解するだけの普通の知性を持っていたら、
無我説と矛盾することがわかるから、間違っても霊魂説など出せない。
霊魂説を出すこと自体が、「私は仏教を理解できないほど馬鹿です」と
自ら宣言しているようなものです。
信者さんたちが仏陀の智慧を持っていると信じている桐山さんの
知性って、そんな程度なのですよ。
- >>52 :神も仏も名無しさん:2012/09/04(火) 23:39:59.31 ID:0hrl4AhB
>深山の基地外ぶりには呆れるね。
>お前仕事してるの?
>>40さんによれば、私の仕事は物書きらしいから、仕事をしていることになる。
外道を狂信しているアゴン宗の信者から基地外と
言ってもらえるとはありがたい。
オウムや北朝鮮から非難されたようなもので、
私が世間的には普通だという証拠です。
- 桐山さんは70歳台から80歳台の中頃まで裏で隠れてエロを楽しんでいた。
ある意味凄い人だ。
普通だったら男の鏡だけど、聖者宣言してる人が凡夫と同じ「エロエロ」を楽しむことはまずない。
だって解脱しているのならそんな煩悩からとっくに卒業していなきゃならない。
だが現実は裏で若いE川女史を10年以上に亘って側にはべらせ妾の様に囲ってエロを楽しんでいた。
奥様がいた時も、そして亡くなった後もこっそりと信者にわからぬ様に。
先ず信者はこの現実をしっかり認識することだ。
認識できれば桐山さんは解脱者ではなく、当然聖者でもなくただのエロ爺ということが判る。
であれば桐山さんは長年信者をだましてきた宗教詐欺師であることが理解できるはずです。
- 奥さんが癌で苦しみ闘病中のあいだも
奥さんの葬式の時も関係は継続中だったわけね
そりゃ〜信者に釈明できないよねェ(⌒-⌒; )
- 私が昔お導きした人は少し精神を病んでいました。この人のためを思い真剣に護摩木や解脱供養をすすめました。
しかし、症状は一向に良くならずにいました。彼のお金の出所は障害者年金でした。それを知っていたのであまり、あれもこれも
と霊感商品は勧めませんでしたが、基本の?解脱供養と護摩木だけは勧めていました。
「独鈷の加持をしてほしい。いますぐしてくれ。」よく夜中に彼のもとに車を飛ばしました。それも導き主の修行と思っていました。
サンベン宝珠のないところでの施法は越法なのは知っていましたが、施法していました。
その間も、彼の症状は悪くなるばかり。次第に薬も強くなり、胃薬と安定剤と睡眠薬まで飲むようになりました。数年すると
家庭と仕事もある私は次第に足が遠のきました。ある日彼の親御さんから電話が来ました。「○○が死んだ」
自殺でした。28歳でした。彼の生活のほとんどがアゴンでした。アゴンをやめて今当時を思い出すと後悔しかありません。
効き目のない解脱供養や護摩木を勧め、わずかの年金を無意味に使わせ挙句の果てに自殺。申し訳なく今でも後悔しています。
これを読む家畜信者はまた調子のいいことを言うのだろうが、これがリアルなアゴン宗です。年金生活者のわずかの金も作り話でだまし、取り上げます。
本当に恐ろしいカルト宗教です。当時私にはカルトという自覚はありませんでした。洗脳とはいかに恐ろしいものか。
- >>90,つくり話という疑いも捨てきれない程の情けない本当の嘘話だなあ。
サンベン宝珠が無くたって加持は出来るって君は習ってないの?
身に着けるアレさえあったらOKでしょうが。
一度こっちから君を拝んでみようか?仏法を使ってほらを吹く御仁を拝む
激しく一興かも知れませんな。
- >>90
三便宝珠が無いと独鈷の加持を自由にやってあげることもできないなんて
決まりがあったのですね
ということは独鈷の加持を自由にしたい人は200万円の三便宝珠を買いなさいと
暗に言われてるようなものですね
桐山さんがよく使っていた集金手法です
「解脱供養もご法施グッズも
お金が無いのに無理にやる必要はないんだからね」
とか言いながら
その裏で手を替え品を替え
買え買えと信者の欲望をくすぐりあおりせかす。
気が付いたら信者の財布の中身は空っぽ(笑)
- よく分らんが
「独鈷の加持」なんて釈迦の時代に有ったのかな? 無いでしょ。
アゴン宗がなんで法華宗のように「独鈷の加持」なんかやるの?
これ、七科三十七道品の修行じゃないよね。
七科三十七道品をやらずに何で独鈷の加持なんでしょう。
おかしいよね。
信者は何故おかしいと言わないのか?
賢い人間ならもうすでにこの段階で桐山さんの欺瞞を見破ります。
「独鈷の加持」を出した段階で自分は偽聖者だと言っている様なものです。
- >>91
私も職員から、三?宝珠や、自称真正仏舎利のないところでは施法出来ないと言われた。越法といわれたぜ。
いまから18年前の伝法だが。91さんは最近の独鈷加持の伝法を受けたんではなかろうか?阿含宗の伝法の内容がコロコロ変わるのはいまにはじまったことではないからな〜。
90さんは嘘ではないぜ。独鈷の御霊さえあればどこでも施法出来るなんてのは当時聞いたことないぜ。
当時、「霊障発現してどうにもならなくなったらすぐ道場に電話しなさい。電話の向こうから私が念力でその霊障を抑えるから。」なんてことも言ってたな〜エロ爺さんが。
それから、加持をしたなら確か内容を書く紙があったよな。施法者と、される側の名前、相談内容とか、日時とか。
御霊さえあれば何処でも気軽にできる。なんていう軽いものではなかったぜ。当時はね。でも今は軽いノリなのかな?退会した私にゃ関係ないがね。人をうそつき呼ばわりはさすが、現役信者だね。
傲慢さがにじみ出てるぜ。カルトにどっぷりつかるとこんな人格になるといういい見本だ。ありがとう。
ついでに独鈷御霊を退会時分解してみたが中身は空っぽ。蓋にゴム印でにじんだ真言が押してあるだけだぜ。
夜店のガラクタだぜ。興味がある人は分解してみな。私、守護神も分解したけど興味のある人は分解してみな。
でもそれまでに庭付き一戸建て買えるくらいのお金が必要だけどね!それでは91さん、現役信者の傲慢ぶりを今後も全国にさらしてくださいな。
- 一つ言い忘れてましたので一言。独鈷加持は本尊の力を借りてするもので、施法者自身の力ではなく、あくまで本尊の成仏力によるものである。
だから施法者はあまり気張らずに独鈷の法が体を通りぬけ、相談者に法がいきわたり、体調がよくなるよう祈るだけ。このように、施法者はあくまでパイプ役であり
自分のありもしない霊能力でするものではない。こんな感じで伝法を受けたね。あくまで低姿勢でご本尊から成仏力をお借りする。そんなスタンスだった。だから、本尊のあるところでやるものなんだと。
91さんの言い方を見ると「こっちから君を拝んでみようか」などと、いかにも自分には桐山譲りのありもしない霊能力をもっているかの如くのふんぞり返った傲慢な言い方だね。我々が伝法受けた当時はまだ91さんより純粋さがあった気がするね。
「こっちから君を拝んでみようか」などといういやらしい傲慢人間はいなかった。
やはり現役信者は、この程度の人間しかいないんだろうな。カルトだからしょうがないとはいえ、いやらしい人だ。かく言う私も在籍していたのだが、ここまで心は腐っていない。だから退会できたのか!守護神買うまで修行はしたけれどね。
- 91は道場にも行かない、隠れ阿含宗でしょう。
宝生の生活さんじゃないかな。
準シュダオンさんと同じで、道場へ行かない信者は、
想像で阿含宗を美化している。
リアルの阿含宗を見れば、横浜の大先達Sさんのように
守護霊(今の守護霊神ではなく初期の守護霊)をいただいていてもやめてします。
- >>94
>法華宗のように「独鈷の加持」なんかやるの?
この文章を訂正しておきます。
「独鈷の加持」は過去レスでもコメントが有りますが、日蓮宗系の拝み屋さんがやるおまじないの一つで
何故かアゴン宗も秘宝として重宝するお笑いカジです。
多分、桐山さんが昔どっかで仕入れたまじないを改名して出してきたのでしょう。
- >>94 >>98
法華宗のは木剣(もっけん)は阿含宗の独鈷とは持ち物も違うし、作法も違う。
- >>91は自分達の都合の悪い事は何も見えないんだね。
すぐに「嘘」なんて人を嘘つき呼ばわりするのは、自分自身が
「嘘つき」だからだろう。
頭と性格が激しく悪いのがよく表れているレスだったよw
- >>97
>リアルの阿含宗を見れば、横浜の大先達Sさんのように
>守護霊(今の守護霊神ではなく初期の守護霊)をいただいていてもやめています。
どひゃ〜
守護霊もらって辞めちゃったのぉ?
守護神じゃなくて守護霊でしょう?
本当に一部の数人しかもらっていないというあれだよね?
いったい幾ら積んだんだろう
ビックリしました。
それにしても
なんか阿含宗って
霊の売買所みたいだね
霊をお金で売買しちゃいけないね
そもそも霊など売買できるモノではないが。
- >>101
本当のようです
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/3419/1336119506/l50
- >>91 :神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 06:57:58.51 ID:gu7WEi/Q
> 一度こっちから君を拝んでみようか?仏法を使ってほらを吹く御仁を拝む
> 激しく一興かも知れませんな。
私にやってみなさい。
それともできもしないことをハッタリで相手を脅かして、自分に
なにか力があるように見せようとする「ほらを吹く御仁」とはあなたのことか。
信者のくせに何も知らないのですね。
独古加持を個人的にしてはならないというのは、少なくとも十五年以上前から
指示されていましたよ。
理由はセクハラがあったからです。
前は道場でも間仕切りして加持の時、外からは見えないようにしていたこともあった。
これが裏目に出て、身体を触られたとか、変な気配を感じて目をあけたら、
加持者の顔が目の前にあったとか、こういうセクハラ事件が起きた。
別院で実際にあった話です。
別院で独古加持をしていた彼らは桐山ゲイカから許可を受けた「選ばれし者」だった。
その御立派な先達様からセクハラが続出したとはどういうことか。
桐山ゲイカの霊視能力を疑わせる・・・いや、待てよ、
そうか、桐山ゲイカも当時E川さんという愛人がいて、
エロエロしていたのだから、それが王者の相承で先達たちにもデンパしたのだ。
教祖自らエロなんだから、先達がエロになっても何の不思議もない。
むしろ、セクハラをした先達たちのほうが正しかったのだ。
桐山ゲイカの王者の相承って、エロに関してだけは本物のようです。
91さんもエロ秘伝を受信しましたか。
- >>99 :神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 16:14:31.21 ID:AL1ZDYPm
>法華宗のは木剣(もっけん)は阿含宗の独鈷とは持ち物も違うし、作法も違う。
独古と木剣の違い?
アゴン宗の信者なら、もう少しアゴン宗の教義をしっかりと学びなさい。
こんな答では0点です。
あなたに質問するが、では、桐山ゲイカが木剣を用いて、法華の作法の
ままで加持したら効果がないのか?
桐山ゲイカ御親修の独古加持のオミタマからオシャカの成仏ホウが
ドロドロと垂れてきて、それが独古から相手にデンパするのです。
だから、桐山ゲイカなら木剣だろうが独古だろうか、極端な話、鉛筆でもかまわない。
桐山さんは三本指を立ててエイッで済んでしまうのは、
独古か木剣かは様式の違いにすぎないからです。
「アゴン宗の独古加持は、様式は法華の加持祈祷を取り入れているが、
オシャカの成仏ホウによる加持であり、これが決定的な違いだ」
ただのパクリにすぎないが、表向きはこのように答えるべきです。
- >>99 :神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 16:14:31.21 ID:AL1ZDYPm
>法華宗のは木剣(もっけん)は阿含宗の独鈷とは持ち物も違うし、作法も違う。
アゴン宗の独古加持など法華の加持祈祷のパクリそのものです。
「嵐ふく・・」などそのまんまのパクリ。
中伝などとして教えられた「鬼」もそのまんまのパクリ。
信者さんたちは後生大事に、桐山ゲイカの体得した秘伝だと
思っているだろうが、学研の解説本に載っています。
伝法会で教えていた祈祷深秘も種本が暴露されていた。
桐山さんの修行場とは山奥ではなく、神田の古本屋です。
そこで種本を買ってきて、秘伝であるかのように信者に
売っているだけです。
だから、密教占星術奥伝など、齋藤擁道氏の本の丸ごとパクリだった。
アゴン宗では未だにこれを奥伝と称しているのでしょう?
恥知らずというのです。
杭打ちも種本が暴露されている。
桐山さんのしていることは一事が万事、パクリです。
だが、信者さんたちはそれを知っても、違うと思っている。
そのとおりで、アゴン宗の教義では、パクリでも違うことになっている。
何がどう違うのか、しっかりと教義を思い出してください。
- アゴン宗では阿弥陀如来も拝んでいますよね。
北陸本部道場での例祭では阿弥陀真言もあげているそうだ。
アゴン宗が「なーも、あみだーぼー」ですよ!
成仏力さえあれば阿弥陀如来も真実の如来さんになるそうです。おったまげるね〜。
そんじゃウルトラマンやドラえもんも成仏力でやってよ!
いい大人があたまイカレてんじゃないの?
長いことあそこに居れば可笑しいことがわからなくなってしまうのか。
アゴン宗なんて他宗から見ればお笑いのてんこ盛りなのに。
- >>107
「成仏力」というフリカケをかけると、あれま不思議、
仏陀ができないと言った地獄に墜ちた死者までも成仏し、悪因縁はブチ切れるという、
摩訶不思議な現象が起きる、それが桐病魔氏のじょーぶつホーってやつですぅ
- だからアミダ如来の真言でも、十三仏真言でも、なんでもかんでも、
じょうぶつホーというふりかけをかけると、胃大なる奇蹟の詐欺力、もとい成仏力を出すそうです
- >>99 :神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 16:14:31.21 ID:AL1ZDYPm
>法華宗のは木剣(もっけん)は阿含宗の独鈷とは持ち物も違うし、作法も違う。
護摩でも、阿弥陀信仰でも、アゴン宗と他宗との違いは
「オシャカの成仏ホウ、成仏リキ」
これ以外はありません。
何とかの一つ覚えのように、「オシャカの成仏ホウによる○○」と
言われると、信者は思考停止して、受け入れてしまう。
オシャカの成仏ホウこそが洗脳のキーワードです。
これを言われると、信者は批判能力を失う。
だから、私は毎度信者さんたちに「オシャカの成仏ホウとは何ですか」と質問する。
アゴン宗の教義に沿ってスラスラと答えられる擁護側に会ったことがない。
そればかりか、アゴン宗の教義で説明すると、逆に、無知丸出しにして
あざ笑う準シュダオンさんのような人すらいる。
信者さんたちは無批判に受け入れるのではなく、桐山さんのいう
オシャカの成仏ホウ、成仏リキとは何なのかを読んで理解することです。
私は信者さんたちにアゴン宗を否定しろと言っているのではなく、
桐山さんの説いた教義をきちんと理解するように勧めている。
アゴン宗の信者なら当たり前のことをするように言っているのです。
桐山さんは法話でも本でも説明しています。
- >>99 :神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 16:14:31.21 ID:AL1ZDYPm
>法華宗のは木剣(もっけん)は阿含宗の独鈷とは持ち物も違うし、作法も違う。
桐山さんのいうオシャカの成仏ホウとは、カルマを断ちきる方法です。
具体的には前世からの悪業の報いである悪因縁を切ること、
不成仏霊となった死者たちを成仏させること、
霊障のホトケという悪霊を成仏させ、彼らが出した毒ガスである霊障の
カルマを断ちきることです。
もう一つ、それに伴う超能力開発法があるが、これは今回は述べません。
簡単に言えば、オシャカの成仏ホウ、成仏リキとは因縁解脱、霊障解脱の方法と力です。
これを桐山さんは、阿含経の中から体得したと宣言し、阿含経に
しか説かれていないとも述べている。
阿含経の価値は釈迦が説いたからだけでなく、この成仏ホウが
あるからだと主張している。
そこで信者さんたちにさらに質問する。
阿含経のどこにカルマ解脱、因縁切り、因縁解脱、死者成仏、霊障解脱があるのだ?
これまで桐山さんが講義してきた阿含経の範囲でいいから、
そのどこに因縁解脱や霊障解脱、死者成仏や先祖供養があるのですか。
桐山さんはずいぶん阿含経講義をしているが、ただの一度でもいいから、
これらの言葉や概念が出来たのを見たことがありますか。
- >>99 :神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 16:14:31.21 ID:AL1ZDYPm
>法華宗のは木剣(もっけん)は阿含宗の独鈷とは持ち物も違うし、作法も違う。
「阿含経は桐山ゲイカのように間脳を開いた人でなければ読めないのだ」
という主張は成り立たない。
オシャカの成仏ホウという修行の方法がどこにあるのかと質問しているのではありません。
オシャカは「悪因縁を切れ。カルマを断ち切れ。霊障のホトケを解脱させよ」
と説いているはずです。
それがどこにあるのかと質問しているのです。
信者さんたちはオシエを倫理道徳にすぎないと小馬鹿にしているが、
それでも釈尊がオシエを説いたことは認めるでしょう。
だったら、そのオシエの中に因縁解脱や霊障解脱がたくさん出てくるはずです。
それがどこにあるのかと質問しているのです。
でも、信者さんたちは阿含経で見たことがないでしょう?
あれだけの桐山さんの阿含経講義でもただの一度も見たことがない。
実際、阿含経には因縁解脱や霊障解脱など言葉も概念もありません。
ならば、因縁解脱と霊障解脱というオシャカの成仏ホウが
阿含経にあると信じているのはおかしくないか。
根拠のないことを頭から信じ込んでいる自分に疑問を持ちませんか。
- 「まず確かめたいことは、仏陀は「阿含経」のどこで、どのような表現で、因縁の存在、
因縁解脱の法を説かれているのか」
(『超脳思考をめざせ』78頁、1985年)
桐山さんは三十数年近くも前、国会議員との対談で上記を質問された。
桐山さんは十頁以上にわたり説明している。
そこで縁起や四諦の説明はしているが、議員からの質問である、阿含経の
どこに因縁解脱が説かれているのかという質問に対する端的な
答は一つもありません。
説明よりも、釈尊の「因縁解脱せよ」という言葉のある阿含経を
引用すれば良いだけなのに、それがない。
議員もそれを求めていたはずです。
そんな経典はないから、桐山さんは縁起や四諦の説明で煙に巻いたのです。
縁起とは因縁ですから、まるで釈尊がアゴン宗の悪因縁や因縁解脱を
説いたかのように錯覚させた。
縁起にはアゴン宗のいう悪因縁などという意味はありません。
信者さんたちも桐山さんの説明に巻き込まれるのではなく、
「阿含経のどこに因縁解脱があるのか」という質問に
桐山さんが答えているかどうかという観点で読んでください。
桐山さんは答えていない。
答えられなかったのです。
なぜなら、阿含経には因縁解脱などないからです。
- 「まず確かめたいことは、仏陀は「阿含経」のどこで、どのような表現で、因縁の存在、
因縁解脱の法を説かれているのか」
(『超脳思考をめざせ』78頁、1985年)
桐山さんがこういう質問に答えたのは、私の知る限り、空前絶後です。
「阿含経のどこに因縁解脱が説かれているのか」という
アゴン宗にとってはもっとも土台となることについて、
桐山さんは立宗以来、たった一度説明したのがこの本です。
信者さんたちは驚きませんか。
これほど大事なことであり、これほど阿含経の講義をしてきた桐山ゲイカなら、
阿含経の根拠など耳タコができるほど示しているはずだと思っていませんでしたか。
この本は今のところ絶版のようですね。
桐山さんの代表作に何度でも記述するべき内容が、対談の、
それも絶版本にしか載っていない。
なぜなら、桐山さんはこの質問をしてほしくないのです。
因縁切りや因縁解脱など阿含経には存在しないからです。
釈尊が因縁解脱を説いたなんて桐山説は、根拠のない嘘です。
桐山さんが阿含経から因縁解脱というオシャカの成仏ホウを
体得したなんてありえない。
- >607 :神も仏も名無しさん:2012/08/22(水) 10:13:40.85 ID:YXWQ/4ZY
>これも管長の説であり、阿含経に書いてあるとは言っていませんよ、たぶん。
桐山さんが阿含経から体得したという霊障解脱も同様で、
これは信者である準シュダオンさんですら、
上記のように桐山説であることを認め、阿含経にはないと述べている。
あの屁理屈屋の準シュダオンさんですら、霊障解脱など
阿含経にないと認めたのですよ。
これを認めないなら、信者さんたちは準シュダオンさんよりも
頭が悪いことになってしまい、それは避けたいでしょう。
つまり、阿含経には、因縁解脱も霊障解脱もない。
繰り返すが、修行法を引用しろと言っているのではなく、
教えとしての因縁解脱や霊障解脱がどこにあるのかと質問しているのです。
ありません。
どこにもない。
桐山さんが発見したオシャカの成仏ホウなど嘘であり作り話です。
阿含経にはカルマを切るとか、カルマ解脱なんて考えすらない。
桐山さんはカルマを切ることが解脱だなどと声高に主張しているが、
大乗仏教にすらカルマを切るなんて考えはありません。
阿含経や仏教にカルマ解脱である因縁解脱や霊障解脱などあるはずがないのです。
- >>99 :神も仏も名無しさん:2012/09/06(木) 16:14:31.21 ID:AL1ZDYPm
桐山さんが阿含経から発見したオシャカの成仏ホウなんて存在しないのです。
そうなると、「釈迦の成仏法による独古加持」「釈迦の成仏法による護摩」など、
全部根拠のない嘘ということになる。
アゴン宗の法は、独古加持も屋敷浄霊も、ことごとくオシャカの
成仏ホウが元になっているのだから、全滅です。
そもそも釈尊は加持祈祷を禁止した。
護摩、占い、土地浄霊、天変地異の予言など具体的に取り上げて禁止している。
だから、独古加持も屋敷浄霊もそもそも論外なのだが、いずれにしろ
桐山さんが根拠にしたオシャカの成仏ホウは嘘であり、成り立たない。
独古加持などよその宗教からパクッタ、卑しい加持祈祷にすぎない。
釈尊はカルマ解脱ではなく、漏尽解脱を説いた方です。
漏尽解脱とは、信者さんたちのいう煩悩解脱のことです。
桐山さんがオシエにすぎないと唾棄し、小解脱と罵った煩悩解脱こそが
仏教の解脱です。
信者さんたちがアゴン宗でしていることは、釈尊がしてはならないと
禁止したこと、釈尊ができないと否定したことばかりです。
そしてオシャカの骨とやらを拝みながら、釈尊が実際に
説いたことにツバを吐きかけている。
信者さんたちの信仰がどれほど釈尊の教法から遠いか、
長年、お金と労力かけた信仰が釈尊の教法と真逆であることに、
虚無と絶望を感じて、知性と良識を復活させてほしい。
- 真実(かもしれない情報)を世に出して人々に選択肢を提供することは非常に大切なことです。
- 深山さんは、途轍も無い悲願を抱えて生きていらっしゃるご様子。
他人の苦役を見過ごしに出来ない、阿弥陀様みたいな人格らしい。
>>119,僕は幸せですよ目先の事のみ処理すりゃ好いのです。
一つの宗教を潰したいなんて大それた野望は無いですね。
【北風と太陽】と言う寓話が在るよね深ちゃんは
寒いのか暖かいのか?どちらですかね。
- >>120
あなたがそこまで阿含宗にこだわる理由は何ですか?
もしもあなたが最初から、阿含宗が嘘まみれということが
分かっていたなら、入信したでしょうか?
阿含宗が桐山さんが、大嘘付きであることが分かっていれば
まず入行しません。
あなたにとって阿含宗は、もう切り離せないほど深く染みついている
というのが本音ではありませんか?
桐山さんが希代の詐欺師と分かっていても、阿含宗の骨の髄まで
染みこんでいるため、あなたから切り離すことは不可能なのでしょう。
自分の本心に正直になりなさいな。
自分の本音と直面しないさいな。
桐山さんは、極悪非道な大嘘付きです。
この大嘘付きに、大勢が騙されたというのが真実なのです。
しかし、この大馬鹿者は、絶対に自分の非を認めないということです。
あなたがやるべきことは、桐山さんの嘘を明らかにして、信者を解放させることです。
あなたただけではない。
それがあなたに課せられた本当の使命なのです。
桐山さんの大嘘に気づいた者は、信者、元信者に関係なく、
彼の嘘を指摘して、騙されている者を救済すべきなのです。
- >>120 :神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 18:30:44.68 ID:FJKjOHQ8
>深山さんは、途轍も無い悲願を抱えて生きていらっしゃるご様子。
>他人の苦役を見過ごしに出来ない、阿弥陀様みたいな人格らしい。
>一つの宗教を潰したいなんて大それた野望は無いですね。
あなたの文章では、まるで私がアゴン宗をつぶして信者を救いたいという
途轍も無い悲願を持っているかのような言い方ですね。
信者さんたちの国語力にいつもあきれるのだが、私がいつこんなことを書きましたか。
あなたや準シュダオンさんは、書いていない文章を読みとり、
書いてある簡単なことが読めない。
あなたは私が、アゴン宗を潰したい、騙されている信者たちを助けたいという
慈悲と野望から批判をしていると思っているが、まったく見当違いです。
私はここで批判する理由を過去に何度か書いた。
読んでいないところを見ると、あなたは最近来た人のようですね。
それとも準シュダオンさんみたいに読んでも3分で忘れてしまうのですか。
- >>120 :神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 18:30:44.68 ID:FJKjOHQ8
>深山さんは、途轍も無い悲願を抱えて生きていらっしゃるご様子。
>他人の苦役を見過ごしに出来ない、阿弥陀様みたいな人格らしい。
>一つの宗教を潰したいなんて大それた野望は無いですね。
私は、アゴン宗を潰したいなんて思ったことは一度もない。
なぜなら、アゴン宗は潰れないと思っているからです。
批判側の中にはアゴン宗を潰したい、桐山さんが死ねば潰れると言う人がいる。
だが、私は違います。
前から書いているが、桐山さんが死んでもアゴン宗は潰れない。
なぜなら、あなたみたいな狂信者が必ずいるからです。
私の言葉でいうなら、宗教奴隷、宗教家畜は減っても絶滅はしない。
そして、あなたみたいな狂信者こそが信者の多数を占めている。
アゴン宗はすでに長期にわたり衰退し、信者は減り、予算も減っている。
桐山さんが死ねば、人寄せパンダもいなくなり、もっと縮小するでしょう。
でも、なくならない。
なぜなら、あなたみたいな狂信者が必ずいるからです。
殺人教団として裁かれたオウムでさえも、今でも存続している。
出家だった連中の半数近くがそのまま生き残っている。
狂信とはこのようなもので、つける薬はなく、自分で治すしかなく、
死んだだけでは治らないから、桐山さんが輪廻先でまた詐欺宗教を
始めるように、あなたも輪廻先でまた狂信を始めます。
- >>120 :神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 18:30:44.68 ID:FJKjOHQ8
>深山さんは、途轍も無い悲願を抱えて生きていらっしゃるご様子。
>他人の苦役を見過ごしに出来ない、阿弥陀様みたいな人格らしい。
>一つの宗教を潰したいなんて大それた野望は無いですね。
私はあなたや準シュダオンさんみたいな信者が少数どころか、
多数であることを知っています。
何をどう言われても、どんな事実や現実を突きつけられても、
カエルの面に水で、何の効果もない。
しかし、同時に、あなたや準シュダオンさんのような鈍感で
鈍重で感性の麻痺している人たちだけが信者ではない。
少数だが、知性と良識が生きている人たちがいる。
彼らはあなたや準シュダオンさんみたいなエゴだけで信仰をしているのではない。
人生を変えたい、自分を変えたい、釈尊の説く本当の仏教を
信仰してみたいという人たちも少数だがいるのです。
その人たちは、聖者を自称する桐山さんの金とエロに満ちた汚さを
示されれば嫌悪を覚え、アゴン宗の教義の嘘とデタラメを示されれば失望し、
釈尊の教法とは正反対のことをしていることを示されれば恥じて、
先祖供養や死者成仏どころか彼らを冒涜していると気がつけば悲しみ、
自分がカルト宗教で霊感商法の物売りをしているのだと気がつけば
自己嫌悪を覚える。
つまり、あなたと違い、知性や感性が生きている人たちです。
私は彼らに情報を伝えているのです。
あなたや準シュダオンさんなど最初から対象外です。
- >>120:神も仏も名無しさん :2012/09/07(金) 18:30:44.68 ID:FJKjOHQ8
>>>119,僕は幸せですよ目先の事のみ処理すりゃ好いのです。
私もまた目先の事のみ処理して生きている人間ですが、アゴン宗の信者が
目先の事のみ処理してるはずがない。
霊障を恐れ、因縁を恐れ、トンチンカンな活動をしている。
自分の人生において失敗することなく成功を収めたいと思ったら、常に現実に
即した努力をすればよい。
目先の事を考えずに、妄想にとらわれて無駄で無益、有害ですらあることを
しているのがアゴン宗の信者です。
- 人は死んだら、白い着物を着て阿鼻野街道を歩くと桐山さんが言っていたけど、
俺が飼っていた柴犬のゴロも白い着物を着て阿鼻野街道を歩いたのだろうか。
今、飼っている金魚のデメは足がないのに歩けるのかな。
阿鼻野街道を歩くのは人間だけなの?現役信者さん、教えて?
- >>120 :神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 18:30:44.68 ID:FJKjOHQ8
>他人の苦役を見過ごしに出来ない、阿弥陀様みたいな人格らしい。
私は信者を助けようなんて気持ちはまったく無い。
「阿弥陀様みたいな人格」などありません。
これだけ情報を伝えられても、まだ桐山アゴン宗を信じて
いられるあなたや準シュダオンさんたちを興味深く人間ウオッチング
をして楽しませてもらっている。
自分の為したことは自分に返るだけだから、カルト宗教を
信じて悪業を積んで、その報いを受けても、私には関係ない。
輪廻は長いのだから好きなようにすれば良い。
私は今生で砂場の宗教ゴッコを卒業したから、他の人にも情報を
伝えているだけで、あなたみたいに来世も砂場で桐山さんと
詐欺宗教で人を騙したい人など、凡人の私の手に負えるはずもない。
私も過去に、批判本はじめ、先達からの話など、様々な情報をもらい、
洗脳から解放された。
だから、私もまた信者たちに情報を伝えるだけです。
私は宗教家でもなければ、カウンセラーでもない。
知性と感性の残っている人たちに情報を伝えるだけで、
どうするかは各人の問題であって、私の知ったことではない。
- >>120 :神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 18:30:44.68 ID:FJKjOHQ8
>寒いのか暖かいのか?どちらですかね。
私の批判姿勢を批判したつもりですね。
これはあなたが初めてではない。
もっとも適切と思われる表現によれば、私は「麻酔もかけずに手術をする」そうだ。
あなたのいう北風です。
手術の件は何を言いたいのかはわかるが、たとえが少し違っています。
私は手術はしない。
メスを準備し、その使い方とどこを切除すれば良いか伝えるだけです。
手術するのは本人です。
また、この手術には麻酔はありません。
本人が激痛に耐えて、桐山アゴン宗という癌を切除するかどうかだけで、
他人は誰もそれを切り取ることはできない。
あなたにはその激痛に耐えるだけの勇気も知性もないから、無理でしょう。
自分でメスを持ち、自分で手術をしてみれば、
私が激痛(北風)を与えているのでなく、激痛の犯人は癌、つまり
桐山アゴン宗そのものだと気がつく。
あなたみたいに私が北風、桐山さんを太陽だと思っているうちは無理です。
あなたは桐山太陽にあたり、服ばかりか、財布も知性も羞恥心も脱いでいる。
- >>120:神も仏も名無しさん :2012/09/07(金) 18:30:44.68 ID:FJKjOHQ8
>【北風と太陽】と言う寓話が在るよね深ちゃんは
寒いのか暖かいのか?どちらですかね。
あなた方アゴン宗信者にとって、ここは北風のように辛く冷たいスレかもしれない。
しかし私はここは根本的に太陽スレであるとさえ言えますよ。
北風があなたの外套を強制的に奪ってあなたが凍えても、残るのは北風である
我々批判側への怨みだけです。
しかしそう捉える必要はない。
我々の批判を読んで自らの判断、意志で外套を脱いだ人にとっては、我々に感謝
などされなくてもよいが、明らかにアゴン宗の欺瞞から離れたことによって
救われるからです。
太陽があなたの外套を剥ぎ取った。しかしその外套はもともと必要のないものであり
逆にあなたに異臭を与える臭い外套だったのですから。
外套に未練がなくなります。
北風の力で強引に剥ぎ取ったら外套に未練が残るじゃないですか?
しかし掲示板なんだからお互いに目に見えない同士の交流なんだから
強引に外套を脱がすことは有り得ない。
外套を脱ぐ時は常にその人の自主的な判断、意志です。
これを促すのは太陽しかない。
- >>120 :神も仏も名無しさん:2012/09/07(金) 18:30:44.68 ID:FJKjOHQ8
>深山さんは、途轍も無い悲願を抱えて生きていらっしゃるご様子。
>他人の苦役を見過ごしに出来ない、阿弥陀様みたいな人格らしい。
>一つの宗教を潰したいなんて大それた野望は無いですね。
あなたは私がアゴン宗壊滅、信者救済の野望を持っているかのような
言い方だが、それはあなたの信仰しているアゴン宗の姿です。
あなたは鏡に映った自分の愚かな姿を笑っているのです。
桐山さんは、霊障のカルマを壊滅させ、地球と人類を救済すると宣言した。
焚き火で霊障の死者を成仏させ、地球壊滅から人類を救済する!?
これがあなたの信じていることです。
読んで恥ずかしくないか。
ヨレヨレのエロ教祖が焚き火で人類救済なんて「途轍も無い悲願」です。
焚き火で死者を成仏させるなんて「他人の苦役を見過ごしに出来ない、
阿弥陀様みたいな人格」なのでしょう。
つまり、これにあてはまるのは、私ではなく、桐山さんと
桐山さんを信じているあなたです。
他人をあざ笑ったつもりが、あなたの姿そのものです。
こんなふうに簡単に逆手に取られて笑われることをあなたは予想せずに
上記を書いたのでしょう?
驚くほどあなた方信者は自分の姿が見えないのがおもしろい。
桐山さんがそうで、自分に一番あてはまる問題点を信者にお説教していた。
あなたも桐山さんも、自分が口の周りにご飯粒をつけたまま、「あいつ、
子供みたいに口の周りが汚れている」と他人をあざ笑っているようなものです。
- ■仰天検索■
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世の中じたいがオカルト。社会の最上層と裏勢力が組んで事件、流行、「社会常識」「世間」を捏造している。
宗教は政治と深く結びつく。集金集票スパイ機能があり、大衆操作やショックドクトリンにも応用できるから。
- >>119のように深山のような基地外を擁護するアホいるのか?
阿含宗を恨んで女の腐ったような書き込みしている深山やユビにその他の馬鹿ども。
そんなに阿含宗が憎いならこんな所で中傷していないで行動を起こしてみやがれ!
チキンだからそんな勇気ないよな。(笑)
- >>132
あなた知らないのですか?
返金請求の裁判が今、進行していますよ。
しかも複数。
実際行動に出る人が増えています。
- >>132
>こんな所で中傷していないで行動を起こしてみやがれ!
行動って?
ん?
どんな行動?
集会?
デモ?
中国人や韓国人みたいに?
別院や総本殿の前で叫びながら
桐山氏の顔写真
ちぎって
燃やして
踏み潰せばいいのかな(笑)?
もっと冷静になろう。
- >>132 :神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 02:01:53.38 ID:u79c+d2v
>阿含宗を恨んで女の腐ったような書き込みしている深山やユビにその他の馬鹿ども。
>そんなに阿含宗が憎いならこんな所で中傷していないで行動を起こしてみやがれ!
>>135さんも書いているように集会やデモや訴訟などを行うだけが行動ではない。
こうゆうネットの場でアゴン宗の嘘や偽りを暴き信者やアゴンに関心のある人々に警笛を鳴らすのも立派な行動です。
これによって本当のことがわかりアゴン宗のエジキになる人が一人でも減ればそれは立派な善業です。
あなたの罵倒は善業を非難し悪行に加担している恥ずべき行為でしかない。
- >>132 :神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 02:01:53.38 ID:u79c+d2v
>そんなに阿含宗が憎いならこんな所で中傷していないで行動を起こしてみやがれ!
>チキンだからそんな勇気ないよな。(笑)
そんなに批判側が憎いなら罵りや中傷していないで反論をして「みやがれ!」
「チキンだからそんな勇気ないよな。(笑)」
あなたは桐山アゴン宗に頼らないと自分では立てない。
チキンは脅えても自分の二本足で立っているのだから、
あなたはチキン以下です。
能力以上に欲張りだから、足りない分を運でカバーしてもらい、
自分で努力した分で満足できないほど欲望が強いから、仏のくれる好運に頼る。
あなたは桐山さんから、欲望という疑似エサをぶら下げられて、
それに食いつこうと必死になっている宗教家畜です。
チキンは疑似エサに何度も食いつくほどバカではない。
横変死の因縁やガンの因縁におびえ、地球壊滅で悲惨な死に方をしたら
どうしようかと、桐山さんから恐怖心を首に巻き付けられて、
ビクビクおどおどしているあなたの姿はチキン以下です。
なぜならチキンはありもしないことに恐怖は持たない。
あなたはただの宗教依存症という病人です。
桐山アゴン宗の現実を示されても、それに対峙するだけの「勇気ないよな。(笑)」
こんなふうにあなたの罵声はそのままあなた自身にもっともあてはまる。
あなたは鏡に向かって罵声を投げつけるのが大好きらしい。
- >>132 :神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 02:01:53.38 ID:u79c+d2v
>そんなに阿含宗が憎いならこんな所で中傷していないで行動を起こしてみやがれ!
さすがは、ネットでの書き込みを禁止した桐山さんの信者だけあって、
時代錯誤も甚だしい。
近年、中東で何が起きたかあなたの目には入らないらしい。
ここ数年で起きた中東の革命はネットを使ったから起きて、
ネットを使ったから成功したのです。
あなたも桐山さんも出版などマスコミが表で、
ネットを裏だと見なしている。
パソコンも使えない頭の古い桐山さんなら当然だろうが、
使っているあなたのような信者が時々こういう時代錯誤の
発言をするから、信者観察が面白いのです。
それで練脳塾で仏陀の智慧を目指しているんでしょう?
世間の常識すらないのに高度の智慧を獲得するなどとホザクから、
爆笑アゴン宗なのです。
- >>132 :神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 02:01:53.38 ID:u79c+d2v
>そんなに阿含宗が憎いならこんな所で中傷していないで行動を起こしてみやがれ!
桐山さんは「霊的エレクトロニクスの時代」なんて訳のわからない
キャッチコピーを使い、自分やアゴン宗こそは最先端にあり、
人々に時代に取り残されるぞと警告していた。
だが、その彼は当時のワープロすら使いこなせなかった。
導入した経理は伝票制度だった。
通信衛星を購入した時は、自分こそは時代の最先端を行くと自慢していたが、
朔日護摩以外には使いこなせなかった。
せっかくの衛星なのだから効果的な方法が提案されていたのに、
信者から金を取ることしか考えていないから、値段の高いオモチャで終わった。
ニューヨークで護摩を焚いた時も、一般では初めて衛星で生中継を
したなんて自慢していた。
無知丸出しです。
ネットが発達した時代に、値段の高い衛星通信なんか使うはずもない。
双方向通信も、自分たちのやり方で特許が取れるなどと自慢していたが、
世間では家庭でテレビ電話ができたことも知らなかったのでしょう。
ネットの価値もわからないあなたのその時代錯誤ぶりは、年齢の問題ですか、
それとも知性の問題ですか。
- >>132 :神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 02:01:53.38 ID:u79c+d2v
>そんなに阿含宗が憎いならこんな所で中傷していないで行動を起こしてみやがれ!
相変わらず国語力は壊滅状態ですね。
私のどこがアゴン宗が憎いのだ?
私の文章のどこを読めば、憎いという感情が読み取れるのですか。
具体的に指摘してみなさい、と前から信者に言うのだが、
もちろん、あなた方は示せたためしがない。
読み取るなら、憎しみではなく、怒りを読み取りなさい。
たいてい擁護側は反論できないことをすり替えるために、
あなたみたいに、批判側は桐山憎しで書いているというか、
宝生さんみたいに、創価の回し者だというか、どちらかですよね。
それも元を正すと、桐山さんからそう言われて、鵜呑みにしている。
桐山さんは、他教団からのアゴン宗批判を「男の嫉妬」と法話で言っていた。
本をたくさん書き、派手なイベントをして、ガンガン信者を獲得している
アゴン宗を妬み、桐山さんがうらやましいから、他の坊さんが嫉妬しているのだという。
まさに、シワだらけのバアサン芸者の自慢セリフです。
大作さんに男の嫉妬をしていたのは桐山さんです。
口を極めて大作さんを罵るのを私は何度も聞いた。
自分の嫉妬を、他人が嫉妬していると言い換える。
あなたも同じですよね。
何も反論できないから批判側が憎い。
それを批判側がアゴン宗を憎んでいると言い換える。
あなたは実に良く桐山さんの悪い所だけは学びとっていますね。
- >>132 :神も仏も名無しさん:2012/09/08(土) 02:01:53.38 ID:u79c+d2v
>阿含宗を恨んで女の腐ったような書き込みしている深山やユビにその他の馬鹿ども。
細かいことだが、「女の腐ったような」は差別用語だから、使わないほうがいい。
あなたの教養と品性の低さを示す言葉です。
あなたの文章には、悔し紛れの「男の腐ったような」臭いが漂っている。
桐山さんが大作さんに嫉妬して罵っている時の臭いと同じです。
具体的な冷静な批判はなく、ただただ大作さんがうらやましくて仕方ない。
「おれにあれだけの権力があれば・・・」などと言っていた。
言葉と表情からは、権力が欲しい、金が欲しい、信者数が欲しい、
そしてこれらを持つ大作さんが羨ましい、悔しい、憎らしいという感情が溢れていた。
これが解脱者を自称する宗教家のいう言葉か。
仏教徒なら権力、金、異性を捨て、離れるのが当然なのに、
それらを大量に保持し満喫している大作さんが桐山さんは
うらやましくて仕方ないのです。
その時は私はまだ桐山さんを自分の師だと扇いでいたが、
師としてよりも、男として情けなく感じた。
桐山さんには、高楊枝をくわえて高笑いをしてほしかった。
だが、大物俗物を前に、桐山さんは歯ぎしりをするように
「男の腐ったような」臭いを漂わせていた。
あなたの文章から、それを思い出しました。
- そもそも、オシャカの成仏ホウや成仏力とは何か?それは確認できるのか? いや、確認した人がいるのか?
桐山さんによれば オシャカの成仏ホウとは七科三十七道品らしい。
しかし、有志の皆さんが阿含経を調べ上げた結論は、七科三十七道品とは煩悩を消滅させる為の方法を述べた体系であり
桐山さんが主張しているカルマを切る方法などその体系にはないと言う。当然、霊障などとは全く無縁のものでもあります。
つまり、カルマ切りとは全然関係ない七科三十七道品でカルマ切りを修得したと桐山さんは言っていることになる。
カルマ切りを修得しその力(成仏力)を得たと言っている。でも、釈尊は煩悩を完全に切る方法を示しただけだった。
それでは釈尊がウソをついているのか?? それは本末転倒でしょう。
桐山さんがウソをついたと考えるしかない。だいたい桐山さんの成仏力って何? 証明されたことあるの?
ここまで来ると、成仏ホウや成仏力は信者を騙して金取る手段だとしか思えないね。
- キリヤーマさん、自主してください。これ以上、信者を騙したり、囲ったりしないでください。
懺悔しなさい。
- >>133
私も行動おこしたいのですが。もし桐山管長亡くなっても返金訴訟できますか?
- >>146
返して欲しいという人には金返してあげればいいんだよ、
前例をつくると皆が金返せ返せと殺到するのが怖いの?
そんなにケチな仏教団体なのかい?
自分達のこれまでやってきたことによっぽど自信がないのかな?
懐のデカイところを見せてやるチャンスなのにバカだよなあ〜
金返せ裁判で仏教団体が争ってどうすんねん。
破産してでも返してあげれば世間の目はガラリと変わるのだよ
惜しい惜しい。
と私は正直ぉもいますけどね。
- 馬鹿だから払ったんだから 自己責任だろ?w
- >>146
過去ログに裁判に関することが載っていました。
領収書の日付から3年だったか5年以内なら、返金訴訟が
できるよぷなことが書いてあったような記憶もあります。
過去ログを探してみるといいと思います。
それか詳しい方のアドバイスを待ってみてはいかがでしょうか。
- >>149
それは騙される方が悪いと言うことか?
- >>151
少し違いますよ。
自分が、「やっぱり、やっぱり騙されていたんだー!!」と、ある日自覚したとします。
その自覚した日から5年以内なら裁判できますが、5年過ぎるとすべて時効となります。こういうことです。
それから、たしか裁判手続きをした日から20年さかのぼって返金対象の期間となります。その間もどんどん時間は過ぎますが
時間を停止して時効が進まない措置をとれるそうです。その辺のことは
今裁判中の弁護士さんに聞いたほうがいいでしょう。
でも、やるなら今ですよ。どんなに呆けていようが桐山が生きているうちに罰を与えなくてはいけませんから。
それが気付いた者のせめてもの罪障消滅でしょうから。
- オシャカの成仏ホウ = 七科三十七道品
成仏リキ = カルマを切る力
桐山さんは釈尊の七科三十七道品を修行してカルマを切る力(成仏リキ)を得たと述べた。
しかし
専門家や有志の方が阿含経を調べ上げた結論は
「 七科三十七道品 = 煩悩を消滅させる為の方法を述べた体系 」
であり、そこにはカルマを切る方法など微塵も説かれていなかった。
釈尊は阿含経でカルマを切る方法など少しも述べていません!
煩悩の切り方を述べているだけです。
それなら
七科三十七道品を修行して成仏リキを得たと言う桐山さんの主張は何なんだ?
ありもしない修行で得られた「成仏リキ」とは何か?
それは、ウソ・ハッタリと言わざるをえない。
もしそうでないなら、「成仏リキ」とやらを皆の前で見える形で現し示してもらいたい。
だが、それは出来ないでしょう。
出来るなら既に修行させて多くの弟子が育っているはずです。しかし、いまだ一人の弟子もカルマを切ることなど出来ません。
結局これは絵空事であり信者を信用させて金品を巻き上げる道具でしかない。
- 阿含・桐山杯第19期全日本早碁オープン戦決勝
http://www.nihonkiin.or.jp/news/2012/09/19_2.html
対局者 張栩棋聖 vs 林子淵七段
日 程:平成24年10月6日(土)
会 場:阿含宗本山総本殿・釈迦山大菩提寺(京都)
観戦者200名、指導碁40名募集!
阿含・桐山杯 第19期早碁オープン戦決勝の模様を大盤解説します。
囲碁の奥深さ、醍醐味をお楽しみください。
【 大盤解説者 : 二十四世本因坊秀芳 聞き手 : 大澤奈留美四段 】
日 程:平成24年10月6日(土)午後2時から
会 場:阿含宗本山総本殿・釈迦山大菩提寺 (京都市山科区北花山大峰)
応募方法:
ご応募はこちらのページ https://ssl.nihonkiin.or.jp/kiriyama/index19.html から
必要事項をご入力ください。
先着で大盤解説入場者200名、指導碁参加者40名様をご招待いたします。
お早めにご応募ください。
- >>155
訂正ありがとうございます。
うろ憶えだったので、フォローしていただいて助かりました。
自覚してから5年、20年遡ることができる
この2点がポイントですね
- >>159
もう一つのポイントをいいましょう。
それは、護摩木の法施、墓、諸々の基金の領収書、解脱供養、メイトク供養の戒名や領収書
これは、絶対に必要になります。絶対に手放してはいけません。あと、自分に恐怖を植え付けた職員と先達の名前。
- >>146 :神も仏も名無しさん:2012/09/10(月) 06:44:13.62 ID:+3V42mq2
>私も行動おこしたいのですが。もし桐山管長亡くなっても返金訴訟できますか?
ぜひ早めに弁護士に相談してみてください。
宗教や信仰そのものは裁判の対象にはなりにくいので、
宗教を用いた詐欺事件という金銭的な被害として訴えることになります。
領収書などがあるにこしたことはないが、完璧にそろっていないと
ダメということではありません。
弁護士に相談する時、「昨年から東京地裁で同様の裁判が起きていると聞いている」と
話してみてください。
弁護士なら簡単に調べて、資料などを閲覧できます。
これは何をどう訴えるのか、アゴン宗がどのような反論をしているのか、
という点の参考になります。
先に道筋をつけてくれているという点で弁護士はやりやすいはずです。
- >>151
>>146
過去ログに裁判に関することが載っていました。
領収書の日付から3年だったか5年以内なら、返金訴訟が
できるよぷなことが書いてあったような記憶もあります。
過去ログを探してみるといいと思います。
それか詳しい方のアドバイスを待ってみてはいかがでしょうか。
時効は20年です。領収書と先達から、アドバイスを受けた言葉。なぜ申し込もうとしたか、
例えば、桐山さん、あるいは某先達が、はファミリーの親が、解脱供養しなければ、あなたのその因縁解脱修行宝鑑にある、横変死の
因縁は免れないと、恫喝された。等‥。因縁解脱宝鑑は証拠になりますね。
桐山さんの法話、および定例会等のお金と人を集めて来いの肉声ビデオ。
阿含宗報等、あと諸々の著書。呼び掛けのちらし。あと地区会等での、
職員や、先達、世話役の言葉、道場建立で出したお金など返してもらましょう。
海外まで、修行にいってませんか?
どえらい証拠があれば、裁判まえに、示談して下さいと。阿含宗に泣きが入るかもですね?
グループで訴訟するのが、いいと思います。
- あなたが、お喜捨した浄財は、愛人のお手当、勲章のためのワイロ、○田の
私腹になっているんです。
返してもらいましょう
- 責任を逃れるために先達や職員が辞めたのか
- 773 :ガンダルヴァ:2010/01/09(土) 13:50:51 ID:byHvmCEE
>>747
> 四諦について管長猊下は「愛のために知恵を、知恵のために愛を」の203ページから
> 懇切丁寧に解説してくださっています。
> 「おまえ苦しくないか」
> 「それは集めているからだよ」
> 「なにを集めているのでしょうか」
> 「苦の因になるものだ」
> 「苦の因になるものとはなんでしょうか?」
> 「苦を生ずる縁だ」
> 「……?」
> 「苦を生ずる因と縁をいろいろと集めて、背負って歩いている。
> 苦しむのはあたりまえじゃないか」
> ここで管長猊下は「苦」の原因を「因縁」と分かりやすく説明しています。
あなたはインターネットを使えるのだから、過去ログくらい読んではいかがでしょうか。
ゲイカは四諦の説明で、苦の原因を「因縁」としています。
しかしこれは誤りなのです。
釈尊は、苦の原因を「運命の因縁」としていません。
釈尊は、苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりとお説きになられています。
一例を示しますが、ご自分で確かめてください。
相応部56−11如来諸説(増谷文雄 阿含経典 第三巻p256
比丘たちよ、苦の生起の聖諦はこうである。いわく、迷いの生涯を引き起こし、
喜びと貪りを伴い、あれへこれへと絡まりつく渇愛がそれである。
。すなわち、欲の渇愛・有の渇愛・無有の渇愛がそれである。
- >>773 :ガンダルヴァ
>ゲイカは四諦の説明で、苦の原因を「因縁」としています。
>しかしこれは誤りなのです。
>釈尊は、苦の原因を「運命の因縁」としていません。
>釈尊は、苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりとお説きになられています。
なるほど。
ここが桐山さんの誤魔化し and すり替えテクニックの原点なのですね。
まるでマジックのように信者の頭の中で入れ替えて見せた。
ここからは桐山さんの独壇場です。
入れ替えた「因縁」というKey Word を使ってトランプ手品のように更なるダマシにかかる。
なんと凄い宗教詐欺師だこと。
- ウソの原点をよく見よ!
桐山ゲイカ → 苦の原因を「因縁」とした。 ここでは悪い因縁を言う。
釈尊 → 苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりお説きになった。
つまり、これがダマシの原点だ。「因縁」というキー・ワードを使ってトランプ手品のようにすり替えて見せた。
以後、信者はずっと騙され続けているのです。
- >>166
>相応部56−11如来諸説(増谷文雄 阿含経典 第三巻p256
>
>比丘たちよ、苦の生起の聖諦はこうである。いわく、迷いの生涯を引き起こし、
>喜びと貪りを伴い、あれへこれへと絡まりつく渇愛がそれである。
>。すなわち、欲の渇愛・有の渇愛・無有の渇愛がそれである。
したらば掲示板 「阿含宗と桐山氏について 第五十九章」から抜粋
329 :名無しさん:2012/05/27(日) 13:51:15 ID:5WTRwxgw0
愛(渇愛)は「欲愛」、「有愛」、「無有愛」の三つに区分されていますが、その詳細を最近遅まきながら知りましたので
ここに書き出します。
◎「欲愛」は刺激欲。感覚器官からの刺激を求める心で、感覚的、官能的、肉体的欲望であり性欲などがこれにあたる。
◎「有愛」は存在欲。生きることを渇望する心、生命への強い執着がこれになる。
◎「無有愛」の場合は少し複雑で
・一つは「虚無への渇愛」、「生存の滅無となることを欲する妄執」(中村元の仏教語辞典)だとするものでこれがたぶん主流派。
・もう一つは抽象化された事物への欲望と見る説で、「抽象的な事柄(地位、名誉等)に対する欲望」だとする者(増谷文雄)や
「繁栄欲、財産欲」だと する者(木村泰賢)。ようするに抽象化された事物への欲望と見る説です。
で、増谷文雄博士などは「無有愛」を抽象的な地位、名誉等に対する欲望と見ておられるのです。
であるなら、位階をあるが上にも欲しがる桐山ゲイカは「無有愛」がとても強いと言えます。
桐山ゲイカはE川さんとの件で「欲愛」を曝け出し、位階などの欲望で「無有愛」を曝け出し、
今、輪廻転生瞑想法で生命への強い執着である「有愛」を曝け出している。三つ全てを曝け出したと言えましょう。
アゴン宗に在籍していた私達にとって渇愛(タンハー)はある意味、特別な言葉でした。
なぜなら桐山さんは渇愛(タンハー)こそが後有を起こす大本だとして、当時これを前面に打ち出してアピールしていましたから。
その方が一番渇愛(タンハー)に毒されていたとはお笑いにもなりません。
- >>160
>あと、自分に恐怖を植え付けた職員と先達の名前。
これは何と言ってもやっぱダントツ一位は
大大大先達の桐山靖雄さんでしょう
★世紀末に地球が壊滅するかもしれない
★日本に3発目の核兵器がおちる
★横変死の因縁で皆、畳の上で死ねない
★このままではあなたの人生、苦しみ怨念で死んだ先祖と同じような苦しい悲惨な人生に成る
そう成りたくなければぁ〜
解脱供養に〜
冥徳供養に〜
護摩木勧進に〜
無料奉仕活動に〜
オマケに
「言っておくがやってもらってる訳ではないんだ、こちら側がさせてやっているんだ、そこら辺を勘違いしてもらっては困る。」
と一言リップサービスまで付く。
信者は何事に対しても
「させて頂きましてありがとうございます」と言わされる。
お金を払っても
「ありがとうございました」
無料奉仕しても
「ありがとうございました」
お金を貢がせ無料奉仕させた上に
ありがとうございましたと頭まで下げさせる
高慢チキ増上慢なタイプにはおかしくてやめられない職業だ
これぞ究極の恐怖洗脳。
そう言えば桐山靖雄さんよく言ってたな
「私は人に頭を下げるのが大嫌い、だから作家か宗教家くらいしかなれなかったのだろう」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1493821114
ところで自称サラリーマン桐山靖雄さんの今月の給料ってどのくらいなんでしょう?
先祖供養や御英霊供養とかでボーナスとか年収とかいったいどの位稼いでんの?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1493821114
- >>163
阿含宗をもし訴えると仮定すると、債務不履行つまり契約違反(民法415条)か不法行為(民法709条)
が考えられます。契約違反の時効は、10年(民法167条)、不法行為の時効は「被害者又はその法定代理人
が損害及び加害者を知った時から3年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から20年
を経過したとき」に時効となります。ただし、催告をした場合は、これが伸びる場合もあります。(民法147条)
ある行為が、詐欺と契約違反の両方に該当する場合は、どちらを理由とする訴えも可能です。
なお、不法行為で訴える場合は、訴える人が立証責任がありますが、債務不履行の場合、債務不履行の事実
自体の立証責任は訴える人にありますが、それ以外は、訴えられる人に立証責任があります。ですから、
不法行為での立証が難しい場合、わざと債務不履行で訴えるケースもあります。
- 宗教問題が裁判になじむか、という問題は昔からありました。かって創価学会が日蓮正宗の檀家団体
だった時期に、日蓮正宗の総本山大石寺の日蓮直筆の曼荼羅がニセモノかどうかで争われた曼荼羅事件
で、最高裁判所は、裁判所法3条1項の反対解釈から、裁判所は宗教問題には介入しない、という判断
を下しています。ですから、純然たる信仰の問題には裁判所は介入しません。しかし、大正時代に浄土宗
のお寺が信徒の永代供養をする条件で寄付金を受け付けていながら、実際には永代供養をしなかった事件
で、当時の大陪審(現在の最高裁判所)は、宗教行為を目的とした契約も裁判の対象になる、と認め、寺
側に損害賠償を認めています。
最近では、創価学会や幸福の科学などの団体が裁判を多数しているので、この方面の判例(最高裁判所
の判決)が多く存在し、昔よりも裁判はやりやすいと思います。
そのあたりの判断は、弁護士さんに相談すると良いでしょう。
- 禁酒法時代のギャング、アルカポネは、数々の犯罪をしましたが、証拠がないので、有罪にできません
でした。そこで、当局は脱税の証拠を見つけて、投獄しました。最近では、医者が医療過誤をしても、証拠
を医者が全部握っているので、立証が難しいケースが多発しました。そこで、医療過誤自体の立証は諦めて、
代わりに、患者に説明を十分にしなかった、という付随的な義務違反での債務不履行を請求し、勝訴する
ケースが増えています。刑事訴訟では、この種の「別件逮捕」は、法律違反(憲法38条2項及び刑事訴訟法319条1項)
ですが、民事訴訟では,実務では、頻繁にされています。
ですから、自分では取るに足らない部分と思える証拠や事実でも、弁護士から見たら「宝の山」
という事はあります。そういう事も頭に入れて、弁護士に相談しましょう。
- >>168
ウソの原点をよく見なさい!
桐山ゲイカ → 苦の原因を「因縁」とした。 ここでは悪い因縁を言う。 →『 因縁解脱 』を目標
釈尊 → 苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりお説きになった。→『 漏尽解脱 』が目標
桐山さんは苦の原因である「渇愛」や「煩悩」を「因縁」と言う言葉にすり替えたんです。
ダマシのテクニックが分かりましたか?
桐山さんの言う「因縁」とは「肉体障害の因縁」、「後家の因縁」、「中途挫折の因縁」、「ガンの因縁」などで
これは四柱推命などの運命学で言う星に当たり、それを勝手に「因縁」という言葉で置きかえ、これを教義にすりこませた。
これを見ても如何に仏教から外れたことをしているかが分かるでしょう。
釈尊が指摘した「渇愛」や「煩悩」は運命学の星とはまったく関係ありません。
名前はアゴン宗でも、釈尊が説かれた内容とは全然関係ないことをやっている教団です。
ラベルはアゴン宗でも中身が全然違う。
これを詐欺といいます。
昔、桐山さんがやった偽ビールの詐欺事件と本質はかわっていません。
あの時も偽のラベルを貼ったんですよね。
- とても懐かしいスレを発見致しました。退会者の皆様、お元気でしたか?
確か私がここにきていたころは150番台だったと思います。もう214番目なのですね?
まだまだ色々な展開があるみたいですね。宗教の枠を超えた時に、ようやく
縛られていた、価値観思想から打開できて、本当の真の自由の身になる。
これこそ本当の解脱です。依存してはいけません。甘えてはいけません。
支配&コントロールの世界、そして共依存ではいつまでも苦しいままです。
お金で解決できる世界でもありません。自分自身の中にある深い愛に目覚める時です。
もう因縁だの霊障だのっていう時代ではありません。
そのために多額のお金も使うことはありません。
早く気付いて欲しい。もう自由なのですから。もう修行の時代は終わりました。
宗教の価値観思想にこれ以上自分自身を縛ってはなりません。
今まで使ってきたお金はすべて自分自身と愛する家族たちへ使う時です。
おいしいものを食べ、温泉に行って肉体を癒し、日々生かされていることに感謝して、
そして、ゆとりあるものは、貧しい子供達の支援ボランティアなり、
動物愛護でも、自然環境保護でも東北復興支援等、この地球 そして世界に目を向けて
ご自身の深い愛を殺処分寸前の動物や他者へそして国へ地球へと注いでください。
これこそ、本当の徳積です。私はそう思います。特別な事ではありません。
今、自分ができることから始めてください。きっと道は開かれて行きます。
どうか多くの人達が自分自身の内側にある深い愛に目覚め、
慈悲と慈愛と自愛に気づきますように。
- http://www.agon.org/news/news_detail.html?topics=281
阿含宗提供 敬老の日 ラジオ特別番組のお知らせ
「 心の旅 〜 素晴らしい人生、輝く命を訪ねて 〜 」
来る9月15日から17日にかけて、全国14のラジオ局で、阿含宗提供「敬老の日特別番組・心の旅 〜素晴らしい人生、
輝く命を訪ねて」が放送されます。
この番組は、86歳のおばあちゃんと小学6年生の孫の男の子が、敬老の日に色々な人生の達人を訪ね歩いて、その素晴らしい
生き方を紹介しながら、達人ならではの「生きることの大切さとその喜び」についての素敵な話を聞き出します。
登場する達人の皆様は、57年間日本の心を歌い続ける男声コーラスグループ・デュークエイセスのリーダー谷道夫さん。
7年前、阿含・桐山杯で優勝して最年少タイトル獲得の記録を作り、本年、第67期の本因坊となった井山裕太さん。
エレキを弾き続けて50年、エレキの神様と呼ばれる寺内タケシさん。
そして映画俳優として200本を越える映画に主演して、いま老練のミュージカルスターとして活躍を続ける宝田明さん。
最後は、阿含宗の桐山雄管長猊下と対談して生きることの素晴らしさを語る女優歴70年の中村メイコさん。
様々な分野で活躍する達人たちを訪ね歩くおばあちゃんと孫の旅は、時間と空間を自由自在に飛び越える
「バーチャルな出逢いの旅」。
- >>177続き
番組のリスナーは、いつしかおばあちゃん達と一緒に「心の旅」を楽しみながら、敬老の日に相応しい「生きることの
大切さと命の輝き」に感動を覚えます。
阿含宗提供、ファンタスティック・ラジオ・ドキュメント「敬老の日特別番組・心の旅 〜素晴らしい人生、
輝く命を訪ねて〜」は、下記の日時、放送局にて約1時間放送されます。どうぞ、ご期待下さい。
STV 札幌放送 北海道 9月16日(日) 22:30 IBC 岩手放送 東 北 9月16日(日) 20:00
TBC 東北放送 東 北 9月16日(日) 20:00 RFC ラジオ福島 東 北 9月16日(日) 20:00
R F ラジオ日本 関 東 9月16日(日) 23:00 BSN 新潟放送 関 東 9月17日(月) 18:00
MRO 北陸放送 北 陸 9月17日(月) 19:00 S F 東海ラジオ 東 海 9月16日(日) 19:00
KBS 京都放送 関 西 9月16日(日) 20:00 OBC ラジオ大阪 関 西 9月15日(土) 19:00
CRK ラジオ関西 関 西 9月16日(日) 11:00 RCC 中国放送 中 国 9月16日(日) 24:00
JRT 四国放送 四 国 9月17日(月) 20:00 KBC 九州朝日放送 九 州 9月16日(日) 22:30
- 新仏教用語【桐山十号】
桐山の悪業を示す10種の呼称。
桐山 嘘付・・・桐山と言えばコレ。嘘八百といえば桐山と言われるくらい、嘘は桐山の友達。
桐山 百枚舌・・・二枚舌どころか百枚舌。息を吸うように嘘をつく桐山。
桐山 詐欺師・・・人を騙さないではいられない天性の詐欺師。桐山は生まれながらの詐欺師。
桐山 盗人・・・斎藤擁道氏の九星日盤鑑定や他人の本をパクっても平気な桐山の盗人魂は筋金入り。
桐山 改竄・・・経典改竄など朝飯前。数多くのデタラメ解釈に加えて、三福道の経典改竄は桐山にしか出来ない悪党っぷり。
桐山 不倫・・・I川との泥沼裁判は記憶に新しい。不倫をしても平気な桐山。道徳なんてヲレ関係ねえぜを地で逝く悪党っぷりに閉口。
桐山 飲酒・・・元旦早々、信者の前で酒食らって酔っ払って「汚護魔の後の酒はうまい」と抜かす破戒僧ぶり。
桐山 破戒・・・五戒を守ることすらできず、コスプレ僧を演じて「ヲレ大阿闍梨侶」と言い続けてきた偽阿闍梨には驚き
桐山 無責任・・・職員に責任をなすりつけてすたこらさっさと逃げるのは桐山の十八番。
桐山 悪逝・・・生き様そのものが悪。
桐山の悪事、ひどすぎ。
放っておいていいのかか?
- >苦しみを全く終滅すために清らかな修行を行え」
(『ゴータマ・ブッダ』中村元、初版、291頁)
と答えた。
↑「苦を終滅するために修行を行う」ということが解るね。
煩悩を無くす目的も、苦を終滅させるためなのです。
>だが、「苦の滅」がなんで「悪因縁を切る」になるのですか。
>信者さんたちも良く見てください。
>釈尊は苦を悪因縁であるなどとは言っていない。
ほんとにバッカだなぁw、釈尊は苦滅と言った。
管長は苦滅のことを、「因縁を切る」と言った。それだけのことよw。
>仏教の苦とは、四諦の苦集滅道の苦であり、その内容は次のようなものです。
「<苦諦>とは,迷いの生存は苦であるという真理であり,その代表として,
生老病死(しょうろうびょうし)などのいわゆる四苦八苦が挙げられる」
(岩波仏教辞典)
↑ほんとにバッカだなぁw。苦の代表が生老病死であるとして、では、代表以外
の苦は何ですか?ということなのよ。
苦の内容は人によって様々なのです、借金苦、職場の苦、家庭の苦、などと、
苦の種類が違う、それを管長は、人の持つ因縁が違うからと説いた。
健康な人に「病の苦を無くせ」と説いてどうなるか、あほらしい。
お金持ちに「借金苦を無くせ」と説いてどうなる、あほらしい。
楽しく人生を生きてる人に「生存は苦なり」と説いてどうなる、あほらしい。
- >では信じない人は申し込まねばよいということは、どういうことを意味しているのですか?
>解脱供養というのは施主に霊障があり、その人の運命に暗い影を与えているのだから
>これを霊視して除去しようという営みです。
信じない人は申しこまねば良いのです。申しこまねば問題は起きない。
>これを信じない人はやらなくてもよいとは、どうぞ霊障が除去できないまま
>不幸になってろと突き放す発言なんですか?
霊障があろうがなかろうが、そんなこと問題ではない。
信じない人にはそういうものは認識できない。
認識できない、とは、ないも同然です。
信じて申し込んだが、後でインチキだと気がついた場合はどうするか?
そういう場合は、自分が愚かだったのだから、授業料として諦めるしかないね。
裁判して金返せ!なんていっても、弁護士が儲かるだけでね、天下に元信者の
馬鹿さを曝すだけだね。
「良い目を見ようと、欲の皮張って、金掛けたくせに、後で金返せだとw愚か者が」
世間の人の腹の中は、↑、そういうもんさ。
いい勉強したと思って、自分の愚かさを自覚して生きるこったね。
- http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1327501856/
心と身体 [心と宗教] “阿含宗という宗教206”
704 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/02/16(木) 16:27:57.96 ID:EtJMoJH7
霊感商法対策の参考サイト
霊感商法の実態 統一教会
http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/
全国霊感商法対策弁護士連絡会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/全国霊感商法対策弁護士連絡会
弁護士紀藤正樹のLINC!/公式ホームページ(by リンク総合法律事務所)
http://homepage1.nifty.com/kito/
東京共同法律事務所
http://www.tokyokyodo-law.com/index.html
田村町総合法律事務所:ホーム
http://www.tamuraho.com/index.html
弁護士山口貴士大いに語る: カルト問題(統一協会・霊感商法)
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/cat21944653/index.html
宗教団体、霊感商法などの被害リンク集まとめ@Wiki - 被害のご相談
http://www11.atwiki.jp/anti-religion/pages/100.html
(阿含宗は「その他の被害リスト」に掲載)
宗教団体、霊感商法などの被害リンク集まとめ@Wiki - 阿含宗
http://www11.atwiki.jp/anti-religion/pages/23.html
- http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1325996544/
心と身体 [心と宗教] “阿含宗という宗教205”
339 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/01/16(月) 12:02:06.13 ID:aND7Dv4s
今やカルト宗教の元信者や関係者が裁判に出て勝訴している時代です。
創価学会では、京大卒の元公明党議員で書記長まで務めた創価学会の重鎮、矢野絢也氏が、
創価学会を相手に裁判を起こし勝訴。裁判については「矢野絢也著「黒い手帖」裁判全記録」に詳しいです。
創価学会の元信者らも訴訟を起こしています。
統一協会では、こちらのサイトの通り。
霊感商法の実態 統一教会
http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/
阿含宗でも現在、返金訴訟が行われています。
カルト宗教は元信者や関係者から批判や糾弾を受ける時代になったのでしょう。
宗教団体の悪は悪として裁かれる時代です。
宗教団体という形態そのものが問い直される変化の時代に入ったのでしょう。
信者や元信者が泣き寝入りする時代は終わりました。追い風が吹いています。
みなさんも頑張ってください。
- http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1325996544/66心と身体 [心と宗教] “阿含宗という宗教205”
>>19 霊感商法の実態 統一教会
http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/
より一部抜粋
統一教会を巡る訴訟での賠償金額
個人訴訟
9000万円余+被害実額に約70%の遅延損害金が付加・・・東京地方裁判所
5000万円・・・甲府地方裁判所
2540万円・・・東京地方裁判所
715万円・・・高松地方裁判所
献金70万円と100万円・・・広島高等裁判
集団訴訟
合計1億5800万円余(10名)・・・大阪地方裁判所
合計5373万円(10名)・・・京都地方裁判所
合計3760万円(2名)・・・福岡地方裁判所
合計2000万円(20名)・・・札幌地方裁判所
合計920万円(3名)・・・東京地方裁判所
合計820万円(2名)・・・奈良地方裁判所
合計812万8000円(3名)・・・仙台地方裁判所
合計590万円(2名)・・・福岡地方裁判所
上記は一部だけを抜粋。
詳細はhttp://www1k.mesh.ne.jp/reikan/hanketu_gaiyo.htm
個人の場合、170万円〜9000万円
集団の場合、590万円〜1億5800万円
この辺りで訴訟を起こして勝訴している様子。
- http://www.houko.com/00/01/M29/089.HTM#s1.5
民法
(公序良俗)
第90条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。
これはどう運用されるかというと、阿含宗桐山のウソで固めた一切合切が公序良俗に
反するので、その上で締結した解脱供養料や護摩木代金の未払い金の誓約や分納誓約を
履行する必要がないと言うことです。
たとえば桐山は僧侶も阿闍梨の資格も無いクセに詐称して「阿闍梨さまに三礼」と
足を頂く意味の礼をさせますが、僧籍も阿闍梨も「真っ赤なウソ」なのですから
刑事で処罰されなくともウソは「公序良俗に反する」わけですから民事では
違法と判断されます。低額の霊感商法はこの90条を適用します。
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/mede01/rireki01.html
阿含宗は一から十まで詐欺みたいなもので、そんなことにカネを払う義務はなく、
たとえ 法的に調った文書を一筆書かされていても、90条に基づいて無効と言うことです。
あなたが
「阿含宗に鐚一文払いたくない」と、思った瞬間から何の手続きも必要無しに鐚一文払う必要は無し。
この条文の適用でよく引き合いに出されるのは、ギャンブルの負け金借用書は無効で
履行義務がないと言うことです。ギャンブルは公序良俗に反するどころか法律で禁止まで
されてるから、いかに法的にも様式も調った文書を取られていても無効なのです。
だから、一筆書かされていても護摩木等の未払い金を払う義務は一切ありません。
人としての道?詐欺にカネ払うのですか?また、そうして貢いだカネが新たな詐欺行為に
使われるのですよ?犯罪に荷担するのですか?
また、民法90条は阿含宗が未払い金に対して告訴などの法的措置を執ってきた場合に
出番が来るのであって、多くは憲法20条2項に基づいて一切を拒否して終了です。
- http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1329370582/
心と身体 [心と宗教] “阿含宗という宗教 207”
315 名前:マッチポンプ先祖供養霊感商法[] 投稿日:2012/03/03(土) 17:20:04.25 ID:llc5Exmc
私の因縁宝鑑には
肉体障害の因縁強く横変死の恐れあり
とあり
横変死したくなければ
供養せよとのこと。
まさにマッチポンプ商法
不安感解消に関する消費は、
俗な言い方をすると、マッチポンプ商法に当たるものがほとんどです。
それらは、つまり、以下のような手順を辿ります。
a.不安感を発見(人の深層心理に潜む不安感を顕在化)
b.不安感を助長(皆にこの不安感を認識させる作業)
c.不安感を解消(不安感解消の商品の提案)
これが、金儲けになります。このマッチポンプ商法は、
古典的なマーケティング手法ですが、いつの時代でも効果てきめんです。
- >>183
お前はわずかの年金の中から苦労して、どうにか工面してカルトアゴンにだまされ貢がされている
お年寄りや、障害者年金から騙され使わされている人を目の前にして「騙されたのは愚かだからだ。
授業料だと思ってあきらめろ』と言えるのか?お前はそういう人間か?
さすがは現役信者だな。一般人とかけ離れた考えだな。さすが、アゴンにどっぷりはまってると最低の人間になるいい見本だな。
お前はちょっと前にここで馬鹿を晒したあの最低男だな。
またバカを晒しにのこのこ出てきたか。
他の現役信者さんたちはこいつをよく見ることです。いずれこんなになってしまいますよ。
ちょっとこいつはひどすぎますけど。
- >お前はわずかの年金の中から苦労して、どうにか工面してカルトアゴンにだまされ貢がされている
>お年寄りや、障害者年金から騙され使わされている人を目の前にして「騙されたのは愚かだからだ。
>授業料だと思ってあきらめろ』と言えるのか?お前はそういう人間か?
甘えるのもいい加減にしなさいな。年金の中から出すなら、いい年してんでしょ。
長年、何をしてノホホンと生きていたのかな?学校時代は何を学んだね?
競馬新聞の予報を信じてだね、有り金全て、アナ馬に掛けてだね、外れたら
競馬新聞を恨むのかね?
阿含宗の批判派は、せいぜいこのような↑レベルですね。
>お前はちょっと前にここで馬鹿を晒したあの最低男だな。
semiシュダオンのことだぁw!
- >不安感解消に関する消費は、
>俗な言い方をすると、マッチポンプ商法に当たるものがほとんどです。
マッチポンプは、問題起こす人と解決する人が同じな場合でしょ。
原監督が、「昔関係した女性の問題をもみ消してあげる」といわれて、
一億円騙しとられた。この場合は、騒ぎ立てる人と解決してあげる人
が同じだから、マッチポンプでしょ。
阿含宗の場合は、別に、悩みを創造してあげてるのではない。
信徒の悩みは、入行する前に既にあるわけよ。
それを解決しようと入行するのが一般的なわけね。
だから、マッチポンプとは違うね。
- >>阿含宗の場合は、別に、悩みを創造してあげてるのではない。
>>信徒の悩みは、入行する前に既にあるわけよ。
既にある悩みを増幅して脅しているのですね。
- >>阿含宗の場合は、別に、悩みを創造してあげてるのではない。
>>信徒の悩みは、入行する前に既にあるわけよ。
>既にある悩みを増幅して脅しているのですね。
これも↑ああいえばジョウユウで、要するに馬鹿は死ななきゃ治らない、
ということです。
馬鹿は騙されて苦を舐める、という法則なのです。
馬鹿者は、何処へ行こうと、馬鹿な目に遭うのです。
>馬鹿は騙されて苦を舐める、という法則なのです。
おやまあw、セミシュダオンさんの弁を総括するとアゴン宗は信者を騙していると認めたわけだねw
- >宗教団体という形態そのものが問い直される変化の時代に入ったのでしょう。
>信者や元信者が泣き寝入りする時代は終わりました。追い風が吹いています。
>みなさんも頑張ってください。
こういうの↑に騙されてその気になっても、弁護士に弁護費用で稼がれるだけ。
ほんとに、馬鹿者は世の中の餌食にされるように、できてるのだなぁ。
阿含宗の場合、管長は取引信仰を戒めている。
取引信仰は禁止、なのです。
後になって金返せ!というのは、見返りがなかったから金返せ!というわけでしょ。
その、見返りがなかった、という時点で、取引信仰に陥っているのです。
見返りがなくても文句は言わないこと、これが取引信仰ではない証です。
騙されたー!、という時点で、それは取引信仰をしていた証、なのですね。
- >>192
> 阿含宗の場合は、別に、悩みを創造してあげてるのではない。
> 信徒の悩みは、入行する前に既にあるわけよ。
> それを解決しようと入行するのが一般的なわけね。
> だから、マッチポンプとは違うね。
準シュダオンさん、もとい脳死ダヨンさん、あなたは何も分かっちゃいないですね。
阿含宗では、因縁透視と称して、長年、信者の悪因縁を付けてきたのです。
横変死の因縁などその代表例。
阿含宗の機関紙ダルマチャクラ(平成2年五月号)の12ページで、2桐山さんの法話が掲載してあります。
「今月も200枚近く因縁透視いたしましたけれど、そのうち百八十人くらいまで、大なり、小なり横変死の因縁を持っている。」
また、「因縁解脱修行宝鑑には八割の会員に横変死の因縁を付けた」とあります。
こんなのは脅しです。
新しく不安を作って悩まして、苦しめているのです。
脳死ダオンさんは、知らないだろうが、横変死の因縁を付けられて、不安に思い、
中にはノイローゼのようになった人もいるのです。
これが「悩みの創造」と言わずして何という?
桐山さんがやってきたことは、宗教的な脅し。脅迫です。
悪因縁や霊障で脅して、信者かたカツアゲしているのが実体です。
まさに宗教ヤクザ、それが桐山さんです。
- >>183おい、クソ爺。
じゃあ、詐欺を働いている阿含宗は何もお咎めなしかよ。
人を騙して解脱供養やら勧進の法施、その他阿含宗には金を納めるシステムがある。
ケチなお前さんは少額だから屁でもないが、何千万も費やした人には馬鹿呼ばわりか。
あんたのように大した費やさなければ返金など言わねえよ。
- >>190,192.194.196
いいね〜。最高だね。言うことなしだぜ。素晴らしい!カルトアゴン現役信者の頂点に
君臨する準シュダオン爺さん、すばらしいぜ!応援してるぜ〜!
カルトアゴン擁護派も全員爺さんを応援しているぜ〜。現役信者のみんなもこの爺さんを手本に
早く、一刻も早くこの爺さんのような素晴らしい人でなしになってくださいだぜ〜!
そして1日でも早くこの爺さん以上の会員の鏡といわれるような擁護派会員になってくださいだぜ〜!
- 癌の因縁があるよ
横変死の因縁あるね
怨念で睨みつけてる悪霊あるな
↑↑↑↑
これマッチ
因縁解脱法あるよ
お金払えば怨念消せるよ
阿含宗に頼めばね♪(´ε` )
↑↑↑↑
ポンプだよ?
- 華麗とは真逆の加齢 臭でバレたバレバレの準シュダオンさんwww
皆さんに食い付かれて幸福 絶倒の境地と、お察ししますw
- >>182楽しく人生を生きている人に「生存は苦なり」と説いてどうなる、
あほらしい。
さすがは外道の信者、準シュダオン。詐欺師を擁護するためであれば
ゴータマブッダ釈尊に対してさえも、あほらしいと言う。
仏教を語る資格無しだな。
- 本文が長過ぎますってレスができん。
また悪い癖出しとるな。
- >>183:神も仏も名無しさん :2012/09/12(水) 11:12:51.58 ID:jJ8sTIcC
>信じない人は申しこまねば良いのです。申しこまねば問題は起きない。
構ってちゃん、また来ましたね。
- >>183:神も仏も名無しさん :2012/09/12(水) 11:12:51.58 ID:jJ8sTIcC
>信じない人は申しこまねば良いのです。申しこまねば問題は起きない。
申し込まねば問題はないのですね。わかりました。ありがとうございます。
それは私の考えと同意です。
- >>183:神も仏も名無しさん :2012/09/12(水) 11:12:51.58 ID:jJ8sTIcC
>信じない人は申しこまねば良いのです。申しこまねば問題は起きない。
つまり解脱供養なんてインチキだから申し込まねば何も問題は起きないということです。
供養以前の霊障というのがインチキなんだから問題なんか起きるわけがない。
- >>183:神も仏も名無しさん :2012/09/12(水) 11:12:51.58 ID:jJ8sTIcC
>霊障があろうがなかろうが、そんなこと問題ではない。
>信じない人にはそういうものは認識できない。
>認識できない、とは、ないも同然です。
- あろうがなかろうがでは済まされません。桐山さんによると霊障があるから
解脱供養を受け付けているのです。なければ供養をする必要がなく、それでもする
のは詐欺です。
- 桐山さんによるならば霊眼のない凡人には霊なんかは認識できねども、
その悪い影響だけは知らず受けるわけですが、あなたによると認識できないのだから
不幸な運命に陥る影響もないと言うわけだ。
- 信じて認識した人だけが霊障を受けて不幸になるわけですね。
すると信じてない私らには霊障など無縁なわけだ。
君たち信者だけがマッチポンプごっこを楽しんでなさい。
- 「俺は霊障受けてるぞ〜♪」
「君もかい?僕もだ。霊障を信じない奴らにはこの感覚わからないだろうな。
あいつら霊障も受けずに悪い運命も反復できずお気の毒に」
- >>182 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 10:47:07.37 ID:jJ8sTIcC
>↑ほんとにバッカだなぁw。苦の代表が生老病死であるとして、では、代表以外
>の苦は何ですか?ということなのよ。
「ほんとにバッカ」は準シュダオンさんです。
この愚かな老人は辞書に書いてある文章すら理解できず、
学者の解説を馬鹿呼ばわりしている。
「<苦諦>とは,迷いの生存は苦であるという真理であり,その代表として,
生老病死(しょうろうびょうし)などのいわゆる四苦八苦が挙げられる」
(岩波仏教辞典)
生老病死しかないとどこに書いてあるのですか。
生老病死に代表される四苦八苦とは、苦のすべてです。
四苦八苦以外の苦なんてありません。
こんな簡単な文章すらも読めないなんて、準シュダオンさんの
国語力は相変わらず壊滅状態ですね。
- >>182 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 10:47:07.37 ID:jJ8sTIcC
>楽しく人生を生きてる人に「生存は苦なり」と説いてどうなる、あほらしい。
釈尊に向かって、「あほらしい」だそうです。
身の程知らずとはいえ、如来をアホ呼ばわりするとは大した者だ。
彼の書いたことは桐山さんの主張に近い。
信者さんたちの中にもこの主張に大いに賛同した人たちがいるのではありませんか。
信者さんたちも桐山さんから、因縁を切って、楽しく幸せに
生きていることを教えられているから、
「生存は苦である」なんて教えられても、ピンと来ませんね。
桐山さんは来世すらも美男美女に生まれて、楽しく生きることを望んでいる。
先に申し上げるが、私はこういう生き方、こういう人生観を
否定するつもりはさらさらない。
むしろ、世間では当たり前の生き方です。
しかし、信者さんたちに知ってほしいのは、これは仏教の考えではありません。
桐山さんや信者さんたちがこういう「楽しい人生」を
目標とした人生観を持つことは自由だが、
その人生観は仏教のそれとは正反対なのです。
桐山さんも信者さんたちも知らないようだが、
仏教は「生存は苦である」を大前提にして出来ているのです。
- >>182 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 10:47:07.37 ID:jJ8sTIcC
>楽しく人生を生きてる人に「生存は苦なり」と説いてどうなる、あほらしい。
私が批判しているのは、「楽しい人生」という人生観を
まるで釈尊が説いたかのように桐山さんが主張している点です。
それが間違いであり、嘘だと批判しているのです。
桐山さんや準シュダオンさんのように楽しい人生を送ることが価値があり、
「生存が苦である」という釈尊の説く人生観に賛成しないのは自由です。
だが、「楽しい人生」観を釈尊が説いたかのように、
それが仏道の目的であるかのように主張するのは真っ赤な嘘であり、
人々を騙す行為です。
準シュダオンさんは、彼個人の人生観と、釈尊の説いた教法の区別がつかない。
自分の人生観こそが正しいとして、釈尊の人生観を「あほらしい」と罵っている。
これは間違いであることを他の信者さんたちは理解できますよね。
信者さんたちが釈尊の「生存は苦である」という人生観に賛成しないのは
自由だが、これを釈尊の教法でないと否定したら、嘘になる。
賛成するしないは別として、釈尊は「生存は苦である」と説いたことを知り、
アゴン宗の説くところとは違うことを理解してください。
準シュダオンさんみたいにミソも糞も一緒にして、
如来に「あほらしい」と唾を吐きかけるような真似はいけません。
これでは相手かまわず吠える犬みたいです。
- 「<苦諦>とは,迷いの生存は苦であるという真理であり,その代表として,
生老病死(しょうろうびょうし)などのいわゆる四苦八苦が挙げられる」
(岩波仏教辞典)
苦諦は四諦の最初に出てくる教えです。
つまり、もっとも重要な前提、基本、土台、スタートです。
これを理解しないでは仏教は成り立たない。
ところが、桐山さんも準シュダオンさんもこれが理解できない。
というよりも、欲望ばかり強く、知性の代わりに自惚れが
脳味噌に入っているから、理解できないのです。
私は信者さんたちに苦諦に賛成しろと言っているのではありません。
「楽しい人生」を目標にするかどうかは各人の自由だが、
それを仏教が説いたというのは間違いだと申し上げているのです、
仏教を信じるというなら、まず苦諦である「生存は苦」を
理解し、受け入れるところから始まる。
だから、最初にあるのです。
そして、これが普通の人にはなかなか受け入れがたい。
多くの人たちは「楽しい人生」が目標だからです。
桐山さんも同様で、そこで彼は苦をなくし、楽を増やす因縁切りを説いた。
だが、「生存は苦」という仏教の前提を「楽しい人生」にすり替えてしまったら、
もはや仏教ではない。
つまり、アゴン宗は仏教ではありません。
信者さんたちの信仰は仏教ではない。
- 「<苦諦>とは,迷いの生存は苦であるという真理であり,その代表として,
生老病死(しょうろうびょうし)などのいわゆる四苦八苦が挙げられる」
(岩波仏教辞典)
信者さんたちが準シュダオンさんみたいに「生存が苦なんてくだらん。
楽しい人生こそが目標だ」というなら、話は簡単で仏教なんて信じないことです。
釈尊のいう苦とは、ガンや脳梗塞になるなど、
我々凡人が苦だと思うことだけを言うのではありません。
また、それらを取り除けとか、取り除けば幸せになれるとも説いていない。
生存そのものが苦だと説いているのです。
だから、我々が楽だ、楽しいと思っていることも、釈尊は苦の素だと説いた。
ありとあらゆることが苦だというのが四苦八苦です。
その実例が桐山さんです。
E川さんという色っぽく若い愛人を持つことは楽、快楽、悦楽です。
たいていの男はそれを望み、それを楽しいと思う。
だが、釈尊に言わせるとそれもまた苦の素だというのです。
事実、桐山さんの快楽であった愛人は裁判を起こし、八十過ぎの有余依涅槃の
聖者様が愛人に訴えられるというギネスブック並の記録保持者になった。
解脱者を自称する者が愛人に裁判に訴えられるなど、
一番避けるべき、一番恥ずかしいパターンです。
因縁を切って快楽だと桐山さんが思っていたことが苦そのものだった。
- 「<苦諦>とは,迷いの生存は苦であるという真理であり,その代表として,
生老病死(しょうろうびょうし)などのいわゆる四苦八苦が挙げられる」
(岩波仏教辞典)
仏教では、この世界も、我々の生存も、すべて苦であるとしている。
一部が因縁によって苦だというのではなく、全部苦だと言っているのです。
苦である理由として出されるのが、無常、無我です。
この世界は無常であり、無我だから、すべて苦だという説明です。
愛人は無常だから心も態度も外見も変わり、愛人は無我だから、桐山さんに
「千景がいないとさびチい」と言わせるほどやさしかったのに、
裁判では「暴露するぞ。いやなら金よこせ」と夜叉になった。
無常、無我などと抽象的に考えるから意味不明になるのであって、
このように具体例を見れば、常なるものもなければ、
霊魂と呼ばなければならないアートマンも存在しない。
存在するのは、苦諦を理解せず、因縁を切って楽を得たつもりで、
愛人に訴えられ、世間に恥をさらして、自業自得の苦しみを受けたエロ教祖だけです。
- >>182 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 10:47:07.37 ID:jJ8sTIcC
>楽しく人生を生きてる人に「生存は苦なり」と説いてどうなる、あほらしい。
苦諦の「生存は苦である」を理解していない人は、無常も無我も理解していないことなる。
桐山さんや準シュダオンさんです。
口ではペラペラと偉そうに無常や無我について説明しているが、
実はこの二人はまったく理解していない。
無常と無我を理解したら、もはや苦諦は当たり前です。
信者さんたちに自覚してほしいのは、
苦諦の「生存は苦である」を受け入れないなら、
あなたは仏教徒ではないし、仏教の信仰に向かないことになる。
桐山さんのように、苦も因縁次第で楽になるなどというのは
釈尊の苦諦からは絶対に出てこない。
信者さんたちが「楽しく生きている人」や「楽しく生きたい人」なら、
仏教はやめておきなさい。
阿含経かどうかなんて前に、そもそも苦諦を受け入れられない人は
仏教は信仰できないし、向いていない。
四諦の最初に苦諦があるように、これがすべての元になっているからです。
桐山さんも信者さんたちも、四諦の苦諦という仏教の入り口で
すでに道を間違えて、因縁解脱などという関係ない方向に進んでいる。
準シュダオンさんみたいに、間違いを指摘されると、
自分の無知と無能を棚に上げて、これをあざ笑う愚か者すらいる。
仏教の初歩の初歩である苦諦を爪の垢ほども理解してないからです。
- >>196 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 15:04:15.78 ID:jJ8sTIcC
>見返りがなくても文句は言わないこと、これが取引信仰ではない証です。
いいえ、違います。
勝手な定義をしなさんな。
取引信仰とは、供養に対して見返りを求めること、つまりアゴン宗はじめとして、
多くの新興宗教がしている信仰です。
詐欺宗教にひっかかったと気がついて返金を求めることとはまったく違う。
取引信仰とは詐欺宗教だとは限りません。
桐山さんのしていることは単純な御利益信仰ではないから問題になっているのです。
それが霊的な強迫です。
御利益というアメの話ではなく、霊的な強迫というムチをあてて
金品を騙し盗っている点が悪質なのです。
この点は信者も元信者も良く自覚したほうがいい。
アゴン宗は単なる御利益信仰宗教ではなく、霊感商法をするカルト宗教です。
- >>196 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 15:04:15.78 ID:jJ8sTIcC
>見返りがなくても文句は言わないこと、これが取引信仰ではない証です。
アゴン宗をカルト宗教だというと、信者さんたちは反発する。
だが、地球壊滅を説き、助かりたければ教団に帰依して、
教祖にすがれと説いたら、これだけでも十分にカルト宗教です。
「地球壊滅を説く宗教はカルト宗教である」
これを信者さんたちは良く覚えておきなさい。
あなた方は当たり前だと思って地球壊滅を説き人々を脅かし、
帰依とお金を要求するが、そういうことをするのをカルト宗教というのです。
私は桐山さんも信者さんたちもズルイと思うのが、
弱い相手には地球壊滅や霊障で脅かすのに、為政者やタレントの
前に出ると、まるで借りてきた猫のように、平和とか、先祖供養などと
きれい事を並べる、その二枚舌ぶりです。
>>177-178のように、タレントや公共の場に出ると、急に霊障の話や
地球壊滅を言わなくなる。
乙武さんに「あなたは強い肉体障害の因縁を持っている。
それは先祖の霊障によるものであり、解脱させないかぎり、家系の
因縁となって受け継がれる」と桐山さんはどうして言わないのだ?
こういう著名人たちの対談になると、普段信者に話している内容と違い、
当たり障りない平和だの死者供養だのきれい事で話をまとめる。
信者さんたちはズルイと思わないか。
私は信者時代から、桐山さんや先達たちの二枚舌、裏表の
使い分けが気に入らなかった。
それって卑怯だと思わないか。
- >>196 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 15:04:15.78 ID:jJ8sTIcC
>見返りがなくても文句は言わないこと、これが取引信仰ではない証です。
地球壊滅という根拠のない脅かしをして、しかも、そこに霊障という
霊的な脅かしをしながら、入信や護摩木を勧めるのだから、立派な霊感商法です。
アゴン宗は「地球壊滅が起きて、4割が横変死する。死にたくなければ、
アゴン宗に入信して、桐山ゲイカの成仏リキに頼るしかない」
「おじいさんがお前に祟っている。そのままではお前は
不幸な目に遭う。助かりたければ十万円出せ」と言っているのと同じです。
これは霊的な脅かしをして帰依させたり、金品を奪う霊感商法です。
元信者は加害者にもなったが、同時に被害者です。
霊感商法で霊的に「脅かされて」、お金を出したのだから、
ヤクザに嘘の内容で強迫されてお金を騙し盗られたのと同じです。
返金を要求するなど当たり前です。
準シュダオンさんのような屁理屈男はどうでいい。
問題はこれを読んでいる他の信者さんたちです。
自分が単なる御利益信仰をしているのではなく、霊的な脅かしをする
霊感商法の片棒を担いでいるのだと自覚することです。
- >>196 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 15:04:15.78 ID:jJ8sTIcC
>見返りがなくても文句は言わないこと、これが取引信仰ではない証です。
根拠もないのに、因縁がある、霊障があるなどと他人に告げたら、
それだけでも信者さんたちは霊的な強迫をしたことになる。
あなた自身は他人を脅かしたつもりはなくても、霊的な強迫です。
霊障解脱の護摩木を一本書かせたら、極端な話、それだけでも霊感商法です。
なぜなら、信者さんたちは悪因縁も見えないし、霊障もわからない。
根拠としているのは霊能力などないことが暴露され、
地球壊滅を二度も外した桐山さんの霊能力です。
アゴン宗の霊感商法は社会的な犯罪ではないから、裁かれない。
だが、裁かれないなら何をしても良いのですか。
元信者から裁判に訴えられたのは桐山さんやアゴン宗だけではなく、
信者さんたちも同じなのですよ。
根拠のない霊的な脅かしで他人に入信や護摩木を勧めれば、
宗教ヤクザと同じだから、立派な悪業です。
悪業を為せばやがて自分に返ってくると信者さんたちも信じていますよね。
だったら、霊感商法の手伝いなどするものではない。
釈尊はこの世界は苦なのだから、御利益を願うのでもなく、
先祖を供養するのでもなく、霊障を解くのでもなく、
ただ自分の煩悩を無くせと説いているだけです。
どこにも霊的に他人を脅かせとか、焚き火で救えとか、
相手に応じて二枚舌を使い分けろなんて説いていない。
- <阿含宗と桐山氏について 第五十九章 から抜粋>
870 :道場:2012/04/21(土) 11:25:51 ID:5WTRwxgw0
>>869 :天照 ◆MO30b8Jwoo:2012/04/21(土) 06:59:30 ID:Qv2BQWyA0
>>868 私も同意ですね。本当に駄目な方の支持しかゲイカにはできませんな。
>(7頁〜9頁)
>「人間は輪廻転生するという話を聞いて、勇気と希望を持つ人々が少なからずいる」
>と確信したのである。そして、近年になって、ある考えにたどり着いたのである。
>
>本当に馬鹿馬鹿しい理論ですね。
>これは今まで現世成仏を掲げていた教祖の発言とは思えないほどの「体たらく」です。
>散々「因縁解脱を現世で成せ」と叩いてきておいて数年前から急に「輪廻は良いぞ」
>「輪廻先は操作できるのだぞ」と幼稚園児でも考えない愚かな思考に走っている。
>今回の本はさほど売れずいつものように信者さんが買って終わりでしょう。
>またブームにはならず内々の内輪だけの盛り上がりで終わりです。
本当に愚かな発想です。この方は全く仏教を理解してないことがよく分かります。
準さんが岩波仏教辞典の「苦」の項(>>858)を転記しています。
>「縁起説は苦の代表である老死の原因を探求して渇愛や無明を見出し、これら
>を滅すれば苦も滅するとしたものであり」と、説明しています。
- <続>
いったい彼らは渇愛や無明をどう理解しているのでしょうか?
人間の愚かさを理解しているのか?
人間は五官で感じるもの、心で捉えるもの、人間の認識するものの全てを本当のものだとして執着します。
と言うか、認識そのものが、執着なしでは成り立たちません。
人間は「本当のものだ」「実のものだ」と思ってその存在を疑いもしませんが、それは「仮の」ものなのです。
因と縁によって仮に姿を現しているだけなのです。
釈尊は「我」と「法=認識されるもの全て」の正体と、その起こってくる構造を示されました。
「我」と「法」に盲目的に執着する状態こそが人間の迷いと罪と苦しみの根本原因なのです。
生命の必然として、認識が起るとき、人間は識が描きだした「我」と「法=あらゆる事象」を実の
「我」と「法」と思い自分のものにしよう、自分のものだとおもって執着します。
これを前提に生命は起り、これなくして生命を保つことはできません。
そしてこの執着は、自分中心の、自分の思う通りにしようとする活動=業を起こし
そこから罪と苦しみの流転輪廻が繰り返されるのです。仏教はこの構造を明らかにしています。
- <続>
871 :道場:2012/04/21(土) 11:33:10 ID:5WTRwxgw0 もう一度言いましょう。
生命は「我=自分」を認めるところから生命活動を始めます。人間で言えば先ず、皮膚の内側を他の一切から区別します。
そしてこの内側を「我」と認めます。これはアメーバーのような単細胞動物であっても同じです。
単細胞の内側をその他一切と区別して、それを「我」と認めるのです。あらゆる生命活動はここから始められます。
「自」と「他」を区別し、それを「我」と認める。当たり前のことのようですが、生命だけに与えられた
不思議な「能力」です。この能力を与えられたものだけが「生命」なのです。
生命は「我」を認めるところから生命活動を始めるのです。それは自分(我)を益するものを求めて取り入れ、
損するものを排除し逃げる、ということです。
これが生命活動の「全て」であり、あらゆる生命活動はこの範疇を出ることはありません。
この活動の本質は「自分中心」であるということです。
「我」を認めることは、生命のみに与えられた能力であると共に、その生命の「迷い」と「罪業」と「苦しみ」の
始まりでもあるのです。
惑(煩悩)→業(行為)→苦 の流れをもう一度しっかり認識すべきでしょう。
- <続>
902 :道場:2012/04/23(月) 12:47:05 ID:5WTRwxgw0 桐山さんの四諦や「苦」の解釈に疑問や問題点が多々ありますが、それは後に検証するとして
もう少し >>870-871の続きを書かせてください。
さきに「我」を認めるところから生命活動が始まることを述べました。それは「我」を益するものを追い求め取り込もうとする活動です。
逆に損するものは排除します。つまり欲望の追求です。ああしたい、こうしたい、ああしよう、こうしよう。
結局「思うとおに」にしたいのです。そのために自分を駆り立てて行動を起こします。これが「業=行為」です。
つまり「業」とは、「自分を中心に」、「自分の思うとおり」にしようとする、あらゆる「行為」のことです。
それは必ず「目的」を持ち、何かのためであり、それによって何かを得ようとする行為です。目的が無く、何の為でもなく、
何も得られない行為は、行為としては無意味であり、行為として成り立ちません。
そしてこの「思うとおり」にしようとして「思うとおり」にならない結果となれば「苦」です。
さて、ここでよく考えてみましょう。
「思うとおり」にならなかったのは何故か?
それは最初に「我」を認めたことが誤りではなかったのか?
「我」とは仮定された「思うとおりにできる主体」です。「主体」があると「仮定」され、「思うとおりにできる」と
仮定されたに過ぎません。
- <続>
この「苦」という結果は、「思うとおりになる」という仮定を否定したのです。
つまり、「思うとおりになる」ということも「主体」があるこということも否定されたのです。
これが「無我」でしょう。
「無我」であるにも拘わらず、生命は「思うとおりになる主体」=「我」あるという「仮定」によってはじめて、活動することができる。
しかし、生命は、それが「仮定」であることを完全に無視して、無条件に「我」があると決め込み、我を愛し、我を執し、我が
仮定・架空であり無であることを知らない。これが「根本無明」であり「迷い」であり「惑い」なのです。
そしてこれが罪悪・染汚の根源となって、諸々の「煩悩」を生むのです。
「我」を認めるところからさまざまな煩悩が起ります。これが「惑」です。「無我」という真実に反し、真実に惑う心だからです。
- <続>
932 :道場:2012/04/26(木) 12:03:43 ID:5WTRwxgw0
私は桐山さんの「苦」や四諦に対する認識に多くの疑問があります。それをこれから検証したいが、その前に
まず、釈尊の説法の中で「苦」はとても重要なファクターであることを再度確認してほしい。
「苦」とは「自己の欲するがままにならぬこと」「自分の思うとおりにならないこと」をいい、必ずしも生理的な苦痛、あるいは
心理的な苦痛のみを意味しているのではありません。「苦」は感覚的な苦痛と精神的心理的な苦脳といずれをも意味し得るのです。
それでは、釈尊のあの有名な祇園精舎の説法(雑阿含経 一、九、無常)をここに記しましょう。
「比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは無我である。無我なるものは、
わが所有(もの)にあらず、わが我にあらず、またわが本体にもあらず。まことに、かくのごとく、正しき智慧をもって観るがよい。
また、受(感覚)は無常である。・・・・・・
想(表象)は無常である。・・・・・・
行(意志)は無常である。・・・・・・
識(意識)は無常である。・・・・・・
まことに、かくのごとく、正しき智慧をもって観るがよいのである。
比丘たちよ、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、そのように観て、色を厭い離れる。・・・・・・受を厭い離れる。・・・・・・想を厭い離れる。
・・・・・・行を厭い離れる。・・・・・・識を厭い離れる。厭い離るれば、貪欲を離れる。貪欲を離るれば、解脱する。解脱すれば、解脱したとの
智を生じ <わが迷いの生はすでに尽きた。清浄の行はすでに成った。作(な)すべきことはすでに弁じた。このうえは、もはや、迷いの
生を繰返すことはないであろう> と知るのである」
- <続>
釈尊は必ず 「苦なるものは無我である」 と説法されるのです。ここはとても重要なところですよね。
「苦」があることにより「無我」を強く認識できるのです。
>>902でも述べましたが、その箇所を再度書きましょう。
>「思うとおり」にならなかったのは何故か?
>それは最初に「我」を認めたことが誤りではなかったのか?
>「我」とは仮定された「思うとおりにできる主体」です。「主体」があると「仮定」され、「思うとおりにできる」と
>仮定されたに過ぎません。
>この「苦」という結果は、「思うとおりになる」という仮定を否定したのです。
>つまり、「思うとおりになる」ということも「主体」があるこということも否定されたのです。
>これが「無我」でしょう。
そして、釈尊は全てのものは無常であり、無常なるものは苦であり、苦なるものは無我である と説かれた。
だから、正しい流れは 「諸行無常」 → 「一切皆苦」 →「 諸法無我」→ 「涅槃寂静」 です。
さらに、人間の感覚には快感(楽受)と不快感(苦受)とそのいずれでもない感じ(不苦不楽)との三者があるが
それらがいずれも苦しみ(一切皆苦)であり内的にも外的にも感受されたものはすべて「苦」であると説かれるのです。
さて、桐山さんの「苦」の認識はどうなのか?
- 釈尊が「修行して苦の滅を得なさい」と比丘らに呼びかけているように、仏道の
目的は「苦滅」なのです。そのための煩悩滅なのです。
岩波仏教辞典の「修行」の項の説明に、
「・・初期仏教以来、修行の目的は苦滅の境地に達することで・・」
と、あるように、修行の目的も苦滅なのです。
同辞典の「滅」の項の説明には、
「苦悩が消滅して業のはたらきが停止した悟りの境地である涅槃」とあるように、
苦と業の滅が、阿含仏教の悟りであるわけです、ここの説明では煩悩滅が省略され
ていますけどね。
つまり、「苦滅・業滅・煩悩滅」が阿含仏教の悟りなのです。これは仏教辞典↑に
書いてあるように、学者先生方の定説であるわけですから、つべこべ文句を言うの
は止めましょう。文句を言う方は、新学派を建ててください。
- <続>
>>166
> 四諦について管長猊下は「愛のために知恵を、知恵のために愛を」の203ページから
> 懇切丁寧に解説してくださっています。
> 「おまえ苦しくないか」
> 「それは集めているからだよ」
> 「なにを集めているのでしょうか」
> 「苦の因になるものだ」
> 「苦の因になるものとはなんでしょうか?」
> 「苦を生ずる縁だ」
> 「……?」
> 「苦を生ずる因と縁をいろいろと集めて、背負って歩いている。
> 苦しむのはあたりまえじゃないか」
> ここで管長猊下は「苦」の原因を「因縁」と分かりやすく説明しています。
先ず「苦」に対して、桐山さんの第一番目の誤りがここで指摘されています。
再度読み直してほしい。
ゲイカは四諦の説明で、苦の原因を「因縁」としています。
しかしこれは完全に誤りです。
釈尊は、苦の原因を運命の「因縁」としていません。
釈尊は、苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりとお説きになられています。
>>166の相応部56−11如来諸説(増谷文雄 阿含経典 第三巻p256
を読み直してください。
- 惑(煩悩)→業→苦、の循環について解りやすく考えて見ましょう。
肺癌の原因を喫煙だと仮定しましょう、勿論他にも原因があるましょうが。
この場合、
煙草を吸いたい(煩悩)→喫煙行為(業)→肺癌(苦)発症、
というように、煩悩が苦を発生させたとします。
ここで、煙草を吸いたいという(煩悩)を滅すればそれでよい、それが悟り
だ、と主張してるのが批判派です。
しかし、煙草を吸いたいという煩悩を断ち、喫煙を止めても、発症した
肺癌が癒えるわけではありません。
喫煙を止めた(煩悩滅)上で、肺癌の治療、放射線治療とか、癌細胞を
殺す治療をしなければいけませんね。その癌細胞を殺す作業を、管長は
梵行と呼んでいるわけです。で、喫煙を止めて、治療して肺癌が癒えた
ときを、因縁解脱と呼んでいるのですね。
喫煙を止めた場合は小解脱、肺癌が癒えたら大解脱(因縁解脱)とね。
<続>
>>175
ここでも述べられていますが
桐山さんが主張すろ苦のもとである「因縁」とは、「中途挫折の因縁」、「ガンの因縁」、「肉体障害の因縁」、「後家の因縁」、「横変死の因縁」、などで
これは四柱推命などの運命学で言う星に当たり、それを勝手に「因縁」という言葉で置きかえたものです。
桐山さん自身がそう述べています。
しかし、釈尊が指摘した「渇愛」や「煩悩」は運命学の星とはまったく関係ありません。
これは桐山さんのすり替えであり悪質な捏造であると言えます。
- >釈尊は、苦の原因を運命の「因縁」としていません。
>釈尊は、苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりとお説きになられています。
別に問題ない↑でしょう。苦の原因は「渇愛」または「煩悩」なのですから、
管長が苦の因縁と話したときは、渇愛・煩悩のことだな、と理解すればよいのです。
また、管長は苦そのものを因縁と呼ぶ場合もあります。
釈尊だとて、十二因縁を説く場合は、惑(因縁)も因縁、業も因縁、苦も因縁と
して説明していることに注目してくださいな。
因縁の語を、狭く定義すると誤りますね。
- でたな!洗脳怪獣「脳死ュダオン」!
- <続>
>>231
ここでも明記されていますが、釈尊の説法の根本は
「全てのものは無常であり、無常なるものは苦であり、苦なるものは無我である」 です。
これが
「諸行無常」 → 「一切皆苦」 →「 諸法無我」→ 「涅槃寂静」 として示された。
さらに、感受されたものはすべて「苦」であると説かれるのです。
人間の感覚である
快感(楽受)、不快感(苦受)、(不苦不楽)の三者全てが、いずれも苦しみ(一切皆苦)であり
内的にも外的にも感受されたものはすべて「苦」であると説かれるのです。
桐山さんの第二番目の誤りが分かりましたか?
桐山教では「因縁解脱」を説きます。ではその「因縁解脱」とは何か?
それはカルマの束縛から離れることであり
「中途挫折の因縁」、「ガンの因縁」、「肉体障害の因縁」、「後家の因縁」、「横変死の因縁」、などを切り
この世を思う通りに生きること(運命転換)だと言う。
でも釈尊は次のように説法された。
「全てのものは無常であり、無常なるものは苦であり、苦なるものは無我である」 と。
「諸行無常」、「一切皆苦」、「 諸法無我」、「涅槃寂静」と。
ここで再度「一切皆苦」を認識してください。
「苦」=「自己の欲するがままにならぬこと」「自分の思うとおりにならないこと」
つまり、桐山さんの主張である「この世を思う通りに生きること」など出来ない相談です。
釈尊の「苦」を理解すれば自ずと分かることです。
- >>235 ここで、煙草を吸いたいという(煩悩)を滅すればそれでよい、それが悟り
だ、と主張してるのが批判派です。
アタマ悪いね、釈尊が煩悩を滅すれば病気が治るなどとは説いてません。
- >>190 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 13:03:35.57 ID:jJ8sTIcC
>甘えるのもいい加減にしなさいな。年金の中から出すなら、いい年してんでしょ。
>競馬新聞の予報を信じてだね、有り金全て、アナ馬に掛けてだね、外れたら
>競馬新聞を恨むのかね?
詐欺に遭ったと訴えることが甘えること?
準シュダオンさんの価値観でいくと、世の中の犯罪はすべて
犯罪者が悪いのではなく、被害者の甘えから来ているみたいですね。
もちろん、騙される方にも責任はある。
だが、欲を煽られ、脅かされ、騙され、お金を盗られたという被害だけで、
その人は自分の愚かさという責任をすでに取らされている。
元信者たちは責任を取らされているのです。
では、騙したほうの責任はどうなるのか。
桐山さんは今でも社会的には宗教家として偉そうに
他人のお説教を垂れている。
マスコミと組んで、未だに詐欺宗教をしている。
信者の多くはアゴン宗をもっとも釈迦仏教に近いと信じ込み、
未だに因縁解脱が解脱だと信じている。
準シュダオンさんのようなエゴイストには理解できないだろうが、
ここに被害者にも社会的な義務がでてくるのです。
- >>190 :神も仏も名無しさん:2012/09/12(水) 13:03:35.57 ID:jJ8sTIcC
>甘えるのもいい加減にしなさいな。年金の中から出すなら、いい年してんでしょ。
>競馬新聞の予報を信じてだね、有り金全て、アナ馬に掛けてだね、外れたら
>競馬新聞を恨むのかね?
アゴン宗の詐欺は未だに現役で、多くの人が騙され、
また騙される予備軍がいるのだから、
元信者には、社会に対して、アゴン宗はインチキ宗教だから
騙されてはいけないと警告する義務が出てくる。
自分が騙されただけだから、他の人が被害に遭っても、
オレは知らんというのは、社会人としての義務を果たしていない。
エゴ丸出しの準シュダオンさんには社会的な義務なんて概念すら
頭にないだろうが、普通の人はあります。
社会的義務という言葉が固ければ、お互いに助け合うという意味です。
震災に遭った人に寄付やボランティアで助け合うように、
他の人を被害から救い、被害に遭わないように警告するのは、
人間社会に生きているのなら当たり前の行為です。
人々に警告するやり方は様々で、自分の知り合いの信者に
伝えるだけでも、立派な警告です。
裁判も同様です。
- >>237 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:21:53.35 ID:4uhe5FVJ
>釈尊だとて、十二因縁を説く場合は、惑(因縁)も因縁、業も因縁、苦も因縁と
>して説明していることに注目してくださいな。
「因縁=渇愛」「因縁=煩悩」なんて、アゴン宗の教義にすらありません。
恒例の準シュダオン教の狂説です。
『修行者座右宝鑑』にその点ははっきり書いてあって、
アゴン宗の悪因縁とは運命や病気など身体に出てくる事を指し、
煩悩は心の癖であるとして、煩悩が悪因縁を生み出すのだというのが
桐山さんの説明です。
貪りの煩悩があるから、貪ってしまい、それがガンの因縁となるという説明です。
だから、アゴン宗の教義でも悪因縁と煩悩とは別物です。
準シュダオンさんには何度説明しても無視するしかない。
彼は私の反論を読んでいるが、それを認めたら、
彼の主張の間違いを認めるしかなくなるからです。
だから、「読まないw」としか書けない卑怯者です。
桐山さんですら煩悩を悪因縁であるなどというタワケは言っていない。
- >>237 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:21:53.35 ID:4uhe5FVJ
>釈尊だとて、十二因縁を説く場合は、惑(因縁)も因縁、業も因縁、苦も因縁と
>して説明していることに注目してくださいな。
他の信者さんたちは準シュダオンさんの狂ったような屁理屈ではなく、
アゴン宗の教義、またできれば仏教の正しい教義を理解することです。
仏教では因縁とは縁起のことです。
縁起の最小限の内容は「AがあるからBがある」です。
準シュダオンさんによれば、縁起は煩悩なのだそうだ。
すると「AがあるからBがある=煩悩」??
「煩悩とは、AがあるからBがある、である」??
「AがあるからBがあるが渇愛である」??
なんですか、これ。
支離滅裂、滅茶苦茶、意味不明です。
これを見ても準シュダオンさんの主張には何の根拠もない、ただの
老人のタワゴトなのがわかります。
縁起と煩悩が別物であることは、信者さんたちも知っているでしょう。
- >>237 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:21:53.35 ID:4uhe5FVJ
>釈尊だとて、十二因縁を説く場合は、惑(因縁)も因縁、業も因縁、苦も因縁と
>して説明していることに注目してくださいな。
準シュダオンさんに言わせると、「因縁=煩悩=業=苦」なのだそうだ。
彼の脳では、食べ物も皿も箸も全部同じらしい。
まるでわがままな子供がテーブルの上の料理をグチャグチャに
混ぜたみたいな状態です。
信者さんたちに着目してほしいのは、どうして準シュダオンさんが
これほどの支離滅裂、意味不明の内容を主張し続けているのかという点です。
彼の脳が脳梗塞で、夏の暑い日に捨てられた生ゴミのような状態で
あるというのが一番大きな理由なのだが、
何を目的に、こんなバカみたいなことを書いているのかという点です。
もちろん、桐山アゴン宗の擁護、つまり因縁解脱を
釈尊が説いたと言いたいためです。
信者さんたちに見てほしいのは、因縁解脱を釈尊が説いたという嘘を
擁護し続けた結果が、上記のような支離滅裂に行き着いている点です。
普通の脳を持った人がやっても、因縁解脱を釈尊が説いたなどとは
証明できません。
嘘は何十年くり返し並べても本当にはならない。
- >>237 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:21:53.35 ID:4uhe5FVJ
>釈尊だとて、十二因縁を説く場合は、惑(因縁)も因縁、業も因縁、苦も因縁と
>して説明していることに注目してくださいな。
阿含経にも仏教にも因縁切り、因縁解脱などあるはずがないのです。
因縁切りとは天理教や霊友会などの無学な教祖たちの発明であり、
特に霊友会がこれを広めて、立正佼成会を通じて桐山さんは真似をした。
因縁解脱はほぼ確実に桐山さんの造語です。
明治以降の無知な新興宗教の教祖たちが作り出したオカルト用語が
因縁切りや因縁解脱です。
阿含経や仏教にないのは当たり前なのです。
これらの教祖たちの一番の間違いが、仏教の因縁を理解できなかったために、
これを運命の星であるかのように解釈した点です。
霊友会や立正佼成会では、信者さんたちにもおなじみの
「色情の因縁」などという言葉が使われている。
桐山さんがパクッタからです。
桐山さんはズバリ、因縁を運命の星だと言っている。
だが、仏教の因縁(=縁起)には運命の星などという意味はありません。
- 縁起
「縁(よ)って生起すること.」
「生存の苦悩はいかにして生起し,また消滅するのかを示す,諸法の因果関係.」
(岩波仏教辞典)
因果関係を示す法則、規則であって、運命の星などという意味はどこにもない。
「勉強しなかったから、落第した」
「愛人を作ったから、裁判に訴えられた」
これが縁起です。
何も特殊な話ではなく、現実世界にいくらでもある物事の因果関係を示すにすぎない。
現代人は科学を習っているから、原因がなくして物事が発生するなんて
ありえないことを知っている。
だが、たとえば生物でさえも、何もない所から発生すると長い間信じられていた。
物事には原因があって結果を生じ、それらが連鎖していくというのが
釈尊の主張した縁起で、もちろん今日でも成り立ちます。
しかし、どこにも運命の星などという変な意味はありません。
- 「縁(よ)って生起すること.」
釈尊は苦の元が何であるかを追求するのに縁起を用いた。
縁起という思考方法を用いたのです。
「AがあるからBがある」という縁起が成り立つから、
「AがなければBもない」という縁起が成り立つ。
「煩悩があるから苦がある」という縁起が成り立つから、
「煩悩がなければ苦はない」という縁起も成り立つ。
だから、苦を無くすには煩悩を断ちきればよいのだという結論が出てくる。
これが縁起を用いた思考であり、煩悩を切れば解脱するという主張の根拠です。
だから、因縁(縁起)を切る、なんてありえない。
縁起を切ってしまったら、縁起が成り立たないと言っているのと同じです。
縁起が成り立たないなら、「煩悩があるから苦がある」も成り立たないし、
「煩悩がなければ苦はない」も成り立たないから、仏教は崩壊します。
縁起という思考方法こそが、煩悩を断ちきることで苦から解放され、
解脱するという主張の根拠なのです。
それなのに、因縁(縁起)を切ってしまったら、根拠がなくなってしまう。
因縁切りなんていかに無知な表現か、これを見てもわかります。
- 「縁(よ)って生起すること.」
信者さんたちの中には、「AがあるからBがある」の
AやBを因縁(縁起)であり、Aを切ることを因縁切りだと思いこんでいる。
まったく間違いです。
縁起とは「AがあるからBがある」を指すのであって、
AやBの個々を指すのではありません。
ここまで理解した上で、桐山さんの縁起を見てください。
「これあるによりてこれあり これ生ずればこれ生ず
これなきによりてこれなく これ滅すればこれ減す」
(仏陀の真実の教えを説く[上]、131頁)
信者さんたちもおかしいことに気がつきましたか。
桐山さんは、「AがあるからAがある」が縁起だというのです。
だが、阿含経にある縁起とは、「AがあるからBがある」です。
だいたい「AがあるからAがある」では意味がわからないし、
これを煩悩と苦に当てはめようとしても、
「煩悩があるから煩悩がある」「苦があるから苦がある」
となってしまい、意味不明です。
これが縁起によって解脱したと自称する人の理解ですよ。
いや、理解していないのです。
桐山さんは仏教についての無知と無能をさらけだしている。
信者さんたちも目をそらさずに、現実を良く見てください。
- 「これあるによりてこれあり これ生ずればこれ生ず
これなきによりてこれなく これ滅すればこれ減す」
(仏陀の真実の教えを説く[上]、131頁)
「爆笑桐山縁起」です。
仏教の試験の答案なら、0点です。
桐山さんは未だに縁起とは何なのか理解していないのです。
そしてさらにおもしろいのが、この本を校正した
平河の社員も縁起をまるっきり理解していない。
縁起は仏教の基本であり、「AがあるからBがある」という
今日教育を受けた人なら当たり前すぎるほど当たり前の概念です。
ところが、仏陀の智慧をお持ちの桐山ゲイカは
こんな簡単な概念すら未だに理解できずにいるのです。
毎度申し上げることだが、「2+3=23」と計算する人を
信者さんたちは大学の数学科の教授だと思うか。
桐山さんがまさにそうですよね。
縁起という仏教の基本すら理解できない人が解脱者であるはずがない。
何十年も仏教を語る桐山さんは、縁起が理解できないほど頭が悪いのだから、
知性に障害があったといわれるチューラパンタカ以下です。
繰り返すが、信者さんたちはこの現実の桐山さんから
目をそらさずに直視してほしい。
- >釈尊は、苦の原因を運命の「因縁」としていません。
>釈尊は、苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりとお説きになられています。
これは問題ないのです↑。釈尊は、苦の原因を渇愛などの煩悩だとしているわけ
ですが、私が肺癌を例に出したように、喫煙を止めたからといって、肺癌が癒える
わけではないのです。苦の原因が煩悩だからといって、煩悩を断っても既に生じて
いる苦を滅っすることは出来ないのです。
例えば、喫煙を十年続けて、肺が弱り、後三年後には肺癌になる運命だったとする。
たとえ、今、禁煙しても手遅れで、普通に暮らしていたら肺癌の運命だったとする。
が、ここで、この人は癌予防の勉強をし、自分の肺癌の危機に気づき、栄養バランス
の取れた食事をし、肺機能強化の訓練をした結果、肺が丈夫になって、癌の危機を
脱したとします。
栄養バランスの取れた食事をし、肺機能強化の訓練をしたことが、苦滅の修行に相当
するのです。禁煙したことは、煩悩を断ったことに相当します。
禁煙しただけでは、癌の危機を逃れられないのです。
禁煙(煩悩滅)した上に、癌の危機を逃れる修行をせねばいけないのです。
喫煙と肺癌というのは喩えです。煩悩と苦の因果関係の実相は、凡夫には解ら
ないのです。喫煙と肺癌の因果関係は、凡夫にも少しは理解出来ようが、煩悩
と苦の関係は、三明智という神通を備えないかぎり、
理解不能なのです(と、経典に書いてある)。
- >釈尊は、苦の原因を運命の「因縁」としていません。
>釈尊は、苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりとお説きになられています。
苦の滅と業の滅と煩悩滅が、阿含仏教の悟りであることは前にレスしたね。
そのことは仏教辞典に書いてあることも紹介した。
釈尊は苦の原因を渇愛などの煩悩としたわけですが、煩悩を無くしたから
といって、病気などの具体的な苦が滅するわけではないことは、喫煙と肺癌
の喩えでも解りますね。
では、例えば「阿摩昼経」に次のように説いています。
「・・入我法者 令故苦滅 新苦不生・・」と。
これは、「釈尊の教法に従うものは、古い苦しみがなくなり、新しい苦しみ
は生じない」という教えです(学者先生の訳、そのまま)。
釈尊の説いている意味が解りますか?
簡単にいうと、37道品を修行するものは、肺癌も癒える、という意味で
すよ。もっとも、肺癌というのは喩えですよ、苦の象徴としての喩えです、
肺癌を治すためには癌細胞を殺す医療が必要です。
実際の人間は、過去の業により、既に、七難八苦が確定しているわけです。
しかし、釈尊は、「入我法者 令故苦滅」→我の法に入行する者は、古い
苦が滅す、と、説いているのです。
つまり、煩悩滅だけではなく、苦の滅を説いているのです。
管長の言葉でいうと、○○因縁の滅、です。
批判派は、管長否定で頭に血が昇っているから、こういう事実を読めないのですw。
- <続>
>>239
この様に「苦」を分析しただけでも釈尊と桐山さんの主張は180°も違っている。
誤り1)
釈尊は、苦の原因を運命の「因縁」としていません。
釈尊は、苦の原因を「渇愛」または「煩悩」とはっきりとお説きになられています。
誤り2)
「中途挫折の因縁」、「ガンの因縁」、「肉体障害の因縁」、「後家の因縁」、「横変死の因縁」、など
「悪因縁」を切り、霊障を消滅させて運命を転換しこの世を自在に生きる との主張は仏教から外れたもの。
何故なら釈尊は「一切皆苦」と説かれた。
「苦」=「自己の欲するがままにならぬこと」「自分の思うとおりにならないこと」 であり
因縁を切って自在に生きることなど出来ません。この世の中を観察すれば
「諸行無常」であり「一切皆苦」であり「 諸法無我」なのです。
桐山さんから「悪因縁」を付けられて脅されている信者の皆さん、何も恐れることはありません。
アゴン宗は偽仏教であり、「悪因縁」などは仏教には存在しません。
「悪因縁」は信者を脅して金を巻き上げる道具の一つでしかありません。
- >252これは「釈尊の教法に従うものは、古い苦しみがなくなり、新しい
苦しみは生じない」という教えです(学者先生の訳そのまま)
という事は、釈尊の教法をあほらしいと罵るお前の様なアホウは、古い
苦しみはなくならないし、新しい苦しみも生じるという事ですね。
苦笑するしかねぇな。
- 今日も駄目か…
仕方ねえ、レスを諦めて待つか。
- >>185
>阿含宗でも現在、返金訴訟が行われています。
どのくらいの人数が訴訟してるのでしょうか?訴訟者は同じ弁護士?
- >>235 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>ここで、煙草を吸いたいという(煩悩)を滅すればそれでよい、それが悟り
>だ、と主張してるのが批判派です。
>しかし、煙草を吸いたいという煩悩を断ち、喫煙を止めても、発症した
>肺癌が癒えるわけではありません。
そのとおりです。
たまには準シュダオンさんも正しいことを言いますね。
まったくそのとおりで、準シュダオンさんは二つ正しいことを述べた。
・煩悩を滅すれば解脱である
・煩悩を滅してもガンは消えない
どちらも正しい。
前半の、煩悩を滅すれば悟りであるというのはそのとおりで、
これは批判側がそのように主張しているのではなく、
釈尊の説いた仏教の解脱の定義がそうなっているのです。
「仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう」
(岩波仏教辞典)
ごらんのように、仏教の解脱とは煩悩から解放されること以外は何もありません。
桐山さんのいう運命の星からの解脱、カルマからの解脱など仏教には存在しません。
- >>235 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>ここで、煙草を吸いたいという(煩悩)を滅すればそれでよい、それが悟り
>だ、と主張してるのが批判派です。
>しかし、煙草を吸いたいという煩悩を断ち、喫煙を止めても、発症した
>肺癌が癒えるわけではありません。
仏教では煩悩を滅して解脱してもガンは治りません。
信者さんたちは因縁切りだの、仏様のお手配などが仏教の教法だと
思っているようだが、阿含経のどこにそんな話があるのですか。
阿含経を見るかぎり、「お願い事をかなえる仏」「病気治しの仏」
なんていない。
仏教ではガンが治るなんて説きません。
その証拠に、釈尊は食あたりで亡くなった。
亡くなる三ヶ月前も、かなりひどい病気を患って、苦痛に耐え忍んだとある。
解脱者の一人は病気の苦痛から逃れるために刃物で自殺したという。
釈尊が見舞いに行った時の様子からすると、
末期ガンのような状態だったのでしょう。
彼は解脱者だが、自殺しなければならないほどの病気の
苦痛にさいなまれ続けた。
解脱と病気治療なんて関係ないからです。
信者さんたちは解脱とは、因縁を切り、悪い運命から
解放されることだという桐山オカルト教を信じている。
だが、こういう釈尊や自殺した比丘を見てもわかるように、
煩悩から解放されることと、病気が治ることとは関係はありません。
- >>235 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>しかし、煙草を吸いたいという煩悩を断ち、喫煙を止めても、発症した
>肺癌が癒えるわけではありません。
病気を治したければ、アゴン宗ではなく医者に行くことです。
もちろん今の医療ですべて病気が治せるはずもない。
しかし、だからと言って、インチキのマジナイに頼るのですか。
信者さんたちは、仏教の修行が病気治しに効果がないなら、
因縁切りのほうがまだましだと思うかもしれない。
桐山さんの言うように、悪因縁というものが実在し、悪因縁を
透視でき、それを切ることができるなら、それも成り立つでしょう。
だが、アゴン宗のどこにその実証があるのだ?
桐山夫人は76歳の若さでガンで死んだ。
しかも、その二十年近くも前に一度ガンになっていた。
千座行時代から桐山さんの「戦友」として共に因縁解脱の道を歩み、
在家としては最高の梵行をして徳を積み、千座行や仏舎利行も
怠りなく修行していたはずの副管長がガンになることもおかしいし、
ましてやガンで死ぬなんてなおさらおかしい。
因縁を透視できて、未来予知までできるはずの桐山さんが、
なんで奥さんのガンの因縁が切れていないこと、このままでは
ガンになって死ぬことを透視できなかったのだ?
因縁透視も因縁切りも、桐山さんにはそんな力はないからです。
- >>235 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>しかし、煙草を吸いたいという煩悩を断ち、喫煙を止めても、発症した
>肺癌が癒えるわけではありません。
桐山さんは『密教超能力の秘密』などで、当時の東南アジアでの
心霊手術をさし、自分もできるとまで豪語していた。
では、奥さんのガンを念力で焼き切ればよいではないか。
良い機会だから、医者とタイアップして、施術前後のレントゲン写真を
撮って、桐山さんの念力のすごさを示せばよいのです。
ガン治療はガン細胞だけを死滅させることが難しいことです。
だから、今もタレントが回復したように、陽子線治療のように
ガンのみを攻撃できると効果が上がる。
こういう点、桐山さんに念力があるなら、ガンのみに「念力の火」を
焦点してみれば良い。
ガンは熱に弱いから、紙に点火するより遙かに低い温度で死滅します。
心霊手術と違い開腹するわけではないから、医師法違反にもならない。
だが、桐山さんは手も足も出ず、せいぜい、病気の奥さんに
滝行をさせるなど逆効果になりかねないことをしただけで、
奥さんは病院で死んだ。
彼女の死を無駄にせず、この結果を信者さんたちは良く見ることだ・
- >>235 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>しかし、煙草を吸いたいという煩悩を断ち、喫煙を止めても、発症した
>肺癌が癒えるわけではありません。
桐山夫人の死は非常に多くのことを教えてくれている。
・桐山さんに因縁を透視する力などない、
・桐山さんに因縁を切る力などない、
・桐山さんに念力などない。
桐山さんは奥さんすら助けられなかった。
それなのに、アゴン宗で因縁を切り、徳を積むと病気が治ると
信者さんたちは本気で信じるのか。
いや、奥さんだけではない。
桐山さんは自分の病気も治せないではないか。
1996年に脳梗塞になり、2001年に再発した。
脳梗塞になることもおかしいが、その後、五年もたっているのに
再発とは何ですか?
アゴン宗が病気を治療する力があるなら、再発なんておかしいでしょう。
再発の理由は簡単で、桐山さんには病気を原因だという因縁を切る力も、
治療する力もないのです。
こんな自分の病気すら治せない桐山さんに、信者さんたちの
病気を因縁切りで治せると信じているのですか。
因縁切りも因縁解脱も真っ赤な嘘で、そんなことできないのは、
桐山さんや桐山夫人が立派に証明している。
- >>235 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>殺す治療をしなければいけませんね。その癌細胞を殺す作業を、管長は
>梵行と呼んでいるわけです。で、喫煙を止めて、治療して肺癌が癒えた
>ときを、因縁解脱と呼んでいるのですね。
医学的治療が梵行??
また準シュダオン教の狂義が始まった。
よくこうやって口から出任せの嘘を並べますね。
自分の空想とアゴン宗の教義の区別がつかなくなりつつある。
準シュダオンさんの脳は悪化の一途です。
桐山さんは医学的な治療を梵行なんて言ったことはありません。
桐山さんのいうボン行とは、霊的浄化と積徳行のことです。
「梵行とは「浄め、高める修行」です。まず、法にしたがって身を浄める。また、先祖供養をし
て不成仏霊・霊障のホトケを成仏させる、という霊的な浄化もこれに入ります。それから、仏さ
まのお手伝いをして徳を積み、自分を高める。このように「浄め、高める修行」が梵行です。」
(『仏陀の真実の教えを説く[上]』175頁)
これは教団に金と人を貢がない限り、因縁は切れないという意味です。
だから、準シュダオンさんの因縁が切れたはずはない。
- >>235 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>梵行と呼んでいるわけです。で、喫煙を止めて、治療して肺癌が癒えた
>ときを、因縁解脱と呼んでいるのですね。
いいえ、こんなことを因縁解脱とは呼んでいません。
医学的な治療を受けて、ガンが完治したことが因縁解脱だ??
そんな訳ないのだろう。
だったら、アゴン宗に来ないで、タバコをやめて、
癌治療でガンが治ったら、因縁解脱したことになるのか。
どうしてそういうおかしなことを平気で書くのだ?
準シュダオンさんはこんなこともわからなくなったのですね。
ガンが治ったことと、ガンの因縁が切れたこととは別です。
なぜなら、ガンが治っただけでガンの因縁が切れたなんて
宣言したら、桐山さんの商売は成り立たないからです。
桐山さんの霊的強迫はずっと続くように出来ている。
タバコを止めただけで煩悩が一つなくなったなんて桐山さんは認めない。
それは心がけで一時的に抑えただけで、先祖の抑圧があるから、
やがてまた別な形で出て来る。
煩悩すらも仏のお力を借りないと切れないというのが桐山さんの説明です。
準シュダオンさんみたいに仏への供養がなく、徳を積んでいない人は、
悪因縁も煩悩も切れないというのがアゴン宗の教義です。
ま、たしかに準シュダオンさんの煩悩が減ったようには見えない。
- >>251 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 14:03:37.64 ID:4uhe5FVJ
>ないのです。喫煙と肺癌の因果関係は、凡夫にも少しは理解出来ようが、煩悩
>と苦の関係は、三明智という神通を備えないかぎり、
>理解不能なのです(と、経典に書いてある)。
また世迷い言が始まった。
経典に書いてあるというなら、出してみなさい。
前回もそのように請求されても、黙りを決め込んだ。
毎回そうです。
ありもしない阿含経をあるかのように嘘をつく。
うっかり引用して、間違いを指摘されてはまずいから、
絶対に引用しない。
現代語訳されていても、それをわざと漢文で書いて、
元を探せないようにする。
本当に準シュダオンさんは卑怯者です。
あなたの書いていることはまったく逆です。
苦の素が煩悩だから、煩悩を切るのだと理解させて、
その上で修行させたのです。
修行し、解脱する過程で神通力が出てくる比丘もいる。
あなたのその馬鹿みたいな理屈なら、
解脱しない限り縁起を理解できないことになる。
算数は習わないで、小学校を卒業さえすれば、
自然に算数が身につくと言っているのと同じです。
あなたは本当に何も理解していない。
- >>251 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 14:03:37.64 ID:4uhe5FVJ
>ないのです。喫煙と肺癌の因果関係は、凡夫にも少しは理解出来ようが、煩悩
>と苦の関係は、三明智という神通を備えないかぎり、
>理解不能なのです(と、経典に書いてある)。
信者さんたちも、桐山さんのように間脳を開かないとわからないとか、
神通力を開発しないとわからないと教え込まされ、本気にしている人が多い。
釈尊は言葉を用いて説明した方です。
仏教が知恵の宗教と呼ばれるのは、知性を使い、理屈理論で理解することを
重視している宗教だからです。
縁起などまさに思考方法を示している。
その縁起で釈尊が示したかったのが、苦の素は煩悩であるこということです。
ところが、これほど明瞭な説法を信者さんたちは未だに理解できず、
苦の素は悪因縁だなどと信じている。
知性を働かせて自分で考えようとしないからです。
桐山さんや準シュダオンさんみたいに仏教の基本すら理解できない人
たちの話を鵜呑みにしていたら、永久に仏教は理解できない。
釈尊は十歳の子供なら理解できる内容を説いたのです。
思考を放棄せず、桐山さんに任せず、依存せず、面倒がらずに、
桐山さんや準シュダオンさんのように勝手なキメツケの解釈をせず、
釈尊の言葉をそのまま自分で理解することです。
- >>252 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 14:28:42.60 ID:4uhe5FVJ
>しかし、釈尊は、「入我法者 令故苦滅」→我の法に入行する者は、古い
>苦が滅す、と、説いているのです。
>つまり、煩悩滅だけではなく、苦の滅を説いているのです。
>管長の言葉でいうと、○○因縁の滅、です。
相変わらず、準シュダオンさんは存在しない文章が読めて、
逆に目の前にある文章が理解できないのですね。
この経典のどこに因縁の滅があるのだ?
釈尊は苦の滅を説いたなんて当たり前で、それが四諦です。
四諦で、苦を滅するには苦の素となった煩悩を滅するのだと
縁起を使って説いている。
苦が何によって生起したかを考察すれば、最終的には
それが無明という煩悩から起きているというのが十二縁起です。
無明を断ち切れば、ドミノ倒し的に苦は消滅する。
過去からの輪廻転生で作られたのが古い苦であっても、煩悩を
滅することで解脱すれば、輪廻しないから来世で受ける四苦八苦から解放される。
これが古い苦からの解放です。
徹底的に煩悩が起きないように修行を重ねるから、新しい苦は生じない。
しかし、過去に為した業の報いを避けることはできない。
だから、大目連は過去の業の報いによって異教徒に撲殺された。
前述のように過去の報いで大病を患い、自殺した解脱者もいた。
過去にすでにできてしまった業の報いを消すことなどできません。
因縁切りなどできません。
- >>252 :神も仏も名無しさん:2012/09/13(木) 14:28:42.60 ID:4uhe5FVJ
>では、例えば「阿摩昼経」に次のように説いています。
他の信者さんたちも阿摩昼経が『現代語訳阿含経典4』(平河出版社)の
151頁からありますから、ぜひ読んでください。
準シュダオンさんが引用したのは171ページにある。
その前後を読んでみてください。
釈尊は、苦を滅するのにどんな修行をしているかを羅列している。
それらの中で、特に信者さんたちに着目してほしいのは、
「・・様々のお祓いや祈祷や無数の方術によって人を恐れさせたり・・・」
「人のために病気を呪いで治したり・・・」(169ページ)
「水火に関して呪いをしたり・・」
「家内安全のお札や呪文を誦えたり・・・」
「天体の運行を占い・・」
「このような善い奇瑞や悪い兆候を予言する」
正しい修行者たちはこういうことをしないと強調している。
全部、桐山さんと信者さんたちがしていることです。
これらのことをしないことで苦を滅しているというのだから、
逆に言うなら、信者さんたちはわざわざ苦を作り出していることになる。
信者さんたちが仏道修行だと信じている事を、釈尊は全面的に
否定したばかりか、それは苦を増やす行為だと批判している。
桐山さんのオカルト教を鵜呑みにするのではなく、
真の仏陀である釈尊のこの言葉に耳を傾けてください。
- >>251:神も仏も名無しさん :2012/09/13(木) 14:03:37.64 ID:4uhe5FVJ
>栄養バランスの取れた食事をし、肺機能強化の訓練をしたことが、苦滅の修行に相当
>するのです。禁煙したことは、煩悩を断ったことに相当します。
ならば釈尊の仏教には癌などの病気も寄せ付けぬ因縁解脱の栄養指導、修行など
ないことがわかりますね。
出家は午前中のみ必要最小限の托鉢乞食をする。
やれプロテインスコアだの抗酸化物質だの問わないし問えない。
当時そんな詳しい栄養学知識などなくても、過食による糖尿病などはなるはずも
なかったが、逆に栄養失調、不足にて感染症にもかかりやすく、解脱者でも
大量の疫病死者が出たのです。
- >>235:神も仏も名無しさん :2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>喫煙を止めた(煩悩滅)上で、肺癌の治療、放射線治療とか、癌細胞を
>殺す治療をしなければいけませんね。その癌細胞を殺す作業を、管長は
>梵行と呼んでいるわけです。で、喫煙を止めて、治療して肺癌が癒えた
>ときを、因縁解脱と呼んでいるのですね。
準シュダオン教ではなく、桐山教義を提示しましょう。
桐山さんは肉体障害の因縁により手足を切断したものが因縁解脱によって
ニョキニョキ手足が生えてくるなんて言わない。
手足を断つ前に癌になる前に癌にならないように因縁を切ってしまうのです。
つまり喫煙をやめたり栄養コントロールをしたり夜更かしなどの悪い生活習慣など
複合する原因があって癌になる。
ならばこのような癌になることを助ける縁を断つことを指導する。
- >>235:神も仏も名無しさん :2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>喫煙を止めた(煩悩滅)上で、肺癌の治療、放射線治療とか、癌細胞を
>殺す治療をしなければいけませんね。その癌細胞を殺す作業を、管長は
>梵行と呼んでいるわけです。で、喫煙を止めて、治療して肺癌が癒えた
>ときを、因縁解脱と呼んでいるのですね。
つまり縁起によって癌になったのだから、今度は縁起によって癌にならないように
努力する。勉強しないから落第するならば、勉強して一流大学の合格も勝ち得るのも
縁起に則っての上です。
だから縁起解脱なんて考え方も用語も有り得ない。
さてこのような癌になりやすい環境を変えていく助行だけが因縁解脱ではない。
- >>235:神も仏も名無しさん :2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>喫煙を止めた(煩悩滅)上で、肺癌の治療、放射線治療とか、癌細胞を
>殺す治療をしなければいけませんね。その癌細胞を殺す作業を、管長は
>梵行と呼んでいるわけです。で、喫煙を止めて、治療して肺癌が癒えた
>ときを、因縁解脱と呼んでいるのですね。
実は桐山因縁は原因→結果という縁起から逸脱している。
たしかに喫煙や飲酒、暴食、ストレスのかかる生活悪習慣などが複合して
癌などにもなった。しかし実はこれは先に癌の因縁、癌になる運命が先にあって
これがあることによってその人は無意識のうちに悪い生活習慣を選ぶことを
余儀無くされている。
意識して改める努力をしようとしても長続きしない。
結果が先に示されているからプロセスとして悪い縁を選ぶ。
だから運命論であり縁起説とは言えない。
- >>235:神も仏も名無しさん :2012/09/13(木) 11:08:47.32 ID:4uhe5FVJ
>喫煙を止めた(煩悩滅)上で、肺癌の治療、放射線治療とか、癌細胞を
>殺す治療をしなければいけませんね。その癌細胞を殺す作業を、管長は
>梵行と呼んでいるわけです。で、喫煙を止めて、治療して肺癌が癒えた
>ときを、因縁解脱と呼んでいるのですね。
で、その悪い生活習慣をも選ぶ衝動を与える本体はというと、縦の因縁としての
先祖の霊障などを説くわけです。
だから霊障解脱が必須となる。
ところが釈尊の仏教にそんな先祖絡みの自分などは説かれていない。
- >で、その悪い生活習慣をも選ぶ衝動を与える本体はというと、縦の因縁としての
>先祖の霊障などを説くわけです。
>だから霊障解脱が必須となる。
>ところが釈尊の仏教にそんな先祖絡みの自分などは説かれていない。
それはそのとおりです。
ですから、37道品や8法16法だけで解脱できると考える人は、
霊障解脱供養をしなければよいのです。
管長だとて、釈尊が解脱供養を説いてるなんて、一度たりとも言っていません。
- >実は桐山因縁は原因→結果という縁起から逸脱している。
たしかに喫煙や飲酒、暴食、ストレスのかかる生活悪習慣などが複合して
癌などにもなった。しかし実はこれは先に癌の因縁、癌になる運命が先にあって
これがあることによってその人は無意識のうちに悪い生活習慣を選ぶことを
余儀無くされている。
結果が先に示されているからプロセスとして悪い縁を選ぶ。
>だから運命論であり縁起説とは言えない。
縁起説に沿った運命論だと思いますよ。
肺癌に喩えれば、前世などですでに肺を弱める業を為していた、と考えるわけ
です。で、現世では肺癌になる道を、自然に選んでしまう、霊障も関わったり
する。
だから、その流れに逆らう修行をする。
その第一段階に到達した修行者をシュダオン、別名を逆流の聖者と呼ぶで
しょう。肺癌に喩えれば、肺癌になる「流れに逆らう」から、逆流の聖者
と呼ぶのでしょう。
- >縁起に則っての上です。
>だから縁起解脱なんて考え方も用語も有り得ない。
そう思うのは↑大乗仏教の縁起説に洗脳されたからです。
釈尊は、1無明→2行→・・・・12老死、の循環を縁起として説いた
のです。この縁起から逃れることを、解脱・さとり、と説いたのです。
この縁起説が、後に自然科学などにも応用され、発展して自然界の法則
とされたのです。釈尊の場合、縁起とは、もっぱら輪廻の構造として
12縁起を説いています。
>さてこのような癌になりやすい環境を変えていく助行だけが因縁解脱ではない。
- >つまり喫煙をやめたり栄養コントロールをしたり夜更かしなどの悪い生活習慣など
>複合する原因があって癌になる。
>ならばこのような癌になることを助ける縁を断つことを指導する。
そのとおりではあるが、まず普通の人は順調な時には、苦の原因など考えない。
で、肺癌や借金苦やいじめ、のように具体的な苦に遭遇して、はじめて真剣に
苦の原因を考える。その場合、釈尊が説いたような、苦諦、集諦、とかの苦の
原因は煩悩であるから煩悩を断て、なんて説いても無能である。
肺癌や借金やイジメで苦しんでいる人に、原因は煩悩だから煩悩を断て、
と説いたらどうなりますか?的外れですね、靴の外から足を掻くようなものです。
だから管長は「愛のために智慧を」の本で、苦の因と縁を集めているから苦しい
のだ、と、苦諦集諦を説明していますね、(どなたか提示していましたけど)。
管長の説明なら、肺癌の人も借金苦の人も、イジメに悩む人も、すぐに了解する
でしょう。そうか、癌苦の場合は、その因は癌細胞だから、これを殺せばよい、
となるし、借金苦の場合もその因と縁は何だろうと考えるし、イジメ苦の人は、
そうか、イジメの相手と縁を切ればよいのだ、と、納得するでしょう。
だから、釈尊は苦の原因は煩悩なり、と説きましたが、その教えにたどりつく
ためには、管長の説くように、苦の因と縁を集めている、と説明された方が、
理解しやすいでしょうね。ユビくんの場合は、苦に遭遇してからの入行とは
少し違うようです、だから因縁解脱の取り組み方を、少し間違えたようです。
- >ならば釈尊の仏教には癌などの病気も寄せ付けぬ因縁解脱の栄養指導、修行など
>ないことがわかりますね。
>なかったが、逆に栄養失調、不足にて感染症にもかかりやすく、解脱者でも
>大量の疫病死者が出たのです。
そうじゃないでしょう。昨日も提示しましたが、釈尊は「入我法者 令故苦滅
新苦不生」と、阿含経で説いているのですよ。我が法を修行する者は、令故苦滅、
故苦とは故事などの語からも解るように、古い苦のこと、既に生じている苦の
ことですね、それが滅する、と説いているのです。
阿含経は、煩悩の滅だけを説いているのではありません。
苦の滅をも説いているのですが、批判派は管長の因縁(苦)滅を否定したい
がために、明白に書かれている内容を読み取れないでいるのです。
肺癌を例に出しましたが、修行者は絶対に病気にならない、などという意味
ではありません、一つの具体的な苦の例として出しただけです。
一切皆苦ですから、様々な苦があるでしょう。老死憂愁悲悩、エトセトラ。
ですが、釈尊は、法を修行する者は「令故苦滅」だと説いているのです。
管長の言葉で言うと、因縁(故苦)を切る(滅)になりますね。
- >>276 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 10:47:05.39 ID:7Wd6BP+b
>管長だとて、釈尊が解脱供養を説いてるなんて、一度たりとも言っていません。
また準シュダオンさんは空想で書いている。
桐山さんは、釈尊が解脱供養に相当することをしたのかという
信者の質問に、していたと返答しました。
桐山さんのようにわざわざ解脱供養という形を
取らなくても、オシャカのそばに不成仏霊がよるだけで、
成仏させてしまったのだろうと言うのを私は聞いた。
つまり、解脱供養に相当することをオシャカが実践していたと
桐山さんは述べている。
あなたの説は嘘です。
- >>277 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 11:01:06.58 ID:7Wd6BP+b
>縁起説に沿った運命論だと思いますよ。
縁起のどこが運命論なのだ?
ありもしないことを並べるのはやめたらどうか。
釈尊は縁起の具体例として、たとえば十二縁起を示した。
これのどこに運命があるのだ?
これのどこに「ガンの縁起」「横変死の縁起」があるのだ?
他の信者さんたちは現実の阿含経を良く見てほしい。
準シュダオンさんみたいに空想や妄想で勝手な意味を付け加えるのではなく、
釈尊が示した縁起をそのまま読んで理解することです。
どこにも縁起からは運命などという意味は出てこない。
「美食飽食をしたから脳梗塞になった」
これが縁起を用いた説明であり、縁起です。
「Aが原因となってBという結果を引き起こした」
これのどこが運命なのだ?
こんなことを運命などと言い出したら、世の中のあらゆることは
運命だということになってしまう。
「一生懸命に勉強した→大学に合格した」
これは縁起ではあっても、運命などではない。
- >>277 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 11:01:06.58 ID:7Wd6BP+b
>縁起説に沿った運命論だと思いますよ。
桐山さんや準シュダオンさんが縁起を運命だと言っているのは
何を誤解しているか、信者さんたちはわかりますか。
「Aが原因となってBという結果を引き起こした」(A→B)
という考察の仕方が縁起なのに、彼らはそれが理解できない。
はっきり言うなら、頭が悪くて理解できない。
そこで短絡して、Aが縁起だと思っているのです。
縁起を原因という意味だと思いこんでいる。
だから、縁起(因縁)を切るなんてバカな発想をする。
原因は縁起の一部だが、原因そのものではありません。
縁起が原因だけという意味なら、釈尊は原因と言ったはずで、
わざわざ縁起などと表現しない。
縁起とはAだけを指すのではなく、「A→B」という
流れを指すのです。
この表記を使うなら、縁起とはAやBではなく「→」です。
ところが、これを桐山さんも準シュダオンさんも理解できない。
「ガンの因縁を切る」という発想はまさに「Aを切る」という意味です。
「ガンの縁起(因縁)→ガンになり苦を受ける」
として、ガンの因縁を切ると始まる。
ごらんように、Aを縁起だと思いこんでいるのです。
Aは縁起ではなく「→」が縁起なのです。
- >>277 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 11:01:06.58 ID:7Wd6BP+b
>縁起説に沿った運命論だと思いますよ。
「→」を切ってしまったら、「A→B」が成り立たない。
「A→B」が成り立たなければ仏教は成り立ちません。
縁起は釈尊が、苦の元は何か、苦を断ち切るにはどうすれば良いか、
という考察をするのに用いた思考方法です。
縁起は切るものではないから、「縁起(因縁)を切る」という表現自体が
日本語としてそもそもおかしいし、意味不明です。
「美食飽食をしたから脳梗塞になった」という文章を
信者さんたちはどうやって「切る」のですか。
あるいは、どうやって解脱するのだ?
因縁切り、因縁解脱なんて表現がいかにおかしいかこれだけでもわかる。
「美食飽食をしたから脳梗塞になった」は縁起を用いた文章であり、縁起です。
この文章を切るとか、解脱するなんて言う連中がいたら、
頭がおかしいと信者さんたちも思うでしょう。
だが、それを桐山さんと信者さんたちは堂々と主張している。
- >>277 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 11:01:06.58 ID:7Wd6BP+b
>縁起説に沿った運命論だと思いますよ。
今仮に、「A→B」を強引に縁起を切るならば「→」を切ることになる。
つまり、「A→B」が成り立たなくなる。
すると「無明が原因で苦を生み出した」という、釈尊が縁起を
用いて説いた基本的な教法が成り立たなくなり、
ここから導き出される「煩悩から解放される→解脱する」という縁起も
成り立たなくなるから、仏教は成立しなくなる。
解脱できなくなるのです。
縁起を切ってしまったら、仏教が崩壊するのです。
縁起(因縁)を切ることは仏教の否定です。
そろそろ、因縁切り、因縁解脱という表現が幼稚園レベルの知性の
低い表現であることに、準シュダオンさん以外の信者さんたちは気がついてください。
- たまに閲覧してるものですが
運命か変えらない・・果してそうなんでしょうか?
目連尊者やアングリ・マーラや釈迦族は病死や事故死ではなく殺人で死んでいるんですよね。
目連尊者は殺されるのを前世からの業として受け入れアングリ・マーラは現世でやった業として受け入れた。
怨みを晴らす側が怨みを終息させるなら事態は変わるんじゃないですか。
そうでなければ釈尊はコーサラ国の進軍を無言の抗議で3度、止める行為をしていないじゃないんですか。
なお疑問投稿はカルト擁護ではありません。
- コーサーラの軍隊に滅ぼされた釈迦族はコーサーラの軍隊に対し
在家の戒律を守っていたならコーサーラの軍隊に対し怨みは持っていないですよね。
釈尊はコーサーラの軍隊が釈迦族を滅ぼした後にコーサーラの軍隊の滅亡を予言して
コーサーラの軍隊は殺人ではなく川辺で戯れていたところ突風と激流が起きて滅んだそうですね。
この場合は天災で業が返っていますね。
もしコーサーラの国王が怨みを棄てて釈迦国も御互い受け入れていたなら両国は繁栄していたのでは?
これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
- >つまり縁起によって癌になったのだから、今度は縁起によって癌にならないように
>努力する。勉強しないから落第するならば、勉強して一流大学の合格も勝ち得るのも
>縁起に則っての上です。
>だから縁起解脱なんて考え方も用語も有り得ない。
縁起滅・因縁解脱の意味を、正しくユビキタスくん に理解してほしいのだが、
縁起滅とは、縁起の法の滅ということではないのです。
縁起滅≠縁起の法の滅、なのです。←このことを理解しましょう。
岩波仏教辞典で、「因縁」の項の説明を何度も読んで理解してください。
「因縁」→「・・広くは原因一般をさす、すなわち、すべては縁起している、
つまり因縁によって生じている(因縁生)」
と、説明しているでしょう。
すべては因縁によって縁起(生じて)しているのです。
だから、煩悩も苦も、因縁によって縁起(生じて)しているのです。
だから、煩悩と苦を縁起(生じ)させる因縁をなくせば、煩悩と苦の縁起(生じる)も
もないのです。
そのことを、仏教辞典では、「さとりは、縁起の滅した世界とされた」と記述して
いるのです。このことは、準シュダオンくんも指摘していましたが、まさにそのと
おりですね。
「縁起の滅」とは、「縁起の法の滅」という意味ではありません。
縁起の滅とは、すべては因縁によって縁起(生じて)している、という
縁起の滅(煩悩と苦の縁起の滅)をいうのです。
これを、縁起の法の滅、のことだと誤解してはいけません。
辞典の説明を、何度も何度も読んで、「縁起の滅」と「縁起の法の滅」とは
違うことを会得してください。
- >>288死ぬまで懲りないやつだなあ。お前がいい加減深山さんの説明を理解しろよ。
- >>288
何で準シュダオンさんは自作自演してるの?
- >>286 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 16:19:53.01 ID:nb3Mz7oA
>運命か変えらない・・果してそうなんでしょうか?
>>287 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 17:20:07.92 ID:DrGkVmyK
>これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
これらは誰に対する何のための質問なのでしょうか。
ご自身の疑問を書くのは自由だが、ここは仏教について何でも議論するスレではなく、
>>1にあるスレの主旨のとおり、アゴン宗について議論するスレです。
ビドゥーダバや仏教と運命について語りたければ、しかるべきスレに
行くか、自分で建てるか、どちらかにしてはどうでしょうか。
しかし、あなたの率直な疑問である点と、針の飛ぶレコードの
ように同じ事を繰り返すだけの準シュダオンさんにも
ウンザリしているので、一部にレスを付けます。
ただし、今後の書き込みは、どうか>>1の主旨を守ってください。
- >>286 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 16:19:53.01 ID:nb3Mz7oA
>運命か変えらない・・果してそうなんでしょうか?
運命が変えられない、と書いている人はこのスレにはいないように私には見えます。
なぜなら、ここは運命を変えられるかどうかを議論するスレではないからです。
私自身も何度も、運命という言葉を使っている。
しかし、運命が変えられないと主張しているのではなく、
釈尊のいう縁起には運命などという意味はないと指摘しているのです。
私は運命の議論などしていない。
桐山さんは因縁(縁起)を運命の星だと書いている。
だが、縁起には運命の星などという意味があるはずがない。
縁起「縁(よ)って生起すること.生存の苦悩はいかにして生起し,
また消滅するのかを示す」(岩波仏教辞典)
縁起には「よって生起すること」以上意味などありません。
阿含経では、「Aが生じればBが生じる」というような使い方をしています。
縁起とはこういう思考の仕方を指すのであって、運命の星なんて意味はない。
なのに、どうして縁起に運命の星などという意味を持たせるのかと、
そのデタラメな桐山教を批判しているのです。
- >>286 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 16:19:53.01 ID:nb3Mz7oA
>運命か変えらない・・果してそうなんでしょうか?
釈尊は運命を変えられるとも、変えられないとも説いていない。
なにせ、経典には運命に相当する話は一つも出てこないし、
唯一あるのは、占いを禁止したことです。
占いを禁止しながら、一方で、運命がどうのこうのと議論するはずがない。
あなたは釈尊が運命を変えようとして進軍を止めたと解釈している。
釈尊が戦争を止めたことをそんな解釈しかできないのですか。
あなたはたとえば、今の日本がどこかの国と戦争を
始めようとした時、反対するでしょう。
それは運命を変えるためですか。
私も反対するが、運命などという訳のわからん事を変えるためではなく、
戦争は多くの悲劇と被害をもたらすだけだから、するべきではないと
いう現実的な考えからの行動です。
実際、ビドゥーダバは釈迦族を徹底的に虐殺し、破壊し、自らも滅んだ。
多くの悲劇が生まれることはお釈迦様でなくてもわかります。
ましてや、彼は人々が輪廻しながら、行為とその報いを受ける様を
如実に見たからこそ、彼の教法の最初は「悪いことをするな」です。
最初に出てきたのが、善い事をしろではなく、悪いことをするなというのは
いかに多くの人が悪いことをしているかを示している。
こんなふうに釈尊が戦争を止めようとしたことは、運命などと
わざわざ持ち出さなくても、常識の範囲で理解できることです。
- >>288:神も仏も名無しさん :2012/09/14(金) 18:57:18.41 ID:7Wd6BP+b
>だから、煩悩も苦も、因縁によって縁起(生じて)しているのです。
>だから、煩悩と苦を縁起(生じ)させる因縁をなくせば、煩悩と苦の縁起(生じる)も
>もないのです。
>そのことを、仏教辞典では、「さとりは、縁起の滅した世界とされた」と記述して
>いるのです。
ところが桐山さんがこの説をとっていない。
縁起とは悟りであり、救いなんですよ。
これは般若心経瞑想法を読むとそれがよく理解される。
物事が空であること自体は苦しみではないのですよ。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。この諸行無常は盛者必衰に繋がる。
しかしそのようなマイナス面だけでなく諸行無常なんだから運命なんてのも固定
ではなく、どうにでも変わるのだぞ。
桐山さんは空とは何ぞやとは「物事全て因縁次第」「物事全て縁次第」と解釈
しています。
縁起があるからこそどうにでも変われるんだ、そうでなければ努力したって
永久に浮かび上がれない。
だから縁起こそが苦を脱する要件なんだと説いているわけです。
あなたにはそれが読み取れないのか?
順観、逆観の説明で。
- >>286 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 16:19:53.01 ID:nb3Mz7oA
>運命か変えらない・・果してそうなんでしょうか?
仏教に運命などと持ち込むべきではないと指摘しているのは、
実際に仏教には運命の話などないということの他に、
これが桐山さんの「釣り針」だからです。
あなたは何気なく運命という言葉を用いた。
では、あなたに質問するが、運命って何なのですか。
あなたは運命というものが実在することを前提としている。
だが、運命なんて、幽霊や火星人と同じで、言葉や概念はあるが、
客観性もなく、人によってその意味もイメージも微妙に違う言葉です。
堅苦しく言うなら、証明もされていないから定義もされていない。
こういう言葉をあなたはまるですでに世間一般に認定されて
いるかのような書き方です。
こういう言葉や内容が桐山さんの釣り針なのです。
>>286 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 16:19:53.01 ID:nb3Mz7oA
>運命か変えらない・・果してそうなんでしょうか?
桐山さんは話が非常にうまい。
運命という曖昧な内容であるにもかかわらず、あなたと同じで
まるですでに多くの人がその存在を認めているかのような
言い方で話を進める。
宗教に集まる人たちは不思議大好きな人たちが多いから、
運命の話に違和感はありません。
そこに、○○の因縁という言葉を持ち出す。
因縁という言葉を使うことで、いかにもそれが仏教で説かれて
いるかのように錯覚させるのです。
運命や占いなら世俗的だが、仏教なら高尚です。
運命をあのお釈迦様も説いたかのように錯覚させる。
嘘がなんとも人だから、断定的に嘘を並べる。
そして信者の無知を利用して、因縁解脱などというオカルト仏教を
釈迦仏教であるかのように信じ込ませる。
- >>286 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 16:19:53.01 ID:nb3Mz7oA
>運命か変えらない・・果してそうなんでしょうか?
桐山さんは因縁を運命の星のような意味に使い、それもまるで
世間の常識、仏教の常識であるかのような口ぶりで話す。
そして、運命は変えられるなどと言いながら、○○の因縁という普通では
変えられない運命が誰にでもあるかのように話す。
ここからは桐山さんの真骨頂で、霊的強迫が始まる。
○○の因縁の恐ろしさをこれでもかと話し、さらにその背景にある
霊障のホトケというオバケを登場させて、徹底的に脅かす。
だめ押しに天命殺でさらに脅かす。
受け入れやすい運命の話で釣って、悪因縁の話に持ち込み、さらには
霊障を出して、恐怖を植え付けて、これを救えるのはオシャカの
成仏ホウしかないと持っていくと、信者が「釣れる」。
- >>286 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 16:19:53.01 ID:nb3Mz7oA
>運命か変えらない・・果してそうなんでしょうか?
こういう桐山さんの釣り方法を「縁起」するなら、
最初は、運命があるかのような一般的な話から入っていくのです。
ちょうどあなたの話が、運命があるかのような前提から
入ったのと同じです。
不思議大好きな人たちは桐山さんの話で運命という言葉に
何の拒絶感もなく、無批判にすっと入ってしまう。
釣られた瞬間です。
だから、私はそこであなたに質問したように、ブレーキをかけるのです。
釈尊は運命など論じていないのに、どうして仏教に運命を持ち込むのですか。
算数の計算をしている時、「その数字はどんな音色ですか」と
質問するようなものです。
仏教とはまったく関係のない概念や言葉を勝手に持ち込んでいる。
桐山さんがこの手法で釣りをしたように、とても危険なことです。
そして、もう一つ、その運命という言葉自体が、客観性がなく、
人によってとらえ方にかなりの違いがある。
あるかないかわからないことを、あるかのような前提で
話をするのを、私は「火星人の足の本数」と呼んでいる。
火星人がいるかどうかわからないのに、その足の本数を
議論するのは空理空論であり、戯論だという意味です。
- >>287 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 17:20:07.92 ID:DrGkVmyK
>もしコーサーラの国王が怨みを棄てて釈迦国も御互い受け入れていたなら両国は繁栄していたのでは?
>これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
釈迦族もビドゥーダバも滅ぶと、どうして「煩悩解脱も虚無」になるのですか。
あなたは、「仏教を信じていれば世俗的に繁栄する」と思いこみ、
それを前提として書いている。
それは間違いです。
運命の話といい、こういうことを信じているあなたはアゴン宗の信者か
元信者で、一度は桐山さんに洗脳されたことがあるのでありませんか。
釈迦族はある意味で仏教を信じていたから滅亡したのです。
ビドゥーダバに攻め込まれた時、最初は釈迦族は反撃して有利だった。
彼らは元々勇猛な民族だったから、釈迦族の若者を中心に反撃して、撃退した。
だが、多くの人が傷つくのを見て、釈迦族の人たちは
何とこの若者を追い出してしまった。
そして、自ら門を開けたと言われています。
ビドゥーダバは自分の親族を含めて釈迦族を殲滅した。
この経緯を見るなら、釈迦族がもし仏教を信仰していなかったら、
勝利していた可能性が高い。
少なくとも滅亡はしなかったでしょう。
だが、釈迦族は滅亡を選んだ。
なぜなのか、あなたはわかりませんか。
それではどこかの詐欺宗教家と同じレベルになってしまいますよ。
- >>287 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 17:20:07.92 ID:DrGkVmyK
>これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
釈尊の煩悩を捨てろという教法を正しく理解し実践したら、
他人を傷つけ殺してでも生き残るという道はありえない。
桐山さんはいかにも仏教がこの世界での世俗的な
繁栄を説いたかのように言っているが、嘘です。
釈尊は、父母や妻子を捨てて、出家するように説いた人ですよ。
これだけ見れば反社会的な宗教です。
実際、解脱した後、カピラヴァットウに帰った時、片端から
若者を出家させたので、強い反発を買い、親の同意なしには
出家させないという約束をさせられた。
釈尊がここまでしたのは、輪廻の世界にすぎないこの娑婆世界に
価値を置いていないからです。
彼のように、輪廻する世界をあまねく観た者にとっては、
この娑婆世界での繁栄や成功など価値がない。
その様子は我々が想像する以上のひどい有様だったから、
彼は四諦の最初に「苦」を出したのです。
殺されるというひどい死に方をしても、その人が煩悩を断ちきっていれば、
もはや苦の世界に戻ってこないか、数度で済むかもしれない。
苦の世界で輪廻転生を繰り返すことに比べれば、死に方など
大した問題ではないからです。
- >>287 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 17:20:07.92 ID:DrGkVmyK
>これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
桐山さんはこの釈迦族の滅亡を、釈尊の失敗とみなしている。
滅亡したのは、釈迦族の人たちが釈尊を尊重しながらも、
その法を実践しなかったからだなどと罵っていた。
無知と愚昧もここまで来ると立派です。
まったく逆で、彼らは釈尊の教法に従ったからこそ、
他人を傷つけるのをやめたのです。
なぜなら、正当防衛であれ、他人への攻撃は害心という
煩悩を作り出し、煩悩はさらなる輪廻を引き起こすことになる。
他人を傷つけることは悪業です。
彼らはそれを選ばなかったのです。
立派に釈尊の教法を実践した人たちです。
それなのに、彼らをホウの実践をしなかったと
どこぞの頭の悪すぎる外道教祖は罵った。
なにせ桐山さんは「一発殴られたら十発殴り返す」と平然と法話で言った男です。
空港で騒ぐ子供をひっぱたきたかったと新聞紙上で平然と述べる男です。
これで世界平和を実現すると称しているのだから、
手の付けられない愚か者です。
因縁解脱などいかに虚無かこれを見ればわかる。
- >>279:神も仏も名無しさん :2012/09/14(金) 11:44:28.60 ID:7Wd6BP+b
>そのとおりではあるが、まず普通の人は順調な時には、苦の原因など考えない。
>で、肺癌や借金苦やいじめ、のように具体的な苦に遭遇して、はじめて真剣に
>苦の原因を考える。その場合、釈尊が説いたような、苦諦、集諦、とかの苦の
>原因は煩悩であるから煩悩を断て、なんて説いても無能である。
横変死の因縁は出てしまってからでは切れません。
因縁が出たらおまえは既に死んでいるからです。
このように癌なども手遅れにならぬように転ばぬ先の杖として脅迫商売を説いているのです。
だから癌細胞の滅却なんて説かない。
昔は念力による遺伝子DNAの変換なんてわけのわからないことを説いていたが
流石にそんな荒唐無稽なことは否定してもっぱら霊障のテレパシー論に切り替えた。
で、アゴン宗が一番苦の原因をおかしな方向に考えさせようとしてるじゃないですか?
あなたは毒矢の喩えを出しましたよね。
癌になったら医者に行くのが普通です。治療のために。
しかしあなた方はピント外れにも先祖がどうだの原因追求するのは、この毒矢を
作ったのは誰だ?ってな話に陥っているのですよ。
- >>287 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 17:20:07.92 ID:DrGkVmyK
>これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
釈迦族の滅亡を、あなたも桐山さんも世俗的な物差しで見ている。
だが、釈迦族の多くはこの世には戻ってこなかったか、あるいは
少ない輪廻で終了したはずです。
それは、一つには彼らが敵に反撃することを選ばなかったという
点を見てもわかるし、また桐山さんが講義した阿含経を見てもわかります。
釈迦族のマハーナーマが、虐殺と滅亡をまるで予知していたかのように、
交通事故で仏の教法を一瞬忘れて死んだら、どうなるかと質問している。
釈尊の教法とは、煩悩に囚われないことです。
この質問を見ても、彼がいつも煩悩に囚われまいと心がけるという
四念処に相当する修行をしていたのがわかります。
一瞬たりとも気を抜かず、常に自分の身と心と言葉に煩悩が
出てこないように観察し、心がけるのです。
ところが、馬に跳ねられたら、誰でもその瞬間はそんな修行は忘れて、
恐怖や苦痛に囚われてしまう。
しかし、釈尊はそんな心配はいらないと説いた。
これは気慰めではなく、普段から煩悩に囚われない修行を彼は
しているのだから、煩悩の貯金が元々少ない。
そこに一瞬だけちょっと煩悩が入り込んだとしても、
致命傷にはなりません。
常に熱して乾かしている鍋に水を一滴入れても、
すぐに蒸発してしまうのと同じです。
- >>287 :神も仏も名無しさん:2012/09/14(金) 17:20:07.92 ID:DrGkVmyK
>これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
あなたがどういう人か知らないが、書いた内容をみると、
桐山オカルト教の影響を強く受け、しかも、それが抜けて
いない人のように見えます。
自分が汚染されていることを自覚したほうが良い。
桐山放射能は強烈だから、アゴン宗を辞めただけでは汚染は取れない。
あなたは未だに仏教に運命などという観点を持ち込み、
釈迦族の滅亡の意味も理解していない。
自分が洗脳されているのではないか、オカルト仏教に汚染されて
いるのではないかと自分を疑うことはとても大事です。
その証拠に、洗脳の度合いのひどい信者ほど、
「洗脳されている」と指摘すると、小馬鹿にしたようにあざ笑う。
洗脳でないなら、アゴン宗の教義の根拠を示してみろと言われても、
手も足も出ず、出てくるのは罵声や嫌がらせです。
準シュダオンさんのように脳が溶け始めてからでは遅いから、
早めに自分を疑うことです。
- >>280:神も仏も名無しさん :2012/09/14(金) 12:04:22.77 ID:7Wd6BP+b
>そうじゃないでしょう。昨日も提示しましたが、釈尊は「入我法者 令故苦滅
>新苦不生」と、阿含経で説いているのですよ。我が法を修行する者は、令故苦滅、
>故苦とは故事などの語からも解るように、古い苦のこと、既に生じている苦の
>ことですね、それが滅する、と説いているのです。
あなたは現実社会と接点も稀薄になり現実を見ないで本の字面だけを見るように
したのですね。
苦の滅だ、万歳。
疫病の苦も滅だぞ。
でも現実は疫病で大量の解脱者が死んだことを経典は伝えている。
事実は小説よりも奇なりではなく、あなたの場合、事実なんかよりも
小説が大切なんだのひきこもりでしょ?
- >>278:神も仏も名無しさん :2012/09/14(金) 11:14:14.87 ID:7Wd6BP+b
>そう思うのは↑大乗仏教の縁起説に洗脳されたからです。
桐山さんを大乗の縁起説に洗脳されていると批判したいのですね。
桐山さんは十二縁起を解説して「だから解脱が可能なんだ」と示したのです。
縁起がなかったら解脱もできないのです。
- >釈迦族の滅亡を、あなたも桐山さんも世俗的な物差しで見ている。
>だが、釈迦族の多くはこの世には戻ってこなかったか、あるいは
>少ない輪廻で終了したはずです。
そうとう原始仏教に嵌っていますね。
当時のインド社会というのは世俗はカースト制度と
精神面は六道輪廻の肯定する世の中であり
それで人をマインドし甘い汁を吸う堕落した
バラモンの既存サンスカーラを釈尊は
新たなサンスカーラで焼く手法を取りマインドを
マインドで解いた手法なんですね。
四念処観 一切不浄 一切皆苦より解脱に意識が嵌ると自閉症を誘発し生命の危機に陥ることは
東洋哲学を研究し統合失調症の治療に内観(禅)療法を取り入れたユングも警鐘していますよ。
原始釈迦仏教も在家で嵌り込むと破壊カルトにしかならない。
かの集団が現代に現れ一切は不浄である一切は苦である一切を棄てよと
どっかの山中に家族を引き抜く集団がいたらオウムと変らないですね。
世俗の人は家族とどう平和に過ごせるか幸福になれるかしかなく
それも執着し適わぬなら苦になるから少欲にとどまる位にし
涅槃へ深く執着し入り込むと生存の滅ぼしへと向かう。
まずそこで釈尊は出家と在家をしっかり分けてますね。
インドで原始仏教が廃れた最大の原因は世俗の人が求めるのと
逆行した思想でもあるからですね。
そして釈迦滅後のサンガの出家聖者様が衆生から神の信仰も取り上げてしまったのも最大原因ですね。
輪廻観による輪廻脱却論は輪廻転生を信じないイスラム・ユダヤには通用しないですよ。
釈尊も輪廻を肯定してるように見えますが、その本筋は輪廻など無い否定へとなっていますよ。
輪廻転生のマインドを段階的に解く手法ですね。
輪廻の概念というのは輪廻を肯定する思い込みによって生じた顕在意識と潜在意識のパイプの繋がりですよ。
だからヒットラーの前世だという人などが何人も出たりする。
人が他人の臓器を移植して亡くなった臓器提供者の記憶を共有するのと似てますね。
- >>287:神も仏も名無しさん :2012/09/14(金) 17:20:07.92 ID:DrGkVmyK [sage]
>もしコーサーラの国王が怨みを棄てて釈迦国も御互い受け入れていたなら両国は繁栄していたのでは?
>これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
たしかにコーサラ国王が翻意したら運命っつーか事態は変わりますよ。
だからそれはコーサラ国王自身の問題になります。
人は他人を清められないとスッタニパータでも説かれています。
では諦めるのかと言うと、そんなことはなく他人に対しては言語を介して
教えを説いて改心させるのです。
釈尊が樹下に独り座って軍隊を引き返した勇気ある行動もまたそうです。
誰かみたいに世界平和の焚き火なんてトンチンカンなことはしません。
しかしいくら教えを説いても万人を説得することはお釈迦様でも不可能なんです。
準シュダオンさんを改心させるなんてお釈迦様でも不可能です。
では諦めるのか?
いえいえ、当たり前に努力しますよ。
- >>308
> そうとう原始仏教に嵌っていますね。
横入りですが、あなたこと相当に不勉強ですね。
もっと仏教を勉強したほうがいいでしょう。
- >>308
それかブッダが説いた根本仏教を否定して、阿含宗こそ現代にふさわしい根本仏教と言いたい新手の批判ですか。
- >>287:神も仏も名無しさん :2012/09/14(金) 17:20:07.92 ID:DrGkVmyK [sage]
>もしコーサーラの国王が怨みを棄てて釈迦国も御互い受け入れていたなら両国は繁栄していたのでは?
>これも不可能というなら人間は変われない存在だし変われないなら煩悩解脱も虚無になるのでは?
求不得苦ってわかりますでしょうか?
四苦八苦の一つで、求めても願いが叶わない苦しみです。
釈尊は四苦八苦を説いた。
苦の滅をめざして。
してその四苦八苦の解決とはどういうことなんでしょうか?
死ななくなり永久に生き長らえることか?老いることも病気もしなくなることか?
愛する人や物は離れることはなく、何時まで自分のものだから大丈夫ということか?
憎むべき厭な奴は目の前からいなくなるから大丈夫になることか?
求めて得られざることなんてなく何でも叶うから大丈夫ということか?
他人を自分の思いのままになることを願う、まあそのために言葉で説得するのだが、
意のままにならなかったらぐれてやるのか?
こういうことを考えると苦の滅を説く釈尊がわざわざ四苦八苦を糸口にしたのは
その出口まで自ずと見えてくるではないか?
準シュダオンさん以外は。
- >>308:神も仏も名無しさん :2012/09/15(土) 07:40:22.00 ID:fCNQKGTU [sage]
>原始釈迦仏教も在家で嵌り込むと破壊カルトにしかならない。
>かの集団が現代に現れ一切は不浄である一切は苦である一切を棄てよと
>どっかの山中に家族を引き抜く集団がいたらオウムと変らないですね。
皮相な物の見方ですね。
原始仏教になまじ嵌ったらたしかに自殺志向の弊に陥る危険性はあるかもしれない。
しかしオウムのような殺人はしませんよ。
彼ら自身テーラヴァーダ仏教も自称したオウムが殺人にまで手を染めたのは
テーラヴァーダの思想からではなく、タントラヴァジラヤーナがどうこうとか
原始仏教からも逸脱したからです。
- >>308:神も仏も名無しさん :2012/09/15(土) 07:40:22.00 ID:fCNQKGTU [sage]
>インドで原始仏教が廃れた最大の原因は世俗の人が求めるのと
>逆行した思想でもあるからですね。
私も全くその通りだと思いますよ。
この世は欲望原理でできているから、それに逆行する仏教が広まるはずがない。
しかしだからと言って大衆に迎合すべきだと主張するのですか?
そんな必要はなく信念を通せばよいのです。
あなたは原始仏教を支持しなければよいだけのことです。
だって桐山アゴン宗は原始仏教とも真逆なんですから。
原始仏教を否定すれば桐山宗教のようにしてよいかと言うと、そうは絶対にならない。
- >>314
殺戮などしなくてもね
世の倫理から外れてしまいますね。
釈尊は在家に涅槃(解脱)を目指しことなど説いていないですよ。
涅槃(解脱)は出家者が目指し
在家は天を目指しなしさいと言っている。
願目が違うんですよね。
- >>311
それは君が悟ったという慢心でしょうね。
三界の仕組みを観察してないですね。
これが律蔵と合わさって三明智となるんですね。
観察の一環としてJAL123便の墜落事故から観察してみてはどうですか
観察は内と外の両側から観るのが本筋ですよ。
墜落したのは高天原、ここの高天原神社の神体は国常立尊、神事は一二三(123)神示、
ここの地中に埋められ奉られていた石仏は520体。
123便の犠牲者は520人。
何故こんなことが起きるのか?
阿含宗はどうか知りませんが密教の三麻耶戒は心と仏と衆生は一心如であると強く信心することから入る。
まずその基盤を失ってしまった原始?仏教への警鐘でもあるかな。
真の四無量心と一心如が崩壊してますね。
- >>316
あなたの考え方は、娑婆世界の常識を優先し、現世利益を望むことでしょう。
だから仏陀の高邁な考えは理解できないし、受け入れたくないのでしょう。
どこまでも娑婆世界での生活と、現世利益を重視したいのでしょう。
>在家は天を目指しなしさいと言っている。
それは違います。
在家でもシュダオン、シダゴン、アナゴンに到達しています。
桐山さんの本にも、このことは書いてありますよ。
しっかり勉強してください。
- >>317
誰が悟ったどと言っていますかw
決めつけないでください。
それと何ですか、「墜落したのは高天原」などの妄想めいた書き込みは。
阿含宗はどうかしらないというなら、スレ違いなので、他所へ行ってください。
- >>318
在家でもシュダオン、シダゴン、アナゴン
いずれ涅槃におもく天の道ですね。
- >あなたの考え方は、娑婆世界の常識を優先し、現世利益を望むことでしょう。
>だから仏陀の高邁な考えは理解できないし、受け入れたくないのでしょう。
>どこまでも娑婆世界での生活と、現世利益を重視したいのでしょう。
偏見もいいところですね。
欲しいと願うとどうなるか?欲しいと思うものは余計に届かぬものになるのはよくよく観察してますよ。
欲しいと思うものなど得にないけどね。
- >輪廻観による輪廻脱却論は輪廻転生を信じないイスラム・ユダヤには通用しないですよ。
>釈尊も輪廻を肯定してるように見えますが、その本筋は輪廻など無い否定へとなっていますよ。
>輪廻転生のマインドを段階的に解く手法ですね。
阿含経で釈尊は輪廻を肯定していますよ。あなたは阿含経を読んだことがあるのですか?
学者さんが書いた論文だけ読んで、解ったつもりになると誤りますよ。
阿含経には「生死尽」という語が頻繁に出ています、生死とはサンサーラの訳で、
輪廻のことです。輪廻を肯定していなければ、生死尽=輪廻尽、なんて言葉は
出て来ないはずでしょう。
但し、輪廻を如実に知ることが出来るのは、天眼智という神通を証得してからだ
と、釈尊は阿含経で説いています。天眼智を得れば、衆生が為した業に応じて、
五道を往来する姿を如実に見る、と説いていますよ。
まぁ、常識的な力しか持たない人には、信じ難い話でしょう。
唯物論者は、釈尊の妄想だと言うことでしょうw。
自称仏教徒にも、そういう神通などは、信じたくない人が居ますね。
キリスト教徒などにも、イエスの奇蹟話などは否定したがる人が居ますね。
神通・奇蹟、など、肯定する程度問題はあるでしょうが、完全否定したの
では宗教ではないでしょう。
私の若い頃は、神通・奇蹟を完全否定していましたが、人生体験を経た後、
その考えを改めていますよ。
- >>そのことを、仏教辞典では、「さとりは、縁起の滅した世界とされた」と記述して
>>いるのです。
>ところが桐山さんがこの説をとっていない。
>縁起とは悟りであり、救いなんですよ。
>これは般若心経瞑想法を読むとそれがよく理解される。
ですから混同してはいけないのです。縁起の滅がさとりとしたのは、初期仏教の
さとりなのです。大乗のさとりはそれと違ってくるのです。般若心経瞑想の本に
は大乗のさとりも解説していますから、違っているのは当たり前です。
般若心経は阿含経ではないですからねw。
ですから、阿含仏教と大乗仏教をアウフヘーベンしたのが阿含宗という管長の
主張をよく勉強しないと、混同してしまうのです。
批判派の誰かがレスしたように、ラーメンにお寿司を入れて食べているような
解釈しか出来ていないのが、ユビくんや深山くんのような批判派なのです。
- >>308 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 07:40:22.00 ID:fCNQKGTU
>そうとう原始仏教に嵌っていますね。
何を見当違いな読み方をして、お説教を垂れているのだ?
私は釈尊の説いた仏教では釈迦族の滅亡はこのようなものだと
書いたのです。
誰が嵌ったのだ?
こういう選択が正しいとか、仏教徒なら黙って殺されろなんて書いていない。
これが正しいかどうか、このように信仰するかどうかなど私は何も書いていない。
釈迦仏教の教法に基づいて、釈迦族の選択を解説しただけです。
自分の読解力の低さを棚にあげて勝手な解釈して、
書いてもいないことを勝手に作り出して、見当違いな
知ったかぶりのお説教をするのはやめてほしい。
私が正しいキリスト教の教義に沿ってイエスと弟子たちの姿を描写したら、
キリスト教に嵌ったことになるのか。
釈迦族は釈尊の教法を真っ正面から理解し、それを彼らなりに実践した。
それを桐山さんは、彼らが教法を実践していなかったから
滅亡したとか、シャカは社会運動には失敗したなどと
罵ったから、仏教を理解しない見当違いな無知な発言だと批判したのです。
- >>308 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 07:40:22.00 ID:fCNQKGTU
>原始釈迦仏教も在家で嵌り込むと破壊カルトにしかならない。
>かの集団が現代に現れ一切は不浄である一切は苦である一切を棄てよと
>どっかの山中に家族を引き抜く集団がいたらオウムと変らないですね。
なるほど、あなたの目には、身を挺して戦争を防ごうとした釈尊も
サリンをまいて人々を虐殺した麻原彰晃も同じに見えるのだ。
その見識からすると、桐山アゴン宗のあり方に賛成か。
あなたも桐山さんの、釈迦族は修行をしていなかったから
滅亡した、すなわち釈尊は社会運動に失敗したという意見に賛成か。
あなたの宗教観はここではまったく無用です。
ここは原始仏教に嵌った人たちのスレではなく、
アゴン宗という原始仏教を使った宗教詐欺の批判をしているスレです。
他人に見当違いなお説教を垂れる前に、スレの主旨を読んだらどうですか。
- >>316 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 09:37:31.34 ID:fCNQKGTU
>釈尊は在家に涅槃(解脱)を目指しことなど説いていないですよ。
>涅槃(解脱)は出家者が目指し
>在家は天を目指しなしさいと言っている。
>願目が違うんですよね。
間違いですよ。
釈尊は出家を第一とした。
だから、出家した人たちは、すでに出家生活をしていた沙門たち
だけでなく、在家も多数出家した。
釈尊は出家しろとはいっさい言わない。
本人の自発性に任せたから、選択は本人がした。
出家が第一だが、在家信仰も認めた。
出家と在家を別々にどちらでも良いと評価したのではなく、出家がだめなら、
せめて在家で教法を守りなさいと言ったのです。
だから、出家も在家もしなければならない主たる教法は共通している。
煩悩を減らせ、なくせです。
在家と出家の最大の違いは比丘に供養するという点だが、
これを釈尊は彼の説く教法だとは言っていない。
善行を為せと言っているだけです。
だから、いくら供養によって善行を為しても、天界に
生まれ変わるなどの功徳は生じるが、解脱とは関係ない。
この点をあなたは取り上げて、在家と出家は願目が違うと言っている。
だが、それは釈尊が説いた教法という大前提を無視した意見です。
もっと言うなら、仏教を理解していない意見です。
- >>320 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 10:34:08.60 ID:fCNQKGTU
>在家でもシュダオン、シダゴン、アナゴン
>いずれ涅槃におもく天の道ですね。
いいえ、四沙門果は解脱への道です。
在家に説いたのも出家に説いたのと同じで、煩悩を減らせです。
天を目指せではなく、煩悩を減らせば、最短、天に生まれ変わり
そのまま入滅し、最長でも、天とこの娑婆世界を何往復かした後、
入滅できると説いた。
在家にも解脱を説いているのです。
天など目指さなくても、煩悩を減らせば天に輪廻する。
善行を為して天界に行っても、その功徳が尽きればやがて
また苦しい輪廻の世界に逆戻りです。
これは比丘に供養しても結果は同じで、輪廻は止まらない。
供養と解脱とは関係ないからです。
桐山さんはいかにも如来に供養した功徳で
解脱の道を歩むかのような書き方をしているが、嘘です。
釈尊は桐山三福道など説いていない。
- >>320 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 10:34:08.60 ID:fCNQKGTU
>在家でもシュダオン、シダゴン、アナゴン
>いずれ涅槃におもく天の道ですね。
釈尊は四諦で、天界を含めた輪廻世界を苦である断言した。
四諦は在家にも説かれている。
その苦の一部である天界に生まれ変わるように釈尊が説くと思いますか。
それでは釈尊の四諦の教法に矛盾することにどうして気がつかないのだろう。
釈尊が説いたのは、四諦にあるように、煩悩を減らして、
天界を含めた苦しい輪廻の世界から脱出しろということです。
あなたは在家の供養の話と、在家の修行の話を一緒にしているのです。
供養の功徳で天界に行くという話を、これが在家用の「修行」だと勘違いしている。
供養は供養であって、善行にすぎず、修行ではありません。
そのことは桐山さんが取り上げている出世間経に出ている。
もっとも彼の解説はデタラメです。
釈尊は、比丘に供養する、世間への善行によって得られる功徳を
世間福としてこれも奨励したが、さらに自ら煩悩をなくす
修行をすることを出世間福として説いている。
これを見ても、釈尊が説いたのは在家も煩悩を無くせということです。
在家の修行も、程度や中身の差こそあれ、八正道であり、
これは煩悩を減らし、無くすことです。
- >>320 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 10:34:08.60 ID:fCNQKGTU
>在家でもシュダオン、シダゴン、アナゴン
>いずれ涅槃におもく天の道ですね。
如来に供養した功徳で天界に輪廻しても六道輪廻の内だから、苦の世界です。
だが、在家でも煩悩を減らすという修行をした者は、
同じ天界に輪廻しても、その先が違う。
在家も四沙門果の第三課程のアナゴンにまで到達できる。
アナゴンは天界に生まれ変わるから輪廻からは
まだ脱出していないが、天界で修行して涅槃入るから、
少なくともこの娑婆世界に戻ってくることなく、やがて解脱する。
在家でもアナゴンまではなれますから、在家に解脱の道を説いているのです。
出家経では、三結を断じ、欲貪、瞋恚を無くし、
つまり五下分結という煩悩を断ちきりアナゴンに到達した在家が
多数いることを述べている。
これが釈尊が在家に説いた解脱への道です。
釈尊は確かに、在家がそのまま阿羅漢になれるとは説いていない。
だが、主たる教法は、苦の輪廻世界の一つにすぎない天界に
生まれ変わるように説いたのではなく、
出家と同じように、解脱への道を歩むように説いたのです。
つまり、在家も出家も目標も基本も願目も同じです。
- >>317 :神も仏も名無しさん:2012/09/15(土) 10:14:20.82 ID:fCNQKGTU
>123便の犠牲者は520人。
>何故こんなことが起きるのか?
なんだ、在家は天を目指すなど書いているから、原始仏教を
学んでいる人かと期待したら、ただのオカルト大好き人間か。
がっかり。
ここはアゴン宗がどうかを議論するスレですから、
「阿含宗はどうか知りませんが」という内容は書かないでほしい。
お引き取りください。
- >阿含経で釈尊は輪廻を肯定していますよ。あなたは阿含経を読んだことがあるのですか?
>学者さんが書いた論文だけ読んで、解ったつもりになると誤りますよ。
>阿含経には「生死尽」という語が頻繁に出ています、生死とはサンサーラの訳で、
>輪廻のことです。輪廻を肯定していなければ、生死尽=輪廻尽、なんて言葉は
>出て来ないはずでしょう
意識の元を辿ると己の前世や来世が共存してるのが現状の世界であり
大元の輪廻転生は己の内側の一つのものに還り五蘊を離れて摩滅の観察ですね。
人類の大元(起源)が同じ一つの因であるのを観察しますね。
- 心は禅によって一切に遍在(神)するのを観察し五蘊の囚われを離れて仏であると。
そして四無量心が無辺に広がると。
ある意味、梵我一如と密教の一心如は同じですね。
釈尊が否定した梵我一如はバラモンの六道輪廻を肯定セットの梵我一如なんですね。
- >なるほど、あなたの目には、身を挺して戦争を防ごうとした釈尊も
>サリンをまいて人々を虐殺した麻原彰晃も同じに見えるのだ。
仏の敷いた法の紐を解く部分もあるようですね。
見えるわけ無いでしょ。
>私が正しいキリスト教の教義に沿ってイエスと弟子たちの姿を描写したら、
>キリスト教に嵌ったことになるのか。
キリスト教でいったら解脱は神と縁が切れた第二の死(滅び)として畏れるものなんでしょうね。
その場合は神が己の外側に在ると思っている人が多いからね。
自灯明法灯明と己の内に神在りと観るのも同じですね。
- いずれ涅槃におもく天の道ですね。
>いいえ、四沙門果は解脱への道です。
だからシュダオン、シダゴン、アナゴン いずれ涅槃におもく天の道ですね。
意味は同じなんですけど。
出家にシュダオン、シダゴン、アナゴン果ってありますかね?
直接アルハット行でしょう。
そして行う行が在家と違い律蔵と合わせて禅定を行い三明智を得る行を行う。
本来、神足や禅は在家の行でないんですね。
- >>334
いい加減にしなさい。
ここは阿含宗批判スレ。
仏教スレではありません。
深山=DQNネーム http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113111406
- >336
お前もいい加減に、阿含宗の教義を勉強して、阿含経をしっかり読んで
深山さんに反論してみろよ。
- 幸福の科学を訴えるサイト
http://antikkhs.blog119.fc2.com/
ここは参考になります。
http://antikkhs.blog119.fc2.com/blog-entry-79.html
名誉毀損には問われませんからご安心下さい!
裁判所はーー「宗教法人及びその主宰者等は、法による手厚い制度的保護の下に、
人の魂の救済を図るという至上かつ崇高な活動に従事しているのであり、
このような特別な立場にある団体ないしその責任者は、常に社会一般からその全存在について
厳しい批判の対象とされるのは自明のことというべきであろう」――と、
いくら大川や幸福の科学を批判しても名誉毀損にはあたらないとのお墨付きが出ているのでご安心のほどを。
幸福の科学も阿含宗も似ている。
- >>334
> 出家にシュダオン、シダゴン、アナゴン果ってありますかね?
>
> 直接アルハット行でしょう。
タマに見かけるオカルト大好き構ってさんか、
四沙門果は出家だろうと在家だろうと必ず通る解脱の階梯
だし、表向きはアゴン宗もこの説に沿っている。
何より貴方は出世間も、世間もごっちゃだし俺様宗教を
ここで開陳されている、この板で議論に参加したかったら
片足はアゴン宗におかないとダメなので ムダ知識開陳以前に
まず >>1 をよく読んでから参加することだ。
- >>323:神も仏も名無しさん :2012/09/15(土) 11:40:40.97 ID:HN0TcZb0
>ですから混同してはいけないのです。縁起の滅がさとりとしたのは、初期仏教の
>さとりなのです。大乗のさとりはそれと違ってくるのです。般若心経瞑想の本に
>は大乗のさとりも解説していますから、違っているのは当たり前です。
>般若心経は阿含経ではないですからねw。
いや、般若心経瞑想法だけでなく、「仏陀の法」などでも釈尊の教法は
真理である縁起の法と成仏法の2つであると述べてますよ。
苦しみを展開するに過ぎず、破壊してしまわねばならない縁起とはしていません。
だから因縁解脱と言っても縁起解脱とは言えないのです。
- >>323:神も仏も名無しさん :2012/09/15(土) 11:40:40.97 ID:HN0TcZb0
>ですから、阿含仏教と大乗仏教をアウフヘーベンしたのが阿含宗という管長の
>主張をよく勉強しないと、混同してしまうのです。
それでは整理しましょう。
準シュダオン教においては縁起を滅した世界という捉え方が一番正しい。
くたばれ縁起。
批判側は大乗の縁起観などに依っている。愚かなことだ。
桐山くんは大乗とのアウフヘーベンも説いているから縁起観も大乗のそれに
なっている。まあこちらは愚かなことだとは言わないでおこう。
- ID:fCNQKGTU
なんだこの人は?
構って欲しいなら阿含宗を擁護してごらん。
たくさんレスが付く。
- >>340:ユビキタス◆AFU2rOqH7nac
>いや、般若心経瞑想法だけでなく、「仏陀の法」などでも釈尊の教法は
>真理である縁起の法と成仏法の2つであると述べてますよ。
典拠の著書が一部違ったかもしれません。
いずれにしても調べ直して引用を示しますので、少し時間をください。
- カルトに騙された低脳は黙ってろ。w
- どうするとカルトなんぞに騙されるのか教えろや!
サッバリわからん。
- >何より貴方は出世間も、世間もごっちゃだし俺様宗教を
君らだろw
世間にあって三度の飯を食い就寝し、また欲情したり我を前面に出し出世間の仮面を着け
阿含狂対阿含宗に満悦する。
- 「仏陀の法」にあった記述を引用。
なにを発信するのか?
仏陀のさとりの核ともいうべき、「縁起の法」と「八正道の教え」である。
これで死者の怨念は消滅する。
(186〜187頁)
- 「仏陀の法」にあった記述を引用
また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理(さとり)以外、解くことができない。
(188頁)
- 釈尊の教法は縁起のさとりと成仏法の実践からなると書かれた著書は別途探しますが
いかがでしょうか?
>>350-351のように「仏陀の法」でも縁起は真理(さとり)でありこれを活用すると
明記されている。
準シュダオン教はこの真理(さとり)を滅した世界と桐山くんに反目するのか?
- 縁起があったればこそ解脱も可能であり、縁起を活用して運命を変えるのが
桐山くんの主張です。
だから桐山くんは縁起解脱とはさすがによう使えんのです。
無知を露呈することになるから。
- ブログ 釈迦仏教の根本思想について
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486
- >>346
障害を持つ子供の母親に、悪因縁や霊障の話で何度も金を出させる先達がいた。
当時会員だった私も、さすがに疑問に思ったことがある。
- >縁起があったればこそ解脱も可能であり、縁起を活用して運命を変えるのが
>桐山くんの主張です。
>だから桐山くんは縁起解脱とはさすがによう使えんのです。
縁起も因縁もほぼ同じ意味だから、因縁解脱といおうが縁起解脱と言おうが、
同じなのであるが、日本の場合、縁起が良いとか悪いとか使うし、これは
縁起ものです、と言う場合は良い因を意味するのが通例です。
だから、縁起解脱と言った場合は、誤解する人がより多いでしょう。
因縁の場合、因縁を付ける、などど使用し、因縁の場合はほぼ悪い因を意味する
ことが通例です。だから、縁起解脱と因縁解脱のどちらの語を採用するかとした
ら、わたしだって因縁解脱のほうを選びますよ。
辞典の説明にあるように、すべては縁起している、わけです。煩悩も苦も縁起して
いる、煩悩も苦もその因縁によりて生じているわけです。だから、煩悩も苦も、
その因縁を滅すればよいわけでしょう。
縁起の滅と、縁起の法則の滅との違いを理解できていますか?
例えば、宇宙へ飛び出せば無重力となって、重力が無くなりますが、万有引力の
法則が無くなっているわけではないね。
あまりひねくれて考えてはいけません。要は苦が消えて行けばよろしいのです。
あなたの場合は苦滅ではなくて、超能力欲しさに入行したわけか?
じゃあ、最初から半分は失敗してたようなものですね。
- >356
お前は釈尊の教法にあほらしいと罵ったアホウだから
縁起などを論じる資格はない。それよりも長寿の因縁と
現役の因縁を根拠を示して説明しろ逃げるしか能の無い馬鹿め。
- >>347
> 世間にあって三度の飯を食い就寝し、また欲情したり我を前面に出し出世間の仮面を着け
> 阿含狂対阿含宗に満悦する。
文面からいって四沙門果を認識されていないようだね、
お釈迦さんの教えは「出世間」の教えですよ、そんな基本的な事まで
説明させないで下さい。
聖者の初歩である、シュダオンは身見の煩悩を断った聖者であるから
我がどうのと云う話が出てくる方がオカシイわけだし、批判側は宗教者である
必要すらない。
事実関係を提示して、まだ気づいていない信者さんに読んでもらう
だけでよい、
阿含宗も羊頭狗肉ではあるが、この四沙門果自体は否定してないわけだし、
俺様宗教をひけらかしたいだけならここは板違いですからお引き取りを。
- >>356:神も仏も名無しさん :2012/09/16(日) 16:28:31.21 ID:EnO/U0Ug
>日本の場合、縁起が良いとか悪いとか使うし、これは
>縁起ものです、と言う場合は良い因を意味するのが通例です。
>因縁の場合、因縁を付ける、などど使用し、因縁の場合はほぼ悪い因を意味する
>ことが通例です。
- >>356:神も仏も名無しさん :2012/09/16(日) 16:28:31.21 ID:EnO/U0Ug
そのとおりです。桐山さんもそういう考えで造語したのでしょう。
つまり世間の通念を借りただけです。
- 仏教の目的を桐山流にわかりやすいように示したいという考えで造語するのならば
運命転換とでもすればよい。
しかし因縁解脱などと因縁とか解脱とかの仏教用語を組み合わせて造語して
あたかも仏教用語であるかのようにしてみせただけです。
して世間の通念しか利用していない。
- >>356
>ら、わたしだって因縁解脱のほうを選びますよ。
それだけの理由だったら、あなたは縁起を滅した世界なんて仏教辞典を活用して
あげる必要はなく、要らぬおせっかいというものです。
- >>356
>縁起の滅と、縁起の法則の滅との違いを理解できていますか?
違いなんかありません。縁起というのは原因があるから生じるというだけです。
だから善いも悪いもないのです。桐山さんも縁起空と言っている。
成功して幸せになれるのも縁起だからです。
- >>356
>あなたの場合は苦滅ではなくて、超能力欲しさに入行したわけか?
それはあなたではないですか?
都合のよいまじないみたいなもので目先の厭なことを回避しようなんて考える
低レベルな話は子どもが超能力欲しい、魔法の杖が欲しいとダダをこねてるみたいなものだ。
- 阿含宗(あごんしゅう)大護摩供養
http://ameblo.jp/tachan1941/entry-11353561539.html
世界平和祈念原爆犠牲者成仏供養・阿含宗大護摩供養が、9日、原爆供養塔前で行われました。
阿含宗は桐山靖雄(きりやませいゆう)により1978年(昭和53年)4月8日に創設された仏教系の新宗教です。
毎年2月11日、(2011年で第38回目となる)「炎の祭典・阿含の星まつり」という修験道の儀式である
護摩の一種大柴燈護摩供を京都・花山にて開催することでも知られています。
- 「なにを発信するのか?
仏陀のさとりの核ともいうべき、「縁起の法」と「八正道の教え」である。
これで死者の怨念は消滅する。 」
「最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地
が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。」
(『仏陀の法』186〜187頁)
ユビキタスさんがたいへんおもしろい文章を引用してくれました。
先に一つ信者さんたちに理解してほしいのは、普通、仏教では「縁起」というが
「縁起の法」とは言わないことです。
「縁起という法」ならまだわかる。
桐山さんはなんでも法と付けるのが大好きで、何か摩訶不思議な神秘的な
法があるかのように錯覚させるのが得意です。
四神足法なんて桐山さんは言うが、仏教には四神足はあっても四神足法なんてない。
同様に普通は縁起であって、「縁起の法」と熟語のように使うことはありません。
信者さんたちは、「些細なことだ」と反発するかもしれない。
だが、桐山さんはこういうちょっとしたすり替えで信者の錯覚を狙う。
また、信者さんたちはオカルト仏教用語ではなく、正しい仏教用語を
学んでほしい。
信者までこの愚かな表現を真似る。
>>356 :神も仏も名無しさん:2012/09/16(日) 16:28:31.21 ID:EnO/U0Ug
>縁起の滅と、縁起の法則の滅との違いを理解できていますか?
この準シュダオンさんのように、「縁起の滅」「縁起の法則の滅」などと
いう意味不明の言葉を付ける愚か者がいる。
他の信者さんたちは仏教用語を意味も使い方も正確に、そのまま用いて、
くれぐれも桐山さんや準シュダオンさんみたいに造語や捏造をしないことです。
- 「最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地
が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。」
(『仏陀の法』186〜187頁)
桐山さんによれば、死者を成仏させるのは、縁起の法と八正道の教えを
デンパでビビッと伝えることだという。
桐山さんは実におもしろいことをこの文章で書いています。
死者を成仏させるためには「仏陀と等同のところまで到達」して
いないとできないというのです。
仏陀と等同というのは、阿羅漢、有余依涅槃の聖者を指します。
桐山さんは、自分が完全に因縁解脱したのは真正仏舎利が来た時だと
『修行者座右宝鑑』に書いた。
実は、これも桐山さんは曖昧な言い方をしていて、因縁を完全に切ったことと、
阿羅漢、つまり有余依涅槃の聖者と同じなのかどうか明言していない。
私がこういう細かいことをあえて指摘するのは、
桐山さんは「後出しヂャンケン」が得意で、説明を曖昧にしておき、
矛盾が生じると、曖昧さを巧みに利用して屁理屈を並べるのが得意だからです。
1999年の地球壊滅でこれを使い、賞味期限を十年延長した。
最近は、「有余依涅槃の聖者」の定義すら曖昧になっていることに
信者さんたちは気がついていますか。
とりあえず、今の所アゴン宗の教義では「仏陀=因縁を完全解脱」
ですから、
真正仏舎利が来た時に桐山さんは完全に因縁が切れて、仏陀になったとみなします。
- 「最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地
が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。」
(『仏陀の法』186〜187頁)
普通アゴン宗で真正仏舎利と言えば、1986年のスリランカからの
仏舎利のことです。
桐山さんはこれが日本にもたらされた二度目の真正仏舎利だと述べている。
一度目は名古屋の日泰寺でアゴン宗が二度目だという。
ですから、1986年以降に桐山さんは仏陀になったことなる。
桐山さんは、1980年のインドでの白銀バイブで、自分がアナゴンで
あることを自覚したというから、この時はまだ仏陀ではない。
ところが、桐山さんはこの年『守護霊を持て』を書いて、
霊障のホトケを新発売して、すでに解脱供養を始めていた。
この間、桐山さんは仏陀ではないのだから、
「仏陀と等同のところまで到達」していない。
では、1986年に仏陀になるまでの6年間、
桐山さんの解脱供養は何だったのか、ということになる。
桐山さんには死者を成仏させる力もないのに、十万円で
引き受けていたことになる。
つまり人々を騙していたことになる。
桐山さん本人がそのように書いているのです。
このことを信者さんたちはどう見ますか。
- >>367
阿呆臭w よくもそんなどっちでも良さそうなことばっかりチマチマ書き込んでられるな?
流石1000万円注ぎ込んでやっと騙されてることに気が付くレベルの間抜け野郎だよお前wwwww
- 「最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地
が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。」
(『仏陀の法』186〜187頁)
桐山さんは「縁起の法と八正道を完全に身につけ」たと宣言している。
信者さんたちは縁起の法などというと、超能力かなんかでビビッと
体得するものだと思うかもしれないが、釈尊は言葉で縁起を説いたのだから、
普通の知性があれば理解できる内容です。
では、桐山さんの体得した縁起の法を拝聴してみましょう。
「これあるによりてこれあり これ生ずればこれ生ず
これなきによりてこれなく これ滅すればこれ減す」
(仏陀の真実の教えを説く[上]、131頁)
これが桐山さんの体得した縁起の法だそうです。
これがあるからこれがある??・・・信者さんたちはお分かりになったでしょうか。
桐山さんは「実に簡単明瞭な教えです」と書いていて、
何の説明もないが、私には意味不明です。
- 「これあるによりてこれあり これ生ずればこれ生ず
これなきによりてこれなく これ滅すればこれ減す」
(仏陀の真実の教えを説く[上]、131頁)
縁起とは因縁であり、桐山さんによれば因縁とは運命の星だという。
つまり運命の星が「これあるによりてこれあり」だということになる。
信者さんたちはわかりましたか。
「これあるによりてこれあり」がガンの因縁だということになる。
信者さんたちはわかりましたか。
「ゲイカの仏陀の知恵でなければ縁起の真の意味はわからない」なんて
言わないでください。
そういうのを脳味噌の御供養、思考放棄というのです。
なにせ、桐山さん本人が「実に簡単明瞭な教えです」(134頁)と言っているのです。
ですから、信者さんたちだけでなく、一般人にも簡単明瞭にわかる内容なのです。
でも、信者さんたちはどうですか。
なあんにもわかりませんよね。
「これあるによりてこれあり」という文章の意味がそもそもわからない。
「これあるによりてこれあり」が運命の星とどう結びつくのかわからない。
「これあるによりてこれあり」がどうしてガンの因縁なのわからない。
どうしてなのか、私に説明される前に、信者さんたちも考えてみてください。
- 「これあるによりてこれあり これ生ずればこれ生ず
これなきによりてこれなく これ滅すればこれ減す」
(仏陀の真実の教えを説く[上]、131頁)
そもそも「これあるによりてこれあり」の文章の意味がわからない。
その理由は簡単で、桐山さんのこの引用が嘘だからです。
桐山さんのこの引用の元は阿含経にあります。
「これあればかれあり、これ生じるが故にかれ生ず、
これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。」
(『仏教要語の基礎知識』水野弘元158ページ)
これが阿含経にある縁起の説明です。
桐山さんはここから引用したツモリだった。
だが、ご覧のように引用が完全に間違っている。
目がカメラで超人的記憶力を持つはずの桐山ゲイカが、
絶対に間違ってはいけない縁起の公式を記憶違いしている。
この桐山さんのどこが超人的記憶力なのだ?
まるで、準シュダオンさんが記憶力が良いつもりで、記憶に頼って
漢文経典を引用してみせるが、同じ経典が毎回違うようなものです。
二人とも記憶力が良いのではなく、自惚れと思い込みが並外れているだけです。
- 阿含経「これあればかれあり」(「AならばB」)
桐山説「これあるによりてこれあり」(「AならばA」)
阿含経が「AならばB」なのに対して、桐山説では「AならばA」となっていて、
両者はまったく別です。
阿含経の「これあればかれあり」とは具体的に書くと、
「宗教で人を騙したから、宗教詐欺師に成り果てた」
「美食飽食を長年続けたから、生活習慣病になった」
「愛人を囲ったから、エロ教祖と笑われた」
こんなふうになります。
しかし、桐山縁起では、
「宗教で人を騙したから、宗教で人を騙した」
「美食飽食を長年続けたから、美食飽食を長年続けた」
「愛人を囲ったから、愛人を囲った」
となってしまい、意味不明というよりも、無意味な文章です。
具体例を見てもわかるように桐山さんは縁起という基本すら
理解していないのです。
- 阿含経「これあればかれあり」(「AならばB」)
桐山説「これあるによりてこれあり」(「AならばA」)
信者さんたちの中には、私の指摘に「ゲイカのちょっとした記憶違いの
揚げ足取りをしている」と反論するかもしれない。
だが、ちょっとした記憶違いでは済まないのです。
事実、信者さんたちは私から縁起の具体例を示されているから、
今後、縁起について質問された時、「AならばB」と答えることは
あっても、「AならばA」なんて絶対に答えない。
丸暗記なら、「AならばA」などと答えるかもしれないが、
内容を理解したら、「AならばA」なんて答えるはずがない。
こう説明されれば桐山さんがなぜ間違ったのか、理由がわかったでしょう?
内容を理解していないからです。
縁起を簡単明瞭だと、さもわかったかのように
桐山さんは書いているが、実は彼は意味を理解できなかった。
だから、本人は記憶力が良いつもりでこれを意味もわからずに、
丸暗記したから「これあるによりてこれあり」なんて書いたのです。
理解して記憶すると正しく記憶できるが、丸暗記すると
記憶違いすることは信者さんたちも体験しているでしょう。
桐山さんが縁起の公式を丸暗記しようとしたのは、
意味が理解できなかったからです。
だから、彼は本でも、簡潔明瞭とだけ書き、
縁起の具体的な内容については説明しなかった。
説明しなかったのではなく、理解していないから、できないのです。
桐山さんが縁起を理解していないとなると大変なことになる。
- 「最も大切なことは、発信者が、縁起の法と八正道を完全に身につけ、さとりの境地
が、仏陀と同等のところにまで到達していなければならないということである。」
(『仏陀の法』186〜187頁)
見てください。
桐山さんによれば、死者を成仏させるためには、縁起の法を
完全に身につけないといけないというのです。
だが、現実の桐山さんは経典の短い文章の暗記すらできず、
間違った文章を縁起だと思いこんでいるのです。
この桐山さんが縁起を理解しているはずがない。
縁起を理解しているなら、本を出版する前に、「これあるによりてこれあり」
と書いてある原稿を読み直して「間違いだ」と気がつくはずです。
だが、桐山さんは「これあるによりてこれあり」をかれこれ三十年近くも
書き続けて、未だに気がつかない。
つまり、縁起を理解すらしていないのです。
こんな人が縁起を「完全に身につけ」ているはずがない。
縁起を身につけていないとどうなるか、桐山さんは次のように書いている。
- 「また、死者の怨念は、仏陀の縁起の法の真理以外、解くことができない。」
(『仏陀の法』188頁)
縁起を正しく理解しないと死者を成仏させることができないというのです。
縁起という因果関係を示す内容をデンパで死者に伝えると
どうして死者が成仏するのかわからない。
桐山説では縁起は運命の星なのだから、運命の星を死者に
伝えると死者は成仏する??
なんのことか意味不明だが、今それは問わないとして、
桐山説に従い、縁起を死者にデンパすると成仏するとしても、
桐山さんは縁起を理解していないのだから、死者に縁起デンパは
伝えられません。
正しいデンパは「これあればかれあり」なのに、桐山さんは
「これあるによりてこれあり」という間違ったデンパを
出しているのだから、死者が成仏するはずがない。
むしろ死者たちは迷ってしまう。
桐山ゲイカには死者を成仏させる力はないことになる。
つまり解脱供養も冥徳解脱も成り立たない。
死者が成仏させたなんて桐山説において嘘だということになる。
- 私は他の説で桐山さんの死者成仏を否定したのではなく、桐山さんの説を
使って、桐山さんは死者成仏ができないこと示した。
桐山さんが自家中毒を起こし、自己矛盾していることを
桐山さんの論理を使って解説した。
なぜこんなことになったのか、信者さんたちはわかりますか。
二つ理由があり、一つは桐山さんが死者の成仏という嘘をついているから、
嘘に嘘を重ねている内に自己矛盾に陥ったのです。
もう一つは、信者さんたちに驚いてほしいのは、桐山さん知性です。
桐山さんは縁起という仏教の基本すらも理解していないという点です。
縁起すら理解できない人のどこが仏陀の智慧なのだ?
ここを読んでいる信者さんたちは、準シュダオンさん以外は
そろそろ縁起とは何かを理解したはずです。
桐山さんみたいに頭が悪いくせに、一般論で理解しようとするから
理解できないくなるのです。
「飯を食ったから、お腹がいっぱいになった」
「お金を使えば、財布は軽くなる」
こういう理屈の展開の仕方、原因と結果の脈絡を示すやり方が縁起です。
釈尊は縁起を使って、
「煩悩があるから、生存という苦が生じた」
「煩悩から解放されれば、生存という苦から解放される」
と説明したのです。
- 縁起が特定の何かを指すのではなく、
物事に因果関係があることを示すことなのだと理解すると、
因縁(縁起)を切るなんて言葉が無知の産物だとわかります。
縁起を理解していない人が文章を書くと、次のようになります。
>煩悩も苦もその因縁によりて生じているわけです。
>だから、煩悩も苦も、その因縁を滅すればよいわけでしょう。(>>356)
因縁(縁起)というのを、何か具体的なモノであるかのように錯覚している。
縁起は「A→B」という因果関係を示すのだから、あえていうなら、
縁起とは「→」のことです。
だが、縁起とは因果関係を示す言葉だといくら説明しても、
準シュダオンさんの脳味噌ではそれが理解できない。
釈尊が説いたのは、縁起の「→」をなくせと言っているのではありません。
Aをなくせと言っているのです。
「煩悩 → 苦」という縁起から、苦の原因は煩悩であるというのが四諦の集諦です。
そこで「煩悩をなくす → 苦がなくなる」というのが、滅諦です。
どちらも縁起を使って説明している。
縁起をなくせとか、滅しろと言っているのではなく、
苦の原因となっている煩悩をなくせ、滅しろと言っているのです。
縁起を滅してしまったら、「煩悩 → 苦」「煩悩をなくす → 苦がなくなる」の
どちらも成り立たなくなるから、四諦が成り立たなくなる。
縁起(因縁)は滅しても切ってもいけない。
それをしたら四諦は成り立たず、仏教は崩壊します。
- 仏教の教義が縁起を前提として成り立っているのだから、
これを切ったり、滅したりしたら、仏教が成り立たない。
因縁(縁起)切りなんていかにタワケた言葉か、準シュダオンさん以外の
信者さんたちはそろそろ理解してほしい。
そして、言うまでもなく、縁起には運命の星なんて意味はない。
「飯を食ったから、お腹がいっぱいになった」
「お金を使えば、財布は軽くなる」
この文章は縁起だが、これのどこに運命の星があるのだ?
縁起を運命の星だなんていうのは無知の産物です。
桐山さんは縁起の基本公式すら暗記できず、縁起の意味も理解できず、
それでいて死者にそれをデンパで伝えるなどという荒唐無稽な話をしている。
こういう桐山さんのどこが仏陀の智慧なのだ?
解脱の意味も理解できず、縁起の意味も理解できない。
解脱も縁起も十歳の子供なら理解できる。
これが理解できない桐山さんは仏陀の智慧どころか、人並みの知性すらない。
縁起を体得しなければ死者成仏がさせられないのなら、縁起を
理解していない桐山さんがどうやって広島の原爆犠牲者を成仏させたのだ?(>>336)
見えない世界だから、好き放題なことを言って、人々を騙し、金を盗り、
死者たちを霊障のホトケなどと名誉を汚している。
だが、目に見えて、具体的な検証のできる縁起や解脱のこととなると、
桐山さんの大嘘ばかりか、無知と頭の程度までわかってしまう。
信者さんたちは死者を供養したなんて絵空事を信じる前に、
現実世界での桐山さんの無知と知性の低さを良くごらんなさい。
- 縁起観って刹那縁起、連縛縁起、分位縁起、遠続縁起、業感縁起、法界縁起、唯心縁起、
頼耶縁起、真如縁起、如来蔵縁起、六大縁起などなど色んな諸説があるんだよな。
何故かって釈迦滅後に原始の縁起観を正覚(識知)した人がいないからなのかな?
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す
小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)
この訳なんか此があれば此がありでなく彼なんだよね、まるで彼氏彼女みたいだね。
______________________________________________
ちょっちょっと突付いて感じたことは、コーサーラと釈迦族が和解する必要などなく
ぶち殺されて苦界を早く去ったチャンスだったから良っかたというわけで 日
日本は中国と、いずれ軍事衝突の時が来るだろうし、
君らも、通州事件のように、日本人は虐殺ぶち殺されても苦界を早く去るチャンスだから良いというわけだったんだ。
ヘーーーーーーなるへそ
ただの仏教知識の歪曲である偽善が解ってしまったよ。
中国は攻めてこないと裕著なこと言っていてるが向こうはやりたがってまっせ。
現中国人の感情からいくとチベットやトルキスタン以上のことをするな。
一昨年の朝霞の陸上自衛隊のクーデーター(軍国主義復活)が成功していたら今頃、どうなっていたかな。
このまま行くと日本は釈迦族と同じ運命を辿るね。
- >>356:神も仏も名無しさん :2012/09/16(日) 16:28:31.21 ID:EnO/U0Ug
>縁起の滅と、縁起の法則の滅との違いを理解できていますか?
>例えば、宇宙へ飛び出せば無重力となって、重力が無くなりますが、万有引力の
>法則が無くなっているわけではないね。
生活に密着していないだけに机上の空論を巡らせてその実何も捉えていない
準シュダオンさんと違って、普通の信者さんならば、こう切り込みます。
因縁自体は善も悪もなく、その両方を包含するが、因縁解脱という場合、
不幸をもたらす悪因縁だけに限って除去するもので、悪因縁解脱の省略である。
幸福をもたらす善い因縁は徳と言う。
- >不幸をもたらす悪因縁だけに限って除去するもので、悪因縁解脱の省略である。
>幸福をもたらす善い因縁は徳と言う。
これを検証してみましょう。これは準シュダオン教と違い、正統桐山教義ですから。
因縁も縁起も同じことだということですよね。
ならば悪因縁は悪縁起に置き換える。徳たる善い因縁は善い縁起に置き換える。
悪縁起解脱。悪い縁起とは何か?
過食のゆえに糖尿病となった。これ悪い縁起ですよね。
これを乗り越え解脱する。
すると糖尿病にならない為に節度のある食事をすることが悪縁起解脱になる。
- >不幸をもたらす悪因縁だけに限って除去するもので、悪因縁解脱の省略である。
>幸福をもたらす善い因縁は徳と言う。
幸福をもたらす徳たる善い縁起についても当てはめましょう。
節度のある生活をしているから健康が保たれるというのが善い縁起です。
すると悪い縁起を解脱し、善い徳を助長するということは、過食などよくない
食生活を改め、節度ある食生活にする。さすれば成人病なども避けられ、
健康な人生の道も開かれるのである。
これこそが縁起解脱、因縁解脱なのであると。
もっともらしい教えですよね。
さてアゴン宗の因縁解脱はこういう縁起解脱なんだろうか?
- >すると悪い縁起を解脱し、善い徳を助長するということは、過食などよくない
>食生活を改め、節度ある食生活にする。さすれば成人病なども避けられ、
>健康な人生の道も開かれるのである。
>これこそが縁起解脱、因縁解脱なのであると。
ところがこういう考えを準シュダオンさん自身が満足して受け入れない。
単純にそんなものではない、そんなオシエで時局が解決するほど甘くなく
特殊な秘法が必要であるかのように説く。
桐山さんもそうです。
つまり最初から不幸になる人は過食などの悪い生活習慣を選ぶことを余儀されなく
されていると運命論を示す。
しかし縁起ならばこの限定はおかしいのです。
- >すると悪い縁起を解脱し、善い徳を助長するということは、過食などよくない
>食生活を改め、節度ある食生活にする。さすれば成人病なども避けられ、
>健康な人生の道も開かれるのである。
>これこそが縁起解脱、因縁解脱なのであると。
縁起ならば「これあるによりてかれあり」だから悪い生活習慣があれば不健康な
肉体ありということである。
だからこれは真理なんだから、常にニュートラルであり、人はこの教えに従い
努力すればよいだけになる。
ところが先に不健康な結果が約束されていて、この約束を間違いなく遂行するために
悪い生活習慣を選ぶことを理性で避けることができないのだというのが桐山因縁論です。
どこが論だかわからんので桐山因縁説です。
こうなると常にニュートラルな前提の縁起論などに拠ってなどおらず
へんてこりんな運命論になっていることがわかるでしょう。
だから実は縁起の考えなど踏まえていない。
準シュダオンさんの言うように因縁という言葉の響き、世間の通念だけで
固定された運命の星のように印象を与えているだけです。
- >縁起ならば「これあるによりてかれあり」だから悪い生活習慣があれば不健康な
>肉体ありということである。
ならば「これあるによりてわれあり」だろ
- >因縁自体は善も悪もなく、その両方を包含するが、因縁解脱という場合、
>不幸をもたらす悪因縁だけに限って除去するもので、悪因縁解脱の省略である。
>幸福をもたらす善い因縁は徳と言う。
そういう説を勝手に思い込んではいけない。因縁解脱・縁起の滅、の意味を仏教辞典
で学びなさい。
何度教えても理解しない頭のユビくん・深山くん、世にバカをさらすんもほどほどになさい。
岩波仏教辞典の「業」の説明に、
「輪廻転生を縁起としてとらえ・・云々」とあるでしょう。
同辞典の「縁起」の説明には、
「初期仏教時代の縁起説は、十二縁起説が代表的なものであった」とありますね。
また、同辞典の「苦」の説明に「初期仏教では苦の超克が最大の課題であった」と
ありますね。
だから、ユビくんたち頭の悪い方々は、「縁起」=「十二縁起」だと考えなさいな。
そうすれば理解が早い。
上記の辞典の説明から、初期仏教では輪廻転生を縁起としてとらえて、つまり、
生死輪廻=縁起、ととらえて、その解決を課題にしていたことが解りますね。
釈尊は、その生死輪廻の縁起の滅を説いたのです。
辞典に「さとりは縁起の滅した世界とされた」と記述されているのは、
「さとりは、(生死輪廻)の縁起の滅した世界とされた」という意味なのです。
こういうことも理解されないのでは、辞典に執筆した学者先生も泣けてくるでしょう。
- >>371 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2012/09/16(日)
>「これあるによりてこれあり これ生ずればこれ生ず
>これなきによりてこれなく これ滅すればこれ減す」
>(仏陀の真実の教えを説く[上]、131頁)
>
>これが桐山さんの体得した縁起の法だそうです。
>これがあるからこれがある??・・・信者さんたちはお分かりになったでしょうか。
>桐山さんは「実に簡単明瞭な教えです」と書いていて、
>何の説明もないが、私には意味不明です。
桐山さんを擁護するつもりはさらさらないが、この表現の問題は根本的なところにあるようです。
まず、この表現を桐山さんは「阿含経典 第一巻 増谷文雄」の86ページから拝借したと思われます。
増谷文雄さんの著書での表現は他の本でも
「これあるによりてこれあり これ生ずればこれ生ず
これなきによりてこれなく これ滅すればこれ減す」
で統一されています。意味的には
「これあればかれあり、これ生じるが故にかれ生ず、
これなければかれなし、これ滅するが故にかれ滅す。」
と同じ内容です。
その理由は「パウダ・仏教・ 中村元、三枝充悳」の148ページに明記してありますが
「これ」「かれ」はすべて「イダム」idam の一語の曲用形の用法に源があるようです。
(パーリ語・サンスクリット語の「 イダム idam 」)
- >因縁自体は善も悪もなく、その両方を包含するが、因縁解脱という場合、
>不幸をもたらす悪因縁だけに限って除去するもので、悪因縁解脱の省略である。
それは大解脱までの途中経過だと理解することです。
>幸福をもたらす善い因縁は徳と言う。
大解脱したら生死輪廻が滅するんだから、善い因縁も徳も、関係ないのよw。
- >因縁自体は善も悪もなく、その両方を包含するが、因縁解脱という場合、
>不幸をもたらす悪因縁だけに限って除去するもので、悪因縁解脱の省略である。
>幸福をもたらす善い因縁は徳と言う。
縁起の世界は、諸行無常ですよね。
その「諸行無常の世界」=「縁起の世界」から脱した世界が、
「涅槃寂静の世界」=「さとりの世界」なわけですよ。
初期仏教時代は、そう考えたのだそうです(学者先生の定説によれば)。
そして「生死輪廻の世界」=「縁起の世界」=「苦の世界」=「諸行無常」
ですから、そこから脱した「涅槃寂静の世界」=「さとりの世界」を得なさい、
というのが釈尊の教えですね。
釈尊は「苦の滅」を目的としていますから、これが縁起だとして十二縁起を
説いているわけです。つまり、「縁起=十二縁起」だとして比丘に説いている
のがほとんどです。縁起を「これあればこれあり」として説いたのは原点で、
それを十二縁起にして説いたのです。
釈尊には、十二縁起の滅、つまり生死輪廻の滅を教えるのが目的ですから、
十二縁起=生死輪廻が滅すればそれでよろしい、のです。
それを、無明を滅すれば、迷いの生存=縁起、は滅すると説いたのです。
初期仏教では、苦滅が目的ですから、縁起=迷いの生存=十二縁起(生死輪廻)
として説いたのです。
「縁起の滅」とは、生死輪廻の縁起、のことをいうのです。
だから、縁起の法則の滅か?なんて考えるのは考えすぎです、解脱の役には
たちません。
- 面白いなあ。桐山説に対するイチャモン。
また引用してあげるから夕方くらいまで待ちなさい。
- >>391 参考
http://blogs.yahoo.co.jp/kamuiwakka28/5023603.html
お釈迦様の悟り=縁起の法
我々現代の日本人が、今、直接紀元前5世紀のインドに実在した釈尊の実際の
“悟り=縁起の法”の記録である「自説経」をその原文と日本人学者が日本語訳した
もので読めるということは、実は少し以前までの日本人には誰もそういう恩恵を受け
られなかったことなのです。
縁起の法・釈尊の『悟り』パーリ語(古代インド語)原文
「ウダーナ(自説経)Udahna」冒頭3章より
『Imasmim sati idam hoti.
イマスミン サティ イダム ホティ
是有れば 彼有り。
Imasmim asati idam na hoti.
イマスミン アサティ イダム ナ ホティ
是無ければ 彼無し。
Imassuppahdah idam uppajjati.
イマスッパーダ イダム ウパッジャティ
是生ずれば 彼生ず。
Imassa nirodha idam nirujjhati.
イマッサ ニロダー イダム ニルッジャティ
是滅すれば 彼滅す。』
- >>395 より続く
これが、今から二千五百年前の古代インドのブッダガヤの菩提樹の元で、実在した
お釈迦様が『悟り』を開かれた、それを釈尊ご自身が語られた、その『悟り=縁起の法』
の原文です。
もちろん、釈尊自身が語っていた古代インド語です。我々は、初めて二千五百年の
時を越えて、初めて、お釈迦様の生の声を聞くのです。しかも『悟り』の原文そのもの
の。感激しませんか。感動にうち震えませんか。
「縁起の法」とはお釈迦様の悟りそのもの、です。インドのブッダガヤの菩提樹の木
の元で、釈尊が「悟りを開いた」その悟りが、<縁起の法>です。
日本の仏教では、お釈迦様の『悟り』は不立文字(ふりゅうもんじ、文字に書き表す
ことはできない)・言詮不及(ごんせんふきゅう、言葉で詮議することもできない)と
されて、ただ修行(難行苦行)を積み重ねてその果てに、言い表すことのできない悟り
の境地が開かれるとする。
ところが、なんと、「大蔵経仏典」の中に、初期仏典の「自説経」(ウダーナ)とい
うのがあって、そこにお釈迦様のブッダガヤの菩提樹の元の『悟り=縁起の法』が文字
で記されているのです。
「悟り=縁起の法」
「是(これ)有れば、彼(かれ)有り。
是無ければ、彼無し。
是生ずれば、彼生ず。
是滅すれば、彼滅す。」
「これが有れば、それが有る。 「是有故彼有。
これが無ければ、それは無い。 是無故彼無。
これが生ずれば、それも生ずる。 是生故彼生。
これが滅すれば、それも滅する。」 是滅故彼滅。」
これが文字に表現されたお釈迦様の『悟り』です。だけど、ん?、なに?、「これが
有れば、それが有る。これが無ければ、それは無い。」って実際どういうことなの?
- >>393
『釈尊の思想と実践の全ては、かの菩提樹下における正覚に出発する。
その正覚の正体を、釈尊その人はいろいろと表現した。「縁起」
(patticca-samuppada)というのもそれであり、「縁生」(nidana)
というのもそれである。またある時には「相依性」(idappaccayata-causaiiy
connected)と語られた事もあった、。つまり、そこには
存在の法則が関係性の概念をもって表現せられているのである。』
36p 総論 増谷文雄氏阿含経典 一巻
同40p
『比丘たちよ、では、涅槃とは何であろうか、。びくたちよ、貪欲の壊滅、
瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃と云うのである。』
貪瞋痴の煩悩の条件を滅する事で涅槃を得るのであるから、
涅槃も関係性の法則に沿って得られるものだと云う事。
これがなければ彼が無い。
普通に経典読めばわかることだよ。
桐山さんはいい年して愛人いたのだし、食欲が抑えられなくて糖尿病に
なった、どんな屁理屈言ったところでアゴンの擁護にはならんよ。
- >貪瞋痴の煩悩の条件を滅する事で涅槃を得るのであるから、
>涅槃も関係性の法則に沿って得られるものだと云う事。
貪瞋痴のある世界は、縁起=無常の世界=苦の世界、であるということ。
涅槃は、縁起=無常世界=苦の世界、を超越し滅した寂静の世界であるということ。
だから初期仏教では、涅槃無常とは言わない、涅槃≠無常=縁起、ということ。
だから、涅槃も関係性の法則によって得られたとしても、得た後は関係性に左右され
ないということ。つまり縁起に左右されないのです、縁起の滅とも言える。
縁起の法なしには仏教は成り立たない、という意見もあろうが、そういうことは、
涅槃を得た者=仏、には関係ない。仏教は仏になるための教えなのであって、仏に
なった者にはもはや縁起の法は必要ないのであって、それで結構なのです。
仏教・縁起の教えが必要で、それが成り立つのは、迷いの世界=縁起の世界、
に存在するもののためですよ。
- 超脳思考をめざせ
81頁
仏陀はその教説においてなにを説かれたかというと、「縁起の法」である。
(中略)
すべて、縁によって変化し、縁によって消えていく。これが、仏陀の縁起論で、
ここから「五蘊無我・無自性・空・解脱」という一連の思想がみちびき出されて
くるわけである。
88頁
では、どうして、苦(のもとになる因縁)を滅することができるのか?
ここで、さきの「縁起の法」を思い出していただきたい。すべてのものは
「縁」によって変化し、「縁」によって消えていく――。苦の因縁もまたその例外ではない。
仏陀のさとった縁起論が、因縁解脱の可能であることを証明しているわけである。
- すべて、縁によって変化し、縁によって消えていく。これが、仏陀の縁起論で、
ここから「五蘊無我・無自性・空・解脱」という一連の思想がみちびき出されて
くるわけである。
ここで、さきの「縁起の法」を思い出していただきたい。すべてのものは
「縁」によって変化し、「縁」によって消えていく――。苦の因縁もまたその例外ではない。
仏陀のさとった縁起論が、因縁解脱の可能であることを証明しているわけである。
準シュダオンさんによると縁起を滅した世界が因縁解脱なんだから、縁起が
解脱に結びついているなんてトンでもない。桐山くんは間違っているのだと
言いたいのだそうです。
- >同40p
>『比丘たちよ、では、涅槃とは何であろうか、。びくたちよ、貪欲の壊滅、
>瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃と云うのである。』
既にお解かりのことと思うが、ここ↑には、業の壊滅と故苦の壊滅を、省略して
釈尊は説かれています。貪・瞋・痴、を滅すれば、業を為す事がないので、新しい
苦を生じることはない、ということから、それが涅槃だ、と釈尊は説いています。
しかし、この経の場合は、法を修行して既に故苦(発現している苦と苦の種子)を
滅している修行者のことを指していることに注意が必要です。
前にもレスしたように、煩悩を滅すれば新しい苦を形成することはないですが、
過去の煩悩で、作った故苦は消えません。禁煙しただけでは出来た肺癌は治らない、
と喩えたとおりです。肺癌を治すためには癌細胞を殺す治療が必要です、そのことを
釈尊は、法を修行すれば、令故苦滅(古い苦は滅す)と、説いていますね。
ですから、経を読んで、煩悩を断つだけで即涅槃、と考えるのは早合点なわけです。
- >>392:神も仏も名無しさん :2012/09/17(月) 12:05:51.07 ID:AZ8LJGSW
>大解脱したら生死輪廻が滅するんだから、善い因縁も徳も、関係ないのよw。
これは深山さんが大昔に回答済みですよね。
アビダルマの論師たちが縁起の滅した世界なんて言い出したのだが、たしかに
生死輪廻がなくなれば存在がないのだから縁起もなくなります。
しかしそれでは質問するが、釈尊は死んで生まれ変わることがなくなり初めて
解脱涅槃を得たのであり、死ぬまでの生きている間は縁起を滅していないのだから
解脱涅槃を得ていなかったのか?
そんなことはなく、釈尊は生きている時から自らの解脱涅槃を示したのです。
つまり解脱涅槃とは生死輪廻からの脱出が本義ではなく煩悩からの全き解放です。
また桐山さんのいう因縁解脱もまた死んで生まれ変わらなくなることを言わない。
究極にはそれを示すが、癌などの因縁を切って健康で生き長らえることが因縁解脱です。
それは縁起の世界の範疇に生きることです。
- ホントにユビくんのレスには呆れたね。
このレス↓を目にしなかったのかね、読んでも意味解らない?か、w。
>だから、涅槃も関係性の法則によって得られたとしても、得た後は関係性に左右され
>ないということ。つまり縁起に左右されないのです、縁起の滅とも言える。
縁起の理で解脱したにしても、解脱した後ではもはや縁起に左右されない、
ということです、それが涅槃なのです。
初期仏教の縁起説のことですけどね。
- >>403
>>399-400にレスしてくれ。
桐山さんが縁起があるからこそ解脱ができると説いている。
- >>403
涅槃を得た後で釈尊は食あたりで死ぬなど縁起の世界にいたのだよ。
釈尊は生前涅槃を得ていなかったのかい?
- >>392:神も仏も名無しさん :2012/09/17(月) 12:05:51.07 ID:AZ8LJGSW
>大解脱したら生死輪廻が滅するんだから、善い因縁も徳も、関係ないのよw。
大解脱なんて用語は桐山用語ですよね?
煩悩解脱が小解脱。因縁解脱が大解脱。
ならば因縁解脱とは死んで生まれ変わらなくなって初めて得られるのかい?
桐山さんはそんなふうに説いていない。
運命が変わる。悪い運命はなくなり幸福な運命のまま生き長らえることを説いている。
生きている限り幸福であろうが縁起の世界にいる。
縁起があるから幸福なんだ。
あなたは勉励努力して成功を勝ち得たことを縁起と認めないのかい?
- >>393:神も仏も名無しさん :2012/09/17(月) 12:36:52.63 ID:AZ8LJGSW
>縁起の世界は、諸行無常ですよね。
>その「諸行無常の世界」=「縁起の世界」から脱した世界が、
>「涅槃寂静の世界」=「さとりの世界」なわけですよ。
あなたは諸行無常というとマイナスのイメージしか持ちませんよね。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹のナントカカントカ(←おい!)
盛者必衰のことわりをあらわす。
盛者必衰に結び付けてしまう。
ところが桐山さんは違う。物語は全て変化すると説いたものだから、苦しみのもと
だって変化する。永久に苦しみなどない。悪因縁だって常住ではなく無常なんだから
これを切ることが可能なんだと因縁解脱を示したのです。
諸行無常が福音だから因縁解脱もできる。
あなたはこういう桐山教義を知らなすぎで、桐山さんの足を引っ張っていることに
気付かない。
- あ〜ぁ、ばかシュダオンちゃんは蛇の脱皮の意味がわかってないようじゃねwww
蛇じゃなくカニの脱皮でも同じだけど、カニと蛇は違うとか屁理屈こねそうだよなw
- >煩悩を断つだけで即涅槃、と考えるのは早合点なわけです。
そんなことはない、煩悩をすべて断てば涅槃の終点テンてんだよw
煩悩を断った量で、その行き先が変わるのを示したのが四果じゃないのw
涅槃到達したら縁起の作用も業の作用も無いってのが「滅」の意味じゃない。
なんでそんな簡単な意味をこねくり回したがるのかな、わかんねえ、、、w
- 準シュダオンさんは、道場にも行きたくないし、梵行も供養もしたくないけれども、
桐山さんの本を読んで空想の世界に浸ってニタニタしているのが楽しいご老人ですね。
可哀想な人でもありますが、皆さんが構っているので安らぎを感じているようですよ。
よかったね、準チャン♪
- >>391 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 12:01:38.86 ID:jM09WBe4
>まず、この表現を桐山さんは「阿含経典 第一巻 増谷文雄」の86ページから拝借したと思われます。
391さん、修正と情報をありがとうございます。
また、桐山さんのネタ本を明かしていただき、ありがとうございます。
ご指摘のとおりで、増谷博士は「これあるによりてこれあり」の訳を、
『仏教概論』(57頁)、『この人を見よ』(174頁)などでも用いています。
増谷博士だけでなく、中村博士も、
「これがあるときにこれがある」(『ゴータマ・ブッダT』394頁)
と訳しています。
ところが、その中村博士は、縁起を説明する章で、縁起とは、
「甲に縁って乙が起こること」(『原始仏教の思想U』377頁)
と書いており、明らかに両者が違います。
また、私がしばしば縁起の説明に使う「A→B」というのも、中村博士の
「Aに縁ってBが起こること」(『佛教語大辞典』118頁)
という一文から持ってきたものです。
この説明は『原始仏教の思想U』と同じで、『ゴータマ・ブッダT』の
経典の訳とは違っています。
- >>391 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 12:01:38.86 ID:jM09WBe4
>まず、この表現を桐山さんは「阿含経典 第一巻 増谷文雄」の86ページから拝借したと思われます。
両博士ともにこの経典の一文は、釈尊が悟りを開いた時を
描写した南伝パーリ仏典のウダーナにあると述べています。
つまり391さんが395-396で引用した一文です。
ここでも「是有れば 彼有り」と訳しています。
パーリ語がわかりませんが、「是有れば 是有り」にはなっていないのでしょう。
実際、南伝大蔵経のウダーナでも同様で、次のように訳されています。
「此無ければ彼無く此滅すれば彼滅す」(『南伝大蔵経23』86頁)
ウダーナではなく、他のパーリ仏典でも同様です。
「これがあるときに、かれがある」(『ブッダのことばW』講談社、67頁)
これはサンユッタ・ニカーヤにある経典です。
この経典が引用してある仏教関係の辞典を見ると、
律蔵とウダーナに記載されているとして、やはり
「これがあるとき、かれがある」(『仏教・インド思想辞典』39頁)
を載せています。
つまり、ウダーナなどパーリ仏典で「これあるによりてこれあり」と
訳しているのは両博士のみで大半の人たちは
「これあるによりてかれあり」のようです。
- >>391 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 12:01:38.86 ID:jM09WBe4
>まず、この表現を桐山さんは「阿含経典 第一巻 増谷文雄」の86ページから拝借したと思われます。
391さんが指摘した増谷博士の本で、これが漢訳経典に次のように
あると書いています。
「因是有是 此生則生 此滅則滅 此無則無」
この四つの文章が全部載っている経典は一つしかなく、
『国訳一切経 阿含部9・10』(337頁)の増一阿含経にあります。
増谷博士の文章ではこの四つが連続しているかのような書き方ですが、
実際は、二つずつ、二組に分かれており、内容は十二縁起です。
最初の文は「是によりて是あり」とありますが、それ以降は、
「此生ずればすなわち生ず」とあるだけで、「これ」も「かれ」もありません。
また、「因是有是」だけなら別訳雑阿含経にもあります。
縁起についてはたくさんの説明があるのに、ただ、2カ所にあるに
すぎない「因是有是」を根拠として、「これあるによりてこれあり」と
訳するのは無理があります。
すでに述べたように意味をなさないからです。
パーリ仏典の他の学者たちの訳、漢訳経典の訳などを見る限りにおいて、
「これあるによりてこれあり」というのは誤訳であると言わざるを得ません。
- >>391 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 12:01:38.86 ID:jM09WBe4
>まず、この表現を桐山さんは「阿含経典 第一巻 増谷文雄」の86ページから拝借したと思われます。
桐山さんがさも阿含経を読破して講義しているかのように見せかけながら、
実は種本があることは、前から指摘されています。
たとえば、安井廣度氏の『阿含経講義』から仙尼経をそのまま
書き写して、講義したことがあります。
阿含経に異陰という不成仏霊があるという根拠として
長年、桐山さんは主張してきました。
ところが、大正新脩大蔵経や国訳一切経の仙尼経には異陰なんてありません。
安井氏がどこから持ってきたのかわからないが、
いずれにしろ仙尼経には異陰などない。
桐山さんは国訳一切経で確認すらせずに、安井本から経典を
丸写しして、仙尼経の異陰を声高に長年叫び続けた。
だが、仙尼経に異陰などないとここで指摘されて、
結局、撤回することになった。
こんなふうに他人の本を丸ごとパクルのは珍しくない。
- >>391 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 12:01:38.86 ID:jM09WBe4
>まず、この表現を桐山さんは「阿含経典 第一巻 増谷文雄」の86ページから拝借したと思われます。
増谷氏の本の文章もそのまま剽窃して、自分の文章のように
見せかけた事例もあります。
だから、今回の縁起についても391さんがおっしゃるように
増谷氏の本をそのまま書き写したのでしょう。
その結果が、安井本と同様に、間違いまでそのまま写してしまった。
もっともいつもそのまま写せばいいのに、水野弘元氏の本から
四沙門果の一覧表を引用した時は、滅茶苦茶でした。
準シュダオンさんと同じで内容を理解できないから、彼なりの
辻褄合わせをして、自分ではわかりやすく説明できたつもりでいるのです。
桐山さんは全部こういう付け焼き刃です。
さっき読んだばかりの本も百年前から知っているかのような書き方をする。
- >>391 :神も仏も名無しさん:2012/09/17(月) 12:01:38.86 ID:jM09WBe4
>まず、この表現を桐山さんは「阿含経典 第一巻 増谷文雄」の86ページから拝借したと思われます。
読んでいる信者さんたちに見てほしいのは、
桐山さんは他人の本のパクリで自分の権威付けをして、
縁起を体得したなどと豪語しながら、実は意味すらわかっていない点です。
縁起は「AがあるからBがある」だけで終わるのではなく、
「AがあるからBがあり、BがあるからCあり・・・」というように続いていく。
その一番長いのが十二縁起です。
しかし、桐山縁起のように、「これあるによりてこれあり」なら、
「AがあるからAがあり、AがあるからAあり、・・・」と
針の飛んだレコードみたいに、無意味な言葉のくり返しになってしまう。
こんな縁起を不成仏霊にデンパしたら、もっと迷うでしょう。
未だに桐山さんは縁起の意味など、準シュダオンさんと同じで理解できない。
一つや二つの嘘なら誤魔化しも効くだろうが、桐山さんみたいに
至るところ嘘だらけになると、必ずこうやって馬脚を現すものです。
それを信者さんたちは小さいこと、軽いことみなさないことです。
ここに桐山さんの正体が現れているのですよ。
- 「阿含経典 第一巻 増谷文雄」84p〜86p
それらの経典郡において、釈尊がこの存在の法則について語られる時に
用いられた術語の事である。それはかなり多様であった。なんとなれば
、かの師は、そのことを語るにあたって、いろいろの角度から、
様々の表現をもってそのことを語りたもうたからである。その中から、
今は、その獄一般的なものをとりあげて、簡略な説明を加えておきたい
と思う。
a縁起(paticca-samuppada)すでにいうがごとくそれは「縁りて起こること」
というほどの意のことばであって、それによって一切の関係性を
表現するのである。・・・
b縁生(patticca-samuppada)「縁起の法則によって生ずる」というほどの
意の術語である。 ・・・
c「因縁」(nidana)もと「結び付けられていること」(tying down to)
というほどの意の言葉であって、それが漢訳においては、「因」または
「縁」、あるいは「因縁」と訳されておる。
「これあればこれあり、これなければこれなし」といった関係性を
表示しているのであって、 ・・・
- d「因」(hetu)と縁(paccaya)さきの ``nidana`` がしばし因縁と訳される
のほかに、また`` hetu ``が因と訳され`` paccaya``が縁と訳される
のが常である。それら二つの術語は、しばしば、同じような意味を
もって繰り返される。たとえば、「色の生起の因たり縁たるもの、
それもまた無常である(相応部経典三十五、一四ニ、外の因)というが
ごとき場合には、その二つの言葉は、とりたてて別の意味をもつもの
でもないであろう。だが、時に及んでは、その二つの術語はまた、
区別して用いられる事もあるようである。
そのバアいんは、「因」(hetu)というのは、因果律における先行因子、
すなわち、原因結果の関係における原因を意味する。
そして縁(paccaya)というのは、原因結果におけるその関係性そのもの
をいう言葉として用いられているようである。・・・
e 「相依性」(idappaccayata) 略 ・とは「ここに根拠があること」
というほどの意であって、それによって、原因結果の関係性によって
結ばれているとこと意味しているのである。 ・・・
略してしまったが、縁と云う術語は、元々縁起と云う時の縁と類縁
の言葉であって、等しく関係性を表示しているようである。
その辺の理解については、従来の漢訳経典における把握は、かならずしも
十全であったとは思われないとある。
また増谷氏、(nidana)は「縁生」とも訳されている。
因(これ)と縁(彼)を分けて表現する場合もあるし、一つの概念
(結びつけられしもの)として説明する場合もあると云う事だろうと
思われる。
- >こんな縁起を不成仏霊にデンパしたら、もっと迷うでしょう。
またまた誤解する例えですね。
正しい縁起のデンパなら不成仏霊が成仏する反面表現になってるね。
池に沈めた石を浮かべ浮かべと祈って浮かぶだろうか
このように死者の成仏は私(釈尊)でもできないという話と噛みあわなくなってますね。
- >ところが桐山さんは違う。物語は全て変化すると説いたものだから、苦しみのもと
>だって変化する。永久に苦しみなどない。悪因縁だって常住ではなく無常なんだから
>これを切ることが可能なんだと因縁解脱を示したのです。
>諸行無常が福音だから因縁解脱もできる。
さてさて、批判派の中で、誰が最初に、縁起滅=さとり、を理解できるのか?
楽しみでもあるのだが、諸行無常が福音だから因縁解脱もできる、のであるが、
因縁解脱した後は、諸行無常の世界は滅するのです、それが阿含経の涅槃です。
だから涅槃寂静なんであって、涅槃無常は有り得ない、のです。
縁起の理(ことわり)で涅槃を得るにしても、一度涅槃を得た後は、縁起の理で
涅槃を失うなんてことはないのです。だから涅槃=縁起滅なのです。
大乗の般若経に説く空において、さとり・涅槃も無自性・空だと説きますが、
それ以前の仏教では、涅槃・さとりは縁起を超越したところにある、としたのです。
大乗の説く空において、さとり・涅槃も空としたと書きましたが、初期大乗の
般若心経においては、さとり・涅槃は空の中にはなく、空を越えたところにある、
と説いていることを、桐山管長は指摘しています。
般若心経瞑想法・本のP260前後を熟読してご覧なさい。
悟りは空(つまり縁起)を越えたところにある、と管長は指摘しています。
- >ところが桐山さんは違う。物語は全て変化すると説いたものだから、苦しみのもと
>だって変化する。永久に苦しみなどない。悪因縁だって常住ではなく無常なんだから
>これを切ることが可能なんだと因縁解脱を示したのです。
だから、ユビくんなども、管長の本を読んでいながら、全く理解はできて
いなかったわけです、深山くんも同様であるが。
悪因縁だとて縁起・無常の理(ことわり)で切れる、というのはそのとおり
ですが、大解脱=涅槃を得た後では縁起は超越され、縁起で涅槃を失うとい
うことは有り得ないことを理解してください。
阿含経時代のさとりは、縁起を超越し縁起の滅した世界、とされたのです。
大乗でも般若心経は阿含仏教と同じく、さとりは「空」を越えたところに
あるとしているのは前レスで指摘したところです。
私が管長の足を引っ張ってる、とか、見えるのは、ユビくんが全く管長の
教えを理解出来ていない証拠ですよw。
肉じゃがのレシピを、ラーメンのレシピで議論しているような状態が、
批判派の論、とも言えますねw。
- >>419 続き
増谷氏は学者故、忠実に訳すだけのことであって仏教を教える者として
いきなり(これ これ)(かれ かれ) であっては誤解が生じることにもなるだろうし、
こういった語彙と用法の前提を踏まえない議論は意味が無い、
関係性の法則を解脱するなんて電波もなりたたないのが分かるだろう。
- >>421:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火) 12:03:27.97 ID:oZYdM9gh
>さてさて、批判派の中で、誰が最初に、縁起滅=さとり、を理解できるのか?
批判側のことなんか気にしなさんな。あなたが今後相手にすべきは桐山くんです。
あなたはあなたなりの仏教辞典などの勉強により、因縁解脱のルーツは縁起を滅した
世界という表現にあるのではないか?と独自の着想をしたまではまあよい。
しかしそれは批判側よりもどうやら桐山さんによって否定されますよと示したわけだ。
ならばあなたは独自の着想に過ぎなかったのだから、そうか、桐山くんは自分の
考えと違うのか、それならばここはアゴン宗スレなんだからアゴン宗の認めない
反対の意見は引っ込めることにしようというのが賢明なる
柔軟な対応です。しかし老人脳のあなたは一度自分が出したものを絶対に引っ込めたり
訂正する気がないのもよくわかる。
ならば今後縁起を滅した世界を主張するならば、我々批判側がお相手ではなく
桐山くんが相手なのだから桐山くんと対話しなさい。
- >>421:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火) 12:03:27.97 ID:oZYdM9gh
>因縁解脱した後は、諸行無常の世界は滅するのです、それが阿含経の涅槃です。
いいえ、まずアゴン宗はさておき、仏教の世界においては一度解脱涅槃を得たものが
二度と元に戻ることはないなんてことはないのです。
その証拠が解脱を得たゴーディカの自殺です。
一度解脱を得たがまた煩悩が沸いてしまい、それを断ち直す、そしたらまた何度か
煩悩が沸いてきてしまう。その度に煩悩を退治して解脱をする。
そこである日いまこうして煩悩の沸かない解脱しているうちに命を絶って涅槃に
赴いてよろしいかと釈尊にお訊ねし、釈尊はこれを許可し、ゴーディカは自殺する。
ここで解脱というものがどういうものか推察される。
実は釈尊とて例外でなく死ぬまで自己監視を続け、弟子たちに自分の言動に
おかしなことがあったら指摘してくれと頼んでいる。
- >>421:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火) 12:03:27.97 ID:oZYdM9gh
>因縁解脱した後は、諸行無常の世界は滅するのです、それが阿含経の涅槃です。
命が尽きて、生死輪廻がなくなり、もう生まれ変わらなくなった場合、存在がない
のだから縁起もないという屁理屈も成立する。しかしそれが屁理屈に過ぎないのは
じゃあ、釈尊の仏教も桐山因縁解脱の目的も死んでなくなることなんですか?
釈尊は生きている間さとりを開いた後も老いて病んで死んだ。
縁起に支配されていた。
釈尊は生前は準ブッダでブッダになったのは死後なのか?
- >>421:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火) 12:03:27.97 ID:oZYdM9gh
>因縁解脱した後は、諸行無常の世界は滅するのです、それが阿含経の涅槃です。
すると努力しても何の成果も得られない世界ですね。
努力して何らかの良い世界を得るのは縁起があるからです。
これを滅したら努力しても甲斐のないことになる。
アゴン宗はそういう世界を因縁解脱として目指すのですね。
- >>421:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火)
>因縁解脱した後は、諸行無常の世界は滅するのです、それが阿含経の涅槃です。
>
>427 :ユビキタス ◆AFU2rOqH7nac
>すると努力しても何の成果も得られない世界ですね。
>努力して何らかの良い世界を得るのは縁起があるからです。
>これを滅したら努力しても甲斐のないことになる。
>アゴン宗はそういう世界を因縁解脱として目指すのですね。
準シュダオンさんはおかしなことを言ってますね。
桐山因縁論では「悪因縁」を切れば「良い因縁」だけになるし、自由意思も行使できる。
「良い因縁」や自由意志が幸福を運んでくる。変化するから幸福にも成れるのに。
変化しないのなら幸福も来ません。諸行無常とは変化を認めることなのにね。
- >>因縁解脱した後は、諸行無常の世界は滅するのです、それが阿含経の涅槃です。
>すると努力しても何の成果も得られない世界ですね。
>努力して何らかの良い世界を得るのは縁起があるからです。
>これを滅したら努力しても甲斐のないことになる。
涅槃の世界がどうなのかは、釈尊も比丘に答えるのを拒否してるでしょう。
十難の一つが、涅槃を得た後の死後、如来は存在するか否か?の問です。
縁起を超越した涅槃が具体的にどういうものなのか、と同じ性質の問いです。
その問いについて、釈尊は無記ですね。
無上安穏とか寂静とは言っていますが、それ以外には答えていません。
縁起の理で涅槃を得る=関係性の法則で涅槃を得る=無常の理で因縁解脱する、
しかし、涅槃を得た後は、縁起・関係性・無常、に影響されない、とレスしました。
ここは公平に、特定の学者の説ではなく、岩波仏教辞典の説明もレスしておきます、
ユビさんも辞典で確かめてください。
同辞典の「無為」という語の説明は、
「仏教では原因や条件(因縁)によって作り出されたものでない不生不滅の存在を
いう。涅槃のことを無為というがそれは涅槃が生死輪廻を超越した不変のもので
あることを表現したのである。」と、あります。
辞典の説明にあるように、涅槃は縁起によって作り出されたものではないが、
縁起の理によって得るとされる、理解の難しい事柄です。
縁起・空を超越した世界とはどういうものか?簡単に想像できるものではないです。
わたしだとて、何年も追及、継続中なのですからね。
- >その証拠が解脱を得たゴーディカの自殺です。
>一度解脱を得たがまた煩悩が沸いてしまい、それを断ち直す、そしたらまた何度か
>煩悩が沸いてきてしまう。その度に煩悩を退治して解脱をする。
これは良い指摘だとは思うが、ゴーディカの場合は完全な解脱ではなかったのですね。
彼の場合は、心解脱を何度も行ったり来たりしたようです。心解脱とは欲煩悩解脱です。
だから、欲煩悩を断ったとて、本当の解脱ではないのです、それは小解脱です。
深山くんにも教えてあげなさい。心(煩悩)解脱だけでは完全ではなく、戻ったり
もするのです。
完全な解脱とは、心解脱の他に、智慧を備える慧解脱も必要なのです。
その他に、生死輪廻の解脱も備えねばいけません。そうすれば戻ることはないのです。
ゴーディカの場合は、心解脱だけで、慧解脱と輪廻解脱が不備でした。
だから自殺するはめになったのです。
煩悩解脱だけでは不足だと主張している、私等の意見の意味が理解できたでしょう?
- >>430
おじいちゃん、阿含宗スレぢゃなくて、ほかのスレが適切でしょ。
あなたのその持論、仏教スレやテーラワーダ仏教スレでやってみな。
そうしたほうが、あなたの意見に対して、どういう反応が出てくるかが
よく分かるから。
- >命が尽きて、生死輪廻がなくなり、もう生まれ変わらなくなった場合、存在がない
>のだから縁起もないという屁理屈も成立する。しかしそれが屁理屈に過ぎないのは
>じゃあ、釈尊の仏教も桐山因縁解脱の目的も死んでなくなることなんですか?
あなたが、縁起がないのを屁理屈というなら、ならば「悟り=仏」を縁起の世界と
していいと、本気で考えるのか?ならば、仏も縁によっては鬼にも凡夫にもなるし
馬鹿者になる、ということなのですよ、なにせ縁起の世界なのですから。
さとりも縁起の世界とした場合、縁によってはバカになる、そういう仮の仏を礼拝
する気になりますか?あほらしいでしょう。
そのように、あなたは「仏の世界」や「縁起の世界」や「縁起滅の世界」を、
真剣に考えた経験がないのです。だから縁起滅の世界なんて聞くと、愕いて
しまうw。私が管長の般若心経瞑想法・本で、さとりは、空を越えたところに
ある、という記述を目にしたのは今から20年前です。
空・縁起を越えたところとは、どういうところだろう、と考えたが、とんと
見当もつかんことでした。以来、それを瞑想し続け、ん十年、今にいたります。
ユビくんが縁起の滅を意識したのは、最近らしい(屁理屈と言う語で解る)。
それじゃあ、縁起滅を理解するまでに、しばらくかかるだろうなぁw。
- >>429:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火) 16:13:24.13 ID:oZYdM9gh
>涅槃の世界がどうなのかは、釈尊も比丘に答えるのを拒否してるでしょう。
あなたと仏教とは何かを語る気は全くありません。
あなたが捉える仏教をあなたの仏教とするならば私はそれに対して何も文句も
申しません。
しかしここはアゴン宗スレです。準シュダオン流仏教など用はなくあくまでも
桐山アゴン宗だけが論点です。
そこであなたが桐山アゴン宗を擁護、説明すると言うならば質問します。
桐山アゴン宗でいう因縁解脱とは縁起を滅した世界、すなわち死んで輪廻がなくなって
もはや生まれ変わることもなく何も存在しないから何の縁起も受けない世界のことを
指すのですか?
桐山さんはガンの因縁だの中途挫折の因縁だのと言っているが、死んでしまって
生まれ変わることもなければもはやそんな因縁関係ない。
現世で生きている間、ガンを克服して健康で生き長らえ、中途挫折の星を切って
成功することは御利益ゲットと命名すべきであり、間違っても因縁解脱、縁起解脱
と呼んではおかしいということになるのですね?
あなたの説明では。
- >>430:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火) 16:38:19.72 ID:oZYdM9gh
>これは良い指摘だとは思うが、ゴーディカの場合は完全な解脱ではなかったのですね。
>彼の場合は、心解脱を何度も行ったり来たりしたようです。心解脱とは欲煩悩解脱です。
>だから、欲煩悩を断ったとて、本当の解脱ではないのです、それは小解脱です。
ほう?それならば小解脱であるならばアラハンやアナゴンではないのですよね?
つまり死んだ後、輪廻をする。
ゴーディカが自殺しても小解脱でまた苦界に輪廻してくるのだから
賢明ではありませんよね。
わざわざ自殺しなくてももう少し修行して大解脱して生死輪廻を超えた世界を
狙うべきであり、そこまで至らぬ未熟者をどうして釈尊は自殺を許可したのですか?
自殺したってまた生まれ変わりますよ。
ならばもう少し修行を続ければいいのに。
- >>432:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火) 19:27:03.13 ID:oZYdM9gh
>あなたが、縁起がないのを屁理屈というなら、ならば「悟り=仏」を縁起の世界と
>していいと、本気で考えるのか?ならば、仏も縁によっては鬼にも凡夫にもなるし
>馬鹿者になる、ということなのですよ、なにせ縁起の世界なのですから。
はい、仏もまた縁起によるものとしてもよいでしょうね。
修行の結果仏となった。
仏とは何か?人間の成るものです。
人間が修行して仏と呼ばれる境涯に至った。
縁起により仏になったのです。密教では報身仏と言う。修行の報いで仏となった。
そこであなたは一度仏になったらもはや縁起を受けないと言いたいのですよね?
そんなことはないのですよ。さとりを開いてもずっと自己監視をせねばなりません。
それは仏である釈尊と言えども。
釈尊は弟子に自分の言動の誤りを指摘せよとお願いした。
あなたの言う馬鹿者にならないために。だから絶えない監視修行という縁を
与え続ける。
それとも釈尊って生前仏でなかったのですか?
- >>431:神も仏も名無しさん :2012/09/18(火) 17:54:52.71 ID:buQaaM/7
>あなたのその持論、仏教スレやテーラワーダ仏教スレでやってみな。
>そうしたほうが、あなたの意見に対して、どういう反応が出てくるかが
>よく分かるから。
これ案外いいかもしれませんね。準シュダオンさんにとって。
もちろん大反対のレスを浴びるでしょうが、その方が彼にとって生き甲斐になるのではないか?
相手にしてもらうだけ、スレの住人たちと議論するだけこの老人には幸せと言えます。
反対意見があればあるだけ燃えるでしょうね。
- 今の時勢でアジア周辺諸国を困らせる存在は、韓国と親玉の中国である。
この二か国の民には、日本人には想像も出来ないくらい”冷笑”が山とある。
国家運命の反復現象も苛烈である(冷笑はもちろん替え文字である)
あ、さて 解脱云々と論が交錯しとりますが、原始仏典にも方法論無しと言うのが
私の意見である。
方法論を欠如させた時代に経典編集が実行されて記述したと理解している。
和菓子で云うと 最中の中芯に甘い小豆餡が無いのである。
仏法即威儀と申された立派な禅僧が今の世に居るが、彼こそ其のような存在。
- 日本に一人しか居ない、世界の王様の血を受け継いでいる本物(もう一人は日本列島の外に居る)。
キーワードで探されている「本物のペット飼い主、カミ、天」本物のカミはまだ未婚で子供がいない。
■アメリカ合衆国・オバマ大統領がその人(身長:約175cm)の話をネタ元にパーティー演説。
http://twitter.com/4YoGun/status/201285556989202432
- ほいよ、縁起を別の観点から捉えた話である。
縁起って何か?分からん人は、これでよく解るぞよ。
http://123ro.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-0e2b.html
- 準シュダオンさんへ
準シュダオンさんの主張は桐山アゴン宗の論理とも異なっています。
だから準シュダオン教と揶揄されるのです。
このスレで議論したければ少なくとも片足は桐山教に入っていなければならない。
準さんの論理は両足とも桐山教の外にある。だから議論の価値もない。
準シュダオン教を論じたいのならこのスレを出て他の仏教スレでやってください。
このスレで準シュダオン教を長々と説教されるのは迷惑千万です。
- 阿含宗の桐山靖雄さんは『仏陀』だそうです。
そもそも仏陀でも
若く綺麗な女性には弱いのでしょうか?
仏陀とは性別や年齢容姿より
人間愛で接するものと自分では思っていたのですが・・・
ちなみに
阿含宗の仏陀桐山氏は
特定の若く綺麗な美女を好んで長年に渡り自分の側に置いていたそうですが。
そして裁判沙汰になってしまったようです。
未来を予知する(運命透視のプロ)仏陀桐山氏が
こともあろうに
何故、そのような愚かな行動を
とってしまったのでしょう?
仏陀桐山氏と言えども
つい女性の色香に惑わされてしまったのでしょうか?
仏陀でなくとも自分の立場を考えればそんな行動は控えると思うのですが・・・
魔の衝動が走った(魔が差した)のでしょうか?
桐山氏の言う『霊障による魔の衝動』なのでしょうか?
それとも仏陀というのは
桐山氏のハッタリだったのでしょうか?
仏陀と言えども女性問題でつまずくこともあるのでしょうか?
奥様が生きていらしたらさぞかし
悲しんだことでしょう。
確か、阿含経には
仏陀釈尊が近づく色香に対して
どのように対処したか
いろいろな例え話しで書かれて
いたと思いますが。
阿含宗の仏陀桐山氏は
阿含経のその部分を
読んでいなかったのでしょうか?
- >>429
> 十難の一つが、涅槃を得た後の死後、如来は存在するか否か?の問です。
> 縁起を超越した涅槃が具体的にどういうものなのか、と同じ性質の問いです。
> その問いについて、釈尊は無記ですね。
無記説相応なんて持ちだしたら思いっきり桐山さんの頭を
殴ってる事になるだろう。
キミはこの板で何がしたいのだ、 ?
桐山さんの商売の邪魔をしたいのであれば批判側と云う事になるが。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
他人に意見や批判を述べる時は、もう少しわかりやすく書いてくれませんか。
私の書いたことに矛盾を見つけたつもりで、それを皮肉っぽく
揶揄しているのはわかる。
だが、私の書いたことと釈尊の言葉と何がどう矛盾しているのか、
誤解する例えとは、何がどう誤解するという意味なのか、わかりません。
私は縁起や、桐山縁起をデンパで伝えられたら死者は
成仏するなんてオカルトは認めていない。
桐山説の自己矛盾を指摘したのです。
桐山さんは、縁起デンパで死者が成仏すると主張している。
だが、桐山縁起は仏教の縁起とは違っているのだから、間違った縁起を
伝えたら、死者は成仏しないと指摘したのです。
桐山説においても死者は成仏できないと矛盾を指摘したのです。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
桐山さんが縁起をデンパで死者に伝えたとしても、どうして
不成仏霊とやらが成仏するのでしょうか。
桐山さんのいう縁起とは悪因縁という運命のことです。
具体的には横変死の因縁やガンの因縁です。
それをデンパで横変死した死者に「横変死のインネーン!」と伝えると
死者が成仏するんですか。
信者さんたちにもよく理解してほしいのは、
アゴン宗の因縁解脱の理屈ではこんなふうに「横変死のインネーン!」を
デンパでビビッと伝えると死者が成仏する話になってしまう。
信者さんたちも、間脳を開かないとわからないなどと思考放棄しないで、
アゴン宗の教義の範囲でいいから、考えてください。
縁起の法などといかにも仏教のような話だが、アゴン宗の因縁の話にあてはめると
「横変死のインネーン!」というアニメまがいの話になってしまうのですよ。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
縁起を正しく理解したら、これをデンパを伝えるなんて、
馬鹿な発想は出てこない。
桐山さんも信者さんたちも縁起を理解していないから、
デンパで伝えるなんてアホウ話を信じていられるのです。
仏教の縁起とは理屈です。
算数と同じで理論理屈です。
算数を学ぶのに、先生からデンパでビビッとやってもらうのですか。
桐山さんの言っていることはこれと同じくらい馬鹿げた内容です。
算数は計算であって悟りではない。
それと同じで、縁起とは「飯を食ってないから、お腹が空いた」のように、
物事が単独で成り立っているのではなく、原因と結果が脈絡して
いることを示しているにすぎない。
それは悟るのではなく、算数と同じで理解するものです。
デンパで算数の計算が伝えられないように、
縁起もデンパで伝える内容ではありません。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
「これがあるから、かれがある」と伝えられて、
なんで霊障のホトケが成仏するんですか。
「これ これ」だろうが「これ かれ」だろうが、
生きている人間は、準シュダオンさんみたいに説明されてもわからない愚か者が
いるのに、死んだ人たちがどうやってそれを理解するのだ?
準シュダオンさんは相変わらず、「これ かれ」が縁起なのだと思いこんでいる。
「これ→かれ」が縁起なのだと説明されてもわからない。
最近こうなったのではなく、大王の使者などを名乗っている時も、
馬鹿げた縁起を延々とお説教していた。
「ガンの因縁がある → ガンになった」
だから、因縁切りなのだという。
これを読んで納得した信者さんたちは相変わらず縁起の
意味が理解できていない。
私から説明される前に、準シュダオンさんが何どうすり替え、
誤魔化したのか、信者さんたちもよく見て考えてほしい。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
「ガンの因縁がある → ガンになった」
何を準シュダオンさんがごまかしたかわかりますか。
「A→B」あるいは「→」が縁起なのに、彼はAを縁起だと言っているのです。
「縁起→B」と述べているのです。
だが、縁起とは「→」に相当する部分です。
「Aが縁起でBになった」というところを、準シュダオンさんは
「縁起が縁起でBになった」と言っているのと同じなのです。
まったく無意味な文章です。
たとえば「悪食をした → ガンになった」は縁起であり、
縁起を使った説明です。
だが、悪食そのものは縁起ではありません。
ところが、桐山さんや準シュダオンさんは悪食を縁起(因縁)だと言っている。
悪食の所を「ガンの因縁」と置き換えたのです。
誤魔化しであり、嘘です。
繰り返すが、Aそのものは縁起ではありません。
「Aが原因となってBという結果が生まれる」ことを縁起というのです。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
信者さんたちに質問するが、悪食でガンになった人が、
悪食をやめることを因縁を切ると言いますか。
言いません。
それは「悪食をやめた」としか言わない。
「悪食をやめた → ガンが治った」
これを縁起を切ったとは言わない。
これもまた縁起です。
縁起とは切るものでも解脱するものでもなく、
「1+2=3」という計算式と同じです。
「1と2を足した → 3になった」
足し算を縁起で説明するこんなふうになる。
「3−2=1」は
「3から2を引いた → 1になった」
と縁起で説明できるが、これを縁起(因縁)を切るとか滅したとは言わない。
このように縁起を理解すれば、因縁(縁起)解脱、因縁切りなど
いかに無知から来る荒唐無稽な言葉かわかるでしょう。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
因縁解脱(縁起解脱)では、準シュダオンさんの
主張のように、解脱者には縁起が通用しなくなるらしい。
だが、信者さんたちは現実を良くみてください。
釈尊はキノコ料理が原因で食あたりになり、亡くなった。
「キノコ料理を食べた → 食あたりで亡くなった」
ちゃんと縁起が成り立つ。
解脱者である釈尊といえでも、この娑婆世界にいる限り、
つねに縁起に支配されているのです。
だから、解脱者といえども、煩悩に囚われれば解脱から落後する。
それがコーディカです。
「煩悩に囚われない → 解脱する」
「煩悩に囚われる → 解脱できない」
という縁起が成り立つからコーディカは解脱から転落した。
この娑婆世界は欲界と言われるように、煩悩そのもので
できているような世界なのだから、生きている限り、
コーディカと同じように解脱から落後する可能性がある。
そのことを解脱者たちは知っているから、一瞬たりと
気を抜くことなく、自分の身と心と言葉に注意を向けながら、
そのどこでも煩悩に囚われないように修行を続けたのです。
その意味では解脱は到達点ではなく、通過点にすぎない。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
解脱者にも煩悩が常に働きかけていたことは、阿含経に残っています。
釈尊にさえも、最後まで悪魔がささやきかけていた。
あの悪魔とはシッポの生えた悪魔ではなく、煩悩のことです。
釈尊に煩悩がささやきかけていたというのは奇妙に聞こえるだろうが、
肉体を持っているのだから、我々と同じように痛い痒いは同じです。
縁起から解放されていたのなら、釈尊は食あたりになることも、
コーディカが自殺する必要もなかった。
信者さんたちは解脱をまるで医者や弁護士の資格のように、
一度とったら簡単には離れることがないかのように桐山さんから教え
込まされているが、現実はまったく逆で、一瞬でも気を抜いて煩悩に
囚われたら、滑り墜ちるという極めて厳しい世界なのです。
だから、こういう厳しい修行をしている出家が、若い色気のある女に、
夜11時に自分のホテルに来るようになんて、理由がどうあれ、絶対に言わない。
信者さんたちがE川さんを愛人であったと信じなくても、そもそも解脱者や
解脱を目指す者が、女性と夜中に二人きりになるなんて絶対にしません。
これをするのは世間の俗人の男です。
こんなことをしたこと自体が、桐山さんが解脱者や解脱を目指す者でない証拠です。
桐山さんは煩悩という悪魔ととても仲良しであり、無二の親友であり、
その彼が解脱者であるはずがない。
- >>420 :神も仏も名無しさん:2012/09/18(火) 11:55:13.80 ID:5EE6wAeN
>またまた誤解する例えですね。
桐山さんが縁起の悟りを伝えるなんて言ってるのは、
自分は高度の知性があり、神秘力をもって、死者を助ける力があると
いう嘘の力自慢をしたいからです。
現実の桐山さんは縁起を理解するだけの知性すらない。
普通の意味での頭は悪いし、もちろん、霊能力なんてない。
だが、自分くらい偉い者はない、オレ様は天才だと思いこんで自惚れているから、
現実と思い込みのギャップを妄想と嘘で埋めている。
信者の無知を利用して、縁起が縁起のホウなどという特殊な
内容であり、桐山さんしか体得できないような高度なものだと思いこませ、
しかも、それをデンパで伝えられるなどいって、
さも自分には霊能力があるかのように見せかけたのです。
全部ハッタリ、大嘘です。
桐山さんは縁起の話をしているのでも、死者の成仏の話をしているのでもなく、
自分がどれほどすごい人間かという空虚な力自慢をしているだけです。
- えーみなさま
万が一から十に一くらいまで尖閣有事の緊張が高まっている今、
有事の際には物資の流通が滞ることが予想されます。
当面の保存食として高蛋白で高カロリーのスズショーの
ピーナッツを御奨めします。
それでは、みなさまの御注文を御待ちしております。
- 君たちはアゴン宗の教祖桐山氏に捕われの身だ。アイゴゥ!
特に深山君は酷い、田んぼで言うと胸までズッポシだWW。
深田嘘呂松に改名すべきだろうWW。
当節はこんなオチャラケ言ってる場合なのである。
君たちが心配しなくても大丈夫なのである。
因果応報 速やかに受けるのはどっちかいな。
- 桐山さんには、3代前の女性関係の怨恨をのこして亡くなった霊障のホトケが、
200体位は、あるとか?の話ですね?
準アホごんさんは、桐山さんの正体に気付いていたので、2体で辞めたんですね?
あっ、やっぱ、なんもかわんねぇ〜と気付いた。
でも、いくらか貰っていたんで、辞めらんねぇ〜
じゃないでしょうか?
- はい、仏もまた縁起によるものとしてもよいでしょうね。
修行の結果仏となった。
仏とは何か?人間の成るものです。
人間が修行して仏と呼ばれる境涯に至った。
- >修行の結果仏となった。
>仏とは何か?人間の成るものです。
>人間が修行して仏と呼ばれる境涯に至った。
ならば仏が縁によって人間に戻ったという経がないのはどういうわけかw?
バカもいい加減にしたまえw。
- 般若心経瞑想法本で、さとりは空を越えたところにある、という管長の
指摘を紹介したが、このことは仏陀の真実の教えを説く(中巻)の、
P208の等見品の解説と同じことなのであるよ。
そこには、「因縁因果の法則を超越するー成仏法・五根法」と解説して
あるでしょう。
空を越えたところ、というのと、因縁因果の法則を超越する、とは同じ
意味なのです。それは仏教辞典に学者が書いた、「さとりは縁起を超越し
た世界(滅した世界に同じ)」と同じ意味ですね。
管長の説くところと、学者の解説が一致していることがわかりますか?
こういう基本をわからずして、愚論を展開しているのが自称、元阿含宗信徒
の批判派なわけです。
幼稚な論で、恥ずかしくて、元信者とは認めてやれないねw。
- >458空を越えたところ、というのと、因縁因果の法則を超越する
とは同じ意味なのです。
だから桐山さんは、脳障害の因縁をだして、因縁因果を超越していない
凡人だと言いたい訳ですか?準シュダオンさん。
- >>457
準爺さんかな?
>ならば仏が縁によって人間に戻ったという経がないのはどういうわけかw?
ありますぜ、おじいちゃん。
解脱したけれども転落したコーディカの話しは、このスレでは有名ですぞ。
きちんとレスは読みましょう。
- >>457:神も仏も名無しさん :2012/09/19(水) 21:17:50.54 ID:1kRBFHMh
>ならば仏が縁によって人間に戻ったという経がないのはどういうわけかw?
>バカもいい加減にしたまえw。
裏切り者ダイバダッタなんてどうでしょうか?
そんなことより仏と言っても人間ですよ。
染色体が増えたり減ったりする化け物じゃないのよ。
- >>458:神も仏も名無しさん :2012/09/19(水) 21:30:33.28 ID:1kRBFHMh
>般若心経瞑想法本で、さとりは空を越えたところにある、という管長の
>指摘を紹介したが、このことは仏陀の真実の教えを説く(中巻)の、
>P208の等見品の解説と同じことなのであるよ。
>そこには、「因縁因果の法則を超越するー成仏法・五根法」と解説して
>あるでしょう。
桐山さんはあなたと同じで超越だの超えただの文芸的表現に酔うだけで
その実何ら論理的な説明などできないのですよ。
空を超えるって具体的にはどういうことなのか説明してごらんなさい。
オウムが「超越だ〜♪」って歌ってるのと変わりないのですよ。
君ら幼稚な宗教ゴッコさんたちは。
- >>454 :神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 19:52:09.04 ID:ISpo7zMm
>君たちはアゴン宗の教祖桐山氏に捕われの身だ。アイゴゥ!
>特に深山君は酷い、田んぼで言うと胸までズッポシだWW。
批判側が桐山さんの囚われの身なら、あなた方信者は何なのだ?
エロ教祖を崇拝する宗教家畜、宗教奴隷ですよね。
私が「胸までズッポシ」なら、あなたは「脳味噌までズッポシ」です。
桐山さんの漬物みたいになって、汚臭を放っている。
読んで面白い皮肉を書くならともかく、一度読んだだけでは
何を言っているのかさっぱりわからないような日本語なのに、
本人は何事か見通して、含みのある重厚な文章を書いたと自惚れ、
お前ら批判側にはわかるまいと、一段上に立ったかのように薄笑いを浮かべている。
それ、気色悪いからやめてくれないか。
- >>454 :神も仏も名無しさん:2012/09/19(水) 19:52:09.04 ID:ISpo7zMm
>因果応報 速やかに受けるのはどっちかいな。
>>457:神も仏も名無しさん :2012/09/19(水) 21:17:50.54 ID:1kRBFHMh
>バカもいい加減にしたまえw。
準シュダオンさんは批判側の文章を完全無視して、自分教に自惚れと
慢心を混ぜて、「w」のラベルを貼って、スレにぶちまける。
熱が出そうなピンボケ文章を自慢たらしく書きまくる。
宝生さんは相変わらずまともな日本語すら書けない。
今のアゴン宗は老人ホームですらなく、頭のヴォケたオカルト
じいさんたちの外基地病院なのか。
もう少し普通の知性や良識をもった信者はいないのだろうか。
ただの狂信的な新興宗教じゃないか。
自分がいた教団はこんなにレベルが低かったんだと認めたくはないが、
現実はこんなものなんでしょうね。
- >>458
空を越えたところ、というのと、因縁因果の法則を超越する、とは同じ
意味なのです。
セミ準さんもいつもどおり酔ってるなあ〜、酒とことばのみだけどwww
難しくして消化不良おこすより、煩悩をできるだけ減らして身軽になるほうがいい。
卒業してみりゃ、すべて要らねw
温泉入るにゃ、世俗の汚チャない纏い物すべて脱いで入湯するべ。
あごん宗を続けるんじゃ、なおさら煩悩をふやして重たくなるだけでっしょw
増やすか減らすかという違いが、あごん宗と釈迦仏教の違いくらいわかれ!w
桐山密教は外道で、釈迦仏教は社会にあわず廃れ妥協の産物が大乗思想に舵を切った。
桐山爺いの教えは、阿含仏教とは月とスッポン。
その阿含仏教だって大きな矛盾を抱えてた、それだけです。
- >裏切り者ダイバダッタなんてどうでしょうか?
ダイバ五邪の法とかダイバダッタの反逆は歴史の捏造だしw
さらに厳しい戒律を求めて釈迦のサンガの元を離れ深山に入った集団ですから。
- やはり
教祖が信者を囲った時点で
終わりでしょう。
(信用ガタ落ちぃ↓)
- 準シュダオン教など聞きたくない。
自分教で遊びたいのなら他でやってちょ。他の板でかまってもらいなさい。
ここは桐山アゴン宗を批判する板だ。
桐山教もよく知らずに自分教を持ちだして論議してもムダ。
あっちの板へ行きなさい。
- 準シュダオン教より桐山教の方がまだまし。
「因縁解脱した後は、諸行無常の世界は滅する」なんてたわけたこと言ってんじゃないよ。
「因縁解脱した」と宣言した桐山さんをよく観ろ。
何が滅した?
脳梗塞にもなり、E川女史に裁判で訴えられもした。諸行無常の世界そのものじゃないか。
妄想の世界で遊んでいないでよく現実を観察してみろ。
- >桐山さんはあなたと同じで超越だの超えただの文芸的表現に酔うだけで
>その実何ら論理的な説明などできないのですよ。
>空を超えるって具体的にはどういうことなのか説明してごらんなさい。
桐山師は「因縁因果の法を超越するー五根法」と表現したし、学者先生は、
仏教辞典に「縁起を超越し縁起の滅した世界」と表現した。どちらも同じ
意味です。これは、悟りの世界は、諸行無常の世界が滅する、という意味
です。これを理解出来ないのはアホです。
悟りの世界も諸行無常なら、仏・阿羅漢も縁によって凡夫に戻ることになる。
だが、そういうことを書いてる経はない。
悟りも諸行無常の世界としたのは、大乗の空の思想からです。空なのだから、
煩悩も苦も空である。ゆえに、後期大乗になると、煩悩も断つ必要はない、
という思想になったのです。
- >桐山さんはあなたと同じで超越だの超えただの文芸的表現に酔うだけで
>その実何ら論理的な説明などできないのですよ。
>空を超えるって具体的にはどういうことなのか説明してごらんなさい。
だから、先ず、さとりの意味の変遷を理解しないといけない。
阿含仏教→前期大乗仏教→後期大乗仏教、と進むにつれて、さとりのハードル
が低くなっているのです。
阿含仏教→戒定慧の三学と心解脱と慧解脱と生死(輪廻)解脱と
三明智を備えたらさとり。
前期大乗仏教→心(煩悩)解脱と空を理解すればさとり。
後期大乗仏教→自分の心をありのままに覚知すればさとり。
(煩悩はあってもかまわない)
と、いうわけなのですよ。で、深山くんなどはそのことを理解できずに、
昔でいうと、壊れたレコードみたいに、針が同じところだけ回るように、
前期大乗のさとりのことだけ、煩悩滅、だけ唱えていたわけです。
もう既にハードルを下げたさとり、のことだけ唱えているのです。
- >その実何ら論理的な説明などできないのですよ。
>空を超えるって具体的にはどういうことなのか説明してごらんなさい。
わたしが般若心経瞑想本で、「さとりは空を越えたところ」という記述を目に
したときは、トンと見等もつかんかった。たぶん、今のユビくんは、そのとき
の私のような心境であろう。だが、何年も追及していると、何となく解るよう
な気がしてくるから、それまで待つことだね。言葉の説明を何度聞いたとて、
解るわけがないからね。
人類が宇宙に行く前に、重力の無い世界、と言ったら笑われただけだろう。
もし、物に重さが無かったら、地面も人も家も石も木も海も、ことごとく、
空中に舞い上がって収集がつかないだろう、バカなことを言うでない、とね。
空を超えた世界も、それに似てるね。
- >>474 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 09:55:41.97 ID:szmvss16
>昔でいうと、壊れたレコードみたいに、針が同じところだけ回るように、
>前期大乗のさとりのことだけ、煩悩滅、だけ唱えていたわけです。
準シュダオンさん以外の信者さんたちは、ここに書いている
準シュダオンさんの解説のほとんど全部が、準シュダオン教という
彼個人の仏教観にすぎないことを理解してください。
アゴン宗を信じているのなら、それとは違う準シュダオン教を
信じるのは矛盾する。
もっとも、準シュダオンさんの解説を読んでも、
何を言っているのかさっぱりわからないのでしょう?
難しそうな言葉がたくさん並び、学者の解説らしいものと
桐山さんの解説をあれこれ混ぜながら書いているから、
一見もっともらしい説明があります。
ところが、読んでも信者さんたちは意味が良くわかりませんよね。
桐山さんの本を読んだ時は何かわかったかのように思ったのに、
準シュダオンさんの解説を聞くと、
「あっちがこっちで、こっちがあっちで」みたいな
わかったような、わからないような解説です。
理由は簡単で、本人も何も理解していないからです。
本人が理解しないで書いているのだから、他人が理解できるわけがない。
- >>474 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 09:55:41.97 ID:szmvss16
>昔でいうと、壊れたレコードみたいに、針が同じところだけ回るように、
>前期大乗のさとりのことだけ、煩悩滅、だけ唱えていたわけです。
準シュダオンさんは、アゴン宗の教義に合わせて主張しているのでさえありません。
これならむしろ信者さんたちも批判側も大歓迎です。
だが、彼のしていることは、アゴン宗というオカルトを
中途半端に「我流で解釈」し、そこにさらに付け焼き刃の
仏教の知識を「我流で解釈」し、その両者をマゼコゼにして、
仏教のすべてを理解したかのように思いこんで書いているだけです。
要するに、箸にも棒にもかからない内容です。
信者さんたちに反面教師にしてほしいのは、仏教を理解しようとするなら、
いや、仏教に限らず、何か新しいことを理解しようするなら、
準シュダオンさんのような態度は最悪です。
彼はあるがままを理解しようとするのではなく、
自分の間尺に合うような我流の解釈をする。
これはアゴン宗の教義に対しても、阿含経に対しても、仏教に
対してさえもそうです。
たとえていうなら、「2+3=23に違いない」と決めつけて
こういう彼の間尺に合うように話を作り上げている。
信者さんたちはこういう彼の姿勢を反面教師にしてほしい。
- >>474 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 09:55:41.97 ID:szmvss16
>昔でいうと、壊れたレコードみたいに、針が同じところだけ回るように、
>前期大乗のさとりのことだけ、煩悩滅、だけ唱えていたわけです。
準シュダオンさんは仏教を理解することが目的ではなく、
自己顕示欲にすぎないから、どんなに彼の主張に反するような
事実を示されても、一切無視です。
仏教を正しく理解しようというなら、この態度はありえない。
縁起滅が解脱なら、釈尊や大目連の死はどう説明するのだ、
といくら質問されても、彼はこういう事実は完全無視です。
阿含経の引用が間違っていることを示されても、
撤回も修正も、もちろん謝罪もしない。
正しい仏教の理解が目的ではなく、ここで威張るのが目的だから、
彼は都合の悪いことは無視する。
信者さんたちは準シュダオンさんの態度がおかしいと思うでしょう?
事実を無視して、反論を無視して、ただ根拠のない我流の説を
どこまでも唱え続ける彼のおかしな態度を信者さんたちも反面教師にしてほしい。
因縁解脱が解脱なら、桐山さんが脳梗塞になり、密教食事件で
有罪になった事実を無視してはいけない。
またE川事件を、「可愛がった弟子から反逆されただけ」
「E川が一方的に言っているだけ」などと解説してはいけない。
それは信者さんたちの我流解釈であって、アゴン宗の教義ではない。
なぜなら、現実には桐山さんはこの件を一言も説明していない。
- >>474 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 09:55:41.97 ID:szmvss16
>昔でいうと、壊れたレコードみたいに、針が同じところだけ回るように、
>前期大乗のさとりのことだけ、煩悩滅、だけ唱えていたわけです。
桐山さんが説明していないのに、信者さんたちが
勝手な解釈をするなら、準シュダオンさんと同じ我流解釈です。
桐山さんが説明していない限り、勝手な解釈は許されない。
勝手な解釈をするのではなく、現実をただ見れば良いだけです。
現実は、週刊誌に暴露された内容であり、裁判所に提出された資料であり、
桐山さんはこの事に一言の釈明もしようとしない。
十八年近くも桐山さんはE川さんに直接「お手当」を渡していた。
彼女とゴルフをするほど親密な関係だった。
脳梗塞になった時、ホテルオークラでE川さんと長期滞在をした。
これが週刊誌に書かれた内容で、桐山さんはこれらを何ら否定していない。
裁判所に出された資料では、1989年に、E川さん宛に
自分のホテルに夜11時に電話するようにと、彼女のホテルの
滞在費まで入れて、御霊示として渡している(>>65)。
バスローブ姿の桐山さんの胸に、E川さんが頭をもたれかかる写真がある。
桐山さんがE川さんに当てた恋歌が二つある(>>68)。
こういう現実を直視せずに、桐山さんが言ってもいないことを
勝手に解釈するなら、それは準シュダオンさんと同じになってしまう。
頭も性格もおかしい老人と同類にだけはなりたくないでしょう。
E川事件だけではありません。
もっと信仰の根幹に関わる部分の現実を信者さんたちは見るべきです。
- >>474 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 09:55:41.97 ID:szmvss16
>昔でいうと、壊れたレコードみたいに、針が同じところだけ回るように、
>前期大乗のさとりのことだけ、煩悩滅、だけ唱えていたわけです。
煩悩を滅することが解脱であることは岩波仏教辞典に次のように書いてある。
「解脱
仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
ここまで明瞭に書かれたら、普通の知性では、解脱は因縁解脱だとは言えなくなる。
仏教の解脱とは、釈迦仏教や大乗仏教や、さらには日本仏教ですら、
煩悩から解放されることです。
だが、それを準シュダオンさんは前期大乗の悟りだと決めつける。
信者さんたちはいかがですか。
岩波仏教辞典にこれほど明瞭簡潔に書かれている内容を見ても、
まだ煩悩解脱(漏尽解脱)が小解脱や大乗仏教の悟りにすぎないと思いますか。
これだけ明瞭に示されても、まだ因縁解脱だなどというほうが
よほど針の飛ぶレコードですよね。
準シュダオンさんは本人はオペラ歌手のつもりで音程の
狂った準シュダオン教を歌い続けている。
迷惑だから、よそでやってくれと言っても、無視です。
信者さんたちはここまで壊れる前に、あるいはここまで
壊れたくなかったら、まずは本当の仏教を受け入れ、
正しく理解することです。
- >>474 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 09:55:41.97 ID:szmvss16
>前期大乗のさとりのことだけ、煩悩滅、だけ唱えていたわけです。
解脱の定義を間違えたら、解脱などできるはずがない。
釈尊はエベレストに登頂することが解脱だと言っているのに、
桐山さんはハワイで泳いだことを解脱だと言っているようなものです。
仏教には因縁解脱なんてありません。
何度も言うが、因縁切りは明治以降の無学な教祖たちが作り上げた言葉や概念であり、
因縁解脱はそれを鵜呑みにした桐山さんの造語です。
桐山さんの発明した言葉や概念が阿含経にないのは当たり前です。
だから、信者さんたちが桐山さんの阿含経講義をいくら読んでも、
因縁切りも因縁解脱も出てこない。
岩波仏教辞典にもあるように、煩悩から解放されることこそが
仏教の解脱であって、これ以外の解脱などありません。
準シュダオンさんは慧解脱、心解脱などの言葉を並べて
まるで解脱に複数あり、階梯があるかのような嘘を並べている。
慧解脱、心解脱も解脱であり、どちらも漏尽解脱です。
小型犬と大型犬では大きさも色も違うがイヌです。
だが、準シュダオンさんにはそれがわからない。
仏教には漏尽解脱以外の解脱などありません。
象の足跡にすべての動物の足跡が入ってしまうように、
漏尽解脱の中にすべての解脱は含まれる。
これは仏教の基本中の基本であり、これを認めなかったら、仏教ではありません。
外道です。
信者さんたちが仏教を選ぶか外道を選ぶかは自由です。
だが、因縁解脱を信じながら仏教を信じるなどありえない。
漏尽解脱(煩悩解脱)こそが解脱であるという前提で
話をしていない人は、どんな偉そうな話をしても、
その人は仏教を理解していない人です。
- 因縁解脱、煩悩取り去り、要は同じこと。
個人の内部情報を意識的に換える、前世以来の余分な記入を消滅させ訂正する。
どうやって?苦行を先に行い、〆は瞑想である。
イエスが荒野に独り隠れて40日の神修行をしたようにである。
Fよ それをやりたくない者たちがいくら論じても無駄ごとである。
知りたかったら祈ってでも捜せ、但し麻原みたいなのには注意!
それをやりたくても、貧乏人には無縁なのが修行である。
桐山氏の論は機縁でありこの場で検証大いに結構であるが、
自分が出来ない理由を捜して あれだ これだと言っても無駄である。
偶然こんなの見付けてしまいました(笑)
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4892033421/ref=mp_s_a_1?pi=SL64_V192259528&qid=1348215484&sr=8-1
実践輪廻転生瞑想法 1 DVD付 (単行本)
桐山 靖雄
- >>482 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 16:01:35.48 ID:yfy2sNkY
>桐山氏の論は機縁でありこの場で検証大いに結構であるが、
>自分が出来ない理由を捜して あれだ これだと言っても無駄である。
私は因縁切りも因縁解脱もできないから、たしかに「自分が出来ない」。
だが、出来た人って、どこにいるのだ?
密教食事件で刑獄の因縁、脳梗塞で脳障害の因縁、E川裁判で
色情の因縁、これだけ因縁を丸出しにしている桐山さんの
どこが因縁切りや因縁解脱したことになるのだ?
あなたの目には彼が因縁解脱したように見えるのですね。
あなたの脳味噌に老眼鏡をかけたほうが良い。
それから「論は機縁であり」などという意味不明の言葉を
得意気に使うのがあなたは大好きらしいが、
それをすればするほど、あなたは言葉で自分を大きく見せるしか
手段がないくらい中身のない人間だと、自分から表明しているようなものです。
わざわざ表明してもらわなくても、宝生さんも準シュダオンさんも
中身のない人間であることを読者は皆さん知っています。
- >>482 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 16:01:35.48 ID:yfy2sNkY
>因縁解脱、煩悩取り去り、要は同じこと。
どうしてこんな無知丸出しの文章を堂々と書けるのだろう。
あなた方の文章を読んでいると、桐山さんに同情しそうになる。
アゴン宗の基本的な解脱について、準シュダオンさんも宝生さんも
まったく理解していないのですね。
『修行者座右宝鑑』のどこを読んでいるのだ?
私は一ヶ月ほど前も準シュダオンさんに同じ説明をしている。
何度説明されても、理解すらできないらしい。
私の主張を理解しろと言ってるのではない。
桐山ゲイカの説くところを理解したらどうかと言っているのです。
因縁解脱のこんな基本的なこともわからないなんて、師に対して申し訳ないとか、
失礼だという気持ちはないんでしょうか。
わからないなら黙っておれば良いのに、さも何か知っているかのように
ペラペラと口から出任せの嘘を並べる。
私がなんで毎回アゴン宗の教義の説明をしなければならないのか、
よくわからないが、他の信者さんたちに、準シュダオンさんや宝生さんのような
自分教ではなく、正しいアゴン宗の教義を理解してもらうためにも、
一ヶ月ほど前に書いた内容を再度説明します。
教科書は『修行者座右宝鑑』と『仏陀の真実の教えを説く[上]』です。
- >>482 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 16:01:35.48 ID:yfy2sNkY
>因縁解脱、煩悩取り去り、要は同じこと。
因縁解脱と煩悩解脱は、アゴン宗でも別物です。
悪因縁については、『修行者座右宝鑑』の24ページからまとめてある。
悪因縁とは桐山ゲイカがおっしゃるように運命の星のことです。
これに対して、アゴン宗では煩悩は心の因縁と言って別物です。
「われわれは、だれでも、自分の性格の上に欠点を持っている。
それが、自分の因縁をあらわしていることが多い。
だから、わたくしは、これを「心の因縁」といっている。」
(『修行者座右宝鑑』132頁)
桐山さんは煩悩を端的に「性格、気質、癖」としている(134ページ)。
そして、その具体例として、152ページ以降で、
仏教で分類された煩悩の解説をしています。
煩悩は悪因縁を作る原因となるだけで、悪因縁そのものではありません。
貪りの心(煩悩=心の因縁)があって貪ったから、ガンの因縁ができる。
つまり、両者は密接に関係しているが、別物です。
両者の関係を168ページの一覧表にまとめてあります。
悪因縁の中に煩悩が含まれるなどという準シュダオンさんや宝生さんの説が
正しいなら、ガンの因縁を切ったら、貪りの心も消えるはずです。
だが、桐山さんはそうではないと否定している。
仏様のお力でガンの因縁が切れても、本人に貪りの心がある限り、
またガンの因縁ができると述べている。
実際、過去の機関誌に事例が載っています。
また逆に、座禅などで貪りの心を捨てたからと言って、前世ですでに
作ってきたガンの因縁は消えないとも述べている。
悪因縁と煩悩とは別個のものだからです。
- >>482 :神も仏も名無しさん:2012/09/21(金) 16:01:35.48 ID:yfy2sNkY
>因縁解脱、煩悩取り去り、要は同じこと。
桐山ゲイカの教説によれば、悪因縁と煩悩(心の因縁)は密接に
関係しているが、両者は別物であり、同時並行的に切っていく。
だから、因縁解脱修行宝鑑に心の因縁を切るための戒行があるのです。
ガンの因縁を切るためには仏様に供養し、功徳を授けてもらい、
その功徳の力で悪因縁を消滅させる。
同時に、貪りの心をなくすためには桐山ゲイカの示した戒行や課行に
素直に従うことが最良とされる。
解脱供養を出せ、梵鐘に供養せよ、伝法会に出ろと言われたら、
あれこれ屁理屈をつけずに素直に「はい」と従うことです。
つまり、アゴン宗で煩悩を切る、心の因縁を切るとは、
宗教家畜、宗教奴隷になることです。
その立派な見本こそは法務部のF田さんです。
彼のように、人前で理不尽に罵倒されても、桐山ゲイカに
いっさい逆らわず、絶対服従する者を、アゴン宗では
心の因縁が切れた者と言います。
準シュダオンさんや宝生さんみたいに、桐山ゲイカの指導に従わず、
屁理屈をつけ、 財布に糸目をつけて、出す出さないを自分で判断することを、
アゴン宗では我見、因縁物申す、といい、心の因縁が切れていない証拠です。
- 「ひとくちに「解脱」と申しますが、「解脱」には「小解脱」と「大解脱」の二種類があります。「小解脱」
とは、いわゆる「煩悩解脱」です。それに対して、「大解脱」とは、「因縁解脱」のことなのです。」
(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』176頁)
桐山ゲイカが、アゴン宗でも因縁解脱と煩悩解脱が別物であると
わざわざ強調した文章が上記です。
大解脱・・・因縁解脱
小解脱・・・煩悩解脱
このよう明瞭に桐山さんは区別している。
「因縁解脱、煩悩取り去り、要は同じこと」(>>482)など根拠がないどころか、
桐山さんのこういう説明をまったく読んでいない証拠です。
桐山さんは、煩悩を断ちきっただけでは本当の解脱ではないと述べている。
だが、仏教の解脱とは下記の岩波仏教辞典の記述のように煩悩を切ることです。
「解脱
仏教では煩悩(ぼんのう)から解放されて自由な心境となることをいう.」
釈尊の解脱とは煩悩解脱(漏尽解脱)です。
ところが、あろうことか、釈尊の煩悩解脱とは、小解脱だと桐山さんは罵っている。
もちろん、桐山さんは釈尊を罵るつもりなどない。
仏教の解脱が煩悩解脱なのを知らないから、煩悩解脱を
小解脱などと書いたのです。
無知とは本当にオメデタイことです。
- 「欲望をコントロールするというだけでも、これは大変なことですから解脱と呼ば
れますが、小さい解脱なのです。」(『仏陀の真実の教えを説く阿含経講義』176頁)
このように、釈尊の解脱を「小さな解脱」と罵っている。
ちなみに煩悩解脱とは、欲望をコントロールすることだけではありません。
桐山さんがわざわざ『修行者座右宝鑑』で六大煩悩を並べているように、
煩悩とは欲望だけではない。
ところが、ここで桐山さんはまるで煩悩とは欲望だけであるかのような
書き方をしている。
いかに桐山さんが煩悩について知らないか、こういうちょっとした
記述でもわかってしまうのです。
信者さんたちは信じなくて良いから、知識として知っておいてほしいのは、
岩波仏教辞典にもあるように煩悩をコントロールしたら仏陀です。
桐山さんからは煩悩のコントロールを小解脱などと矮小化して
教え込まされ、オシエにすぎないなどと侮蔑心すら持っている。
それは釈尊の解脱を小解脱と罵るのと同じで、無知であり、
とても恥ずかしいことですよ。
- 「どれほど執着・執念の激しい人間であろうと、八十歳や九十歳になったならば、だいたい欲
望はなくなるものです。それでもまだ激しい執着があるというのは、バケモノといって
も過言ではないでしょう。」
(『ダルマチャクラ』74号、1995年、18頁)
八十、九十になれば欲望はなくなるのだそうです。
それがあるのは「バケモノ」だそうだ。
この桐山さんの書き方を見てもわかるように、
煩悩を切るということなど、簡単にできて、
年をとれば自然に欲望などなくなると思いこんでいる。
仏教とは自分の心を徹底的に観察するところから始まる。
だが、桐山さんはそんなことをしたこともないのがこういう発言でわかる。
自分を観察しなくても、普通に人間を観察すれば、こんな馬鹿な事は言わない。
長寿によって老人の性が取り上げられ、年寄りで欲望や執着が
満々としている人など珍しくもないことがわかっている。
それどころか、信者さんたちの目の前にいるではないか。
- 「それでもまだ激しい執着があるというのは、バケモノといって
も過言ではないでしょう。」
桐山さんがE川さんをお手当付きの内弟子にしたのが1989年で、
68歳の頃です。
「千景がいないとさびチい」と言ったのは二度目の脳梗塞で倒れる前らしいから、
2000年とすれば79歳です。
E川さんを避け始めたのが2005年ですから、84歳の頃です。
八十歳でも、まだ桐山さんは性欲があって、E川さんを
愛人にしていた。
つまり、上記の桐山さんの主張によれば、桐山さんは
「バケモノといっても過言ではないでしょう」
ということになる。
念のために申し上げるが、私は愛人のいた八十歳の老人である桐山さんを
バケモノとは思っていない。
八十すぎて性欲のある男性など珍しくないからです。
桐山ゲイカはエロじじい、エロ教祖、あるいは男の鑑だとは思うが、
バケモノではない。
バケモノとは桐山ゲイカが世間の老人に向けた言葉である点を
誤解しないでほしい。
- 「どれほど執着・執念の激しい人間であろうと、八十歳や九十歳になったならば、だいたい欲
望はなくなるものです。」
笑えるのは桐山さんが昔、こうやって他の老人に投げつけたツバが、
そのまま桐山さんの顔に落ちてきている点です。
「天に向かって唾を吐く」という諺を絵に描いたような光景です。
しかも、これを発言している年を見てください。
1995年ですから、桐山さんは74歳くらいで、
E川さんを愛人にして楽しんでいた時期です。
当時、間もなく80歳になろうという桐山さんは、自らは
性欲を丸出しにしながら、「だいたい欲望はなくなるものです」
などと信者にはお説教を垂れていた。
まあ、厚かましさは天下一品、さすがは準シュダオンさんの
師匠だけあって、恥知らずぶりは底なしです。
これが煩悩を切ることをオシエにすぎないと侮蔑している
桐山さんの実際の姿です。
煩悩を切るどころか、人並みに抑えることすらできない桐山さんが
煩悩解脱を小さい解脱と罵り、小馬鹿にしている。
小馬鹿にした結果が、煩悩に征服され、全国にエロ教祖として
恥をさらした。
準シュダオンさんや宝生さん以外の信者さんたちだけでも、
煩悩を切ることをオシエなどと小馬鹿にする前に、仏教の解脱とは
煩悩を切ることだという初歩的な知識くらい受け入れてください。
阿含の子らよ!
輪廻転生瞑想法を実践するには
あのグッズとこのグッズとそのグッズと・・・
いくつも玩具(オモチャ)が必要じゃ〜w
今年の星まつり大柴燈護摩供も頑張って
たくさん護摩木勧進するのだよ〜ん。w
たくさん札束を集めてこ〜い!
阿含の子らよ
聖者になれ。w
清められた聖者シュダオンに。w
『準』はいらない(笑)
- >>492
>これが煩悩を切ることをオシエにすぎないと侮蔑している
>桐山さんの実際の姿です。
全くもってその通り
桐山氏はよく法話で信者にこう説法していました
「私は道徳的な当たり前なことはいちいち教えない、人に親切にしなさい
嘘をついたらいけません
盗みは犯罪です
盗作パクリもいけません
経歴詐称もいけません
色香にはまり込んではいけません
などなど・・・
これらは全て当たり前のことなのです
当たり前のことを私はいちいち君たちに教えない
そんなことは当たり前だからです
そんなことはできて当たり前
当たり前を前提に指導している」
一番大切な当たり前の教えを
ないがしろにして
解脱とはもっともっと高等で難しいものと自ら敷居を高くし
ややこしく難解にし
一番大切で必要な教えを軽んじてきた桐山氏。
教えを軽んじて金と女でつまずいた桐山氏。
阿含の信徒に一番欠けているもの
それは解脱と真実は実はいたって単純シンプルと知る知恵。
解脱とは難解複雑難しいものと
自らとらわれ、思い込みで壁を作ってみせた桐山氏。
真実とはいたってシンプル単純なものです。
- どーでもいいけど、桐山せいゆう長生きしすぎワロタ
- 準シュダオンさんは本当に狡っ辛い人だ。ずるくて抜け目がなくってけちんぼで
アゴン宗にハマるとこんな人間に成りますという見本だな。
とにかく性格が悪すぎ。
ほとぼりが冷めたらのこのこ出てきて都合の悪い反論には一切答えず一方的な自己主張に終始してハイさようならだもんね。
こすっからい!
あ〜いやだ。いやだ、いやだ、いやだね。
- 昔の著書で
桐山さん
人に点数付けてたね
因縁減点法で
癌で死んだら何点減点
殺されたら何点減点
レベルが低い人は来世100円ロッカーの中で
産まれるとかね
20代で死んだら何点減点
桐山さんはもうすぐ100歳だから
満点人間ということかな(笑)
長生きできてよかったね、桐山さん。
- 長生きしすぎ
- 局長ババアも早く市ね!
- 今は悪党ほど長生きする時代
でもその分、死んでからの地獄の苦しみは相当長い期間続くでしょう。
桐山さんは超一級の悪人ですから超一級の責め苦が待っています。
そんな訳でなかなか死ねない。往生際が悪いのです。
W田さんも同様でしょう。
- 七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教
(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)
「諸(もろもろ)の悪を作す莫(な)かれ
衆(いろいろ)の善を奉行(ぶぎょう)せよ
自(みずか)ら其(そ)の意を浄(きよ)めよ
是(これ)が諸仏の教えである。」
- 正論 都知事 管長と対談する。
都知事、米国で尖閣購入を語る
民主党が都有化を阻止のため国有化し
中国激怒し日中開戦一触即発の危機となる。
- >>512 1970年以降は世界中の各国指導者が合意して、中国と韓国を世界の
表舞台に引っ張り出したのだが、見事に期待を裏切り続けて
今日に至った。
もしも中国が尖閣の近辺で一発でも銃撃を行えば米国の思う壺。
核兵器を持ってますと言っても、戦争に対する恐喝行為でアウト。
博愛主義を抱き中国に赴き 教育に資材を尽くした日本人諸賢の努力は
無駄になるのである 些少とは云えない金額であった。
此処でお告げの御託宣である ※「人もどき」には其れなりの扱いをすべし。
- ↑アンカ間違えた
>>501×
>>510〇
- >>515
ちょwwwww
光の速さで間にレスいれんなよw
【“ニセ医師”43歳の男を逮捕 2300人以上に健康診断か?】
桐山さんて真言宗の僧侶資格無いって本当なんでしょうかね
本当ならば上記ニセ医師と同じく詐欺師ですね
ニセ僧侶は何人に御供養しても
無罪なのでしょうか?
★学歴詐称
ニセ日大卒業生
ニセ早稲田卒業生
こちらは桐山氏確信犯のようです
御本人曰く
「学歴詐称は未熟だった」
とのことですが…。
- とにかくキリヤマゲイカは性格に問題あり!
彼の師にしてこの弟子ありで局長ババアも性格に難あり!
- 内部情報の暴露
誰かしてください
- 裁判起こしている人達どうなったんですか?
- ヤフオクで法具が売られている。
○ttp://auctions.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&p=%E9%98%BF%E5%90%AB%E5%AE%97&aucmaxprice=999999999&thumb=1&s1=bids&ei=utf-8
- >>525 物件によっては、意約違反になる。
仏舎利尊の宝塔のみは、入行する場合には本人に貸与であって
授与および販売ではない。
(独鈷の加持に使用する法具も同様である、不要の場合は返却が相応)
所有者が古物商に売り渡したのか?本来は販売される
筋合いのものではないと一言注意。
- >>525
先週の週刊モーニングに(カバチのマンガ)、いじめの問題ですけど、民事裁判のヒントが出てましたよ。
信者の皆さん、日記をつけておくのも、いいみたいですよ!
法話でどう言われた、職員にどう言われた、地区会で、ALCで、どう勧められた?等等
必ず、領収書はしまっておきましょう!
請願書の半券等も、何のために解脱供養をしろと言われましたか?
そもそも作り話の成仏力で、作り話の霊障のホトケを、あなたの弱みに付け込んで
因縁が切れないなどと?作り話の因縁が切れない?
日記でもいいですので、信者の皆さん記録していた方がいいですよ。
日付入りで、裁判するつもりはなくても、そうした方がいいですね。
- そんなレベルでアゴン宗叩きにはならねー
もっとリアルなところを突っついた方がよくね?
- >573 :神も仏も名無しさん:2012/06/29(金) 17:58:34.90 ID:5kSTa754
>それは規約違反であり これを持ち込んだ人物であるということをである。
>入会に際して、宝塔は貸与された物件であるから退会時には返却すべき
>約束と説明しておいたのである。
>>526 :神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 21:15:07.69 ID:hL6g5bEC
>物件によっては、意約違反になる。
>仏舎利尊の宝塔のみは、入行する場合には本人に貸与であって
>授与および販売ではない。
六月に書いた573も526さんなのでしょうね。
高見からお説教を垂れるような書き方がそのままです。
法具を販売するという書き込みがあるといつもすぐに反応する。
そして書き方はいつも「偉そう」です。
いったいあなたはどういう立場の人なのだろう。
ずっとここを監視していて、ヤフーで売るという情報が入ると、
必ずあなたはこのような書き込みをする。
一般の信者にしては態度といい、反応といい、実に奇妙です。
- >>526 :神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 21:15:07.69 ID:hL6g5bEC
>仏舎利尊の宝塔のみは、入行する場合には本人に貸与であって
>授与および販売ではない。
あなたの書き込みに、辞めようとしてる信者や元信者が売ることを
ためらうといけないから、反論しておきます。
ご宝塔を含めたアゴン宗グッズを売るのは本人の勝手です。
いくらかでもお金を取り返したほうが良い。
何一つ信者との約束を守っていないアゴン宗が
どの面さげて「規則」を持ち出せるのだ?
面の皮だけは桐山さんもあなたも分厚い。
これまで桐山さんが口にした様々な約束はどうなったのだ?
桐山さん本人の因縁切りすらできていないのに、信者に因縁切りを約束した。
それで因縁の切れた信者とはどこにいるのだ?
桐山さん本人に超能力などないのに、超能力開発を約束した。
それで超能力を体得した信者とはどこにいるのだ?
アゴン宗側は何一つ約束を守っていないのに、元信者には守れという。
「因縁切りや超能力開発を約束した契約書はない」と反論してみてはどうか。
みんなで失笑してあげますよ。
- >>526 :神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 21:15:07.69 ID:hL6g5bEC
>本来は販売される筋合いのものではないと一言注意。
販売される筋合いではない???
カネカネカネのアゴン宗であることをあなたが知らないはずはないのに、
よくまあ、ぬけぬけと書きますね。
アゴン宗で販売されていないものって何があるのですか?
口先や建前は別として、全部お金です。
桐山さん自らも、金と人を集めろとはっきり言っている。
今回の密教占星術の講習会、梵鐘など、供養やボン行などと
仏道修行であるかのように言いながら、実は全部お金を集めるのが目的です。
中身なんか何もない。
信者に疑似エサで釣って、エサが欲しければ、人と金を出せ、
というのが桐山さんの本音です。
こういうアゴン宗が「販売される筋合いのものではない」!!
526さんは書いていて、恥ずかしいとか、元信者たちに
笑われるとか、思わないのですか。
オウムが「生命は大切である」とお説教を始めたような光景ですね。
- >>526 :神も仏も名無しさん:2012/09/25(火) 21:15:07.69 ID:hL6g5bEC
>仏舎利尊の宝塔のみは、入行する場合には本人に貸与であって
>授与および販売ではない。
桐山さんはオミタマを込めるのも、抜くのも自在な力を持っている
というのだから、簡単です。
ヤフーで売られているご宝塔に向かって、エイッとやればオミタマ
とやらは抜けて、ただの金属と石の物体になる。
何の問題もない。
桐山さんはご宝塔を粗末にした者には法罰が下るとパンレットに書いている。
昔の和讃には、因縁返しを受けるとある。
ヤフーに売り出した人のところにホーによって仏罰や因縁返しが
行くというのだから、あなたごときがよけいな口出しをする必要はない。
ご宝塔を疎水に投げ込んだ人は自殺したとか、夜逃げしたとか
桐山さんは書いていた。
だが、このスレにもご宝塔を分解したとか、ゴミに捨てたという
人がいたが、自殺も夜逃げも聞いたことがない。
気持ちも金銭も楽になったという話は聞くが、
不幸になったなんて聞いたこともない。
本人のサイン入りの契約書があるだろうから、
契約違反として、裁判でも何でも訴えてみなさい。
ご宝塔を返却させ、再利用できそうなものだけ取り
返そうという魂胆なのでしょう?
あなたはその小汚い霊感商法の手先をしている小悪党です。
悪業の報いを受けるのはご宝塔を売った人ではなく、桐山さんやあなたです。
- >>533天照が持っているもの(資料)はそんなに数を多く持っているわけではありません。
なので、何か資料や情報の提供が外部からないと、頻繁には更新は行えないのです。
533についての解答は http://jbbs.livedoor.jp/internet/6441/ agama@chs-1第四章の、603,604にあります。
普通の人なら
自分の学歴なんて嘘つかないよね〜
平気で最終学歴ウソつけるってことは
ほかにもウソついてても全然おかしくないな
嘘つきは詐欺師の特長だからね。
自分の嘘話しに自分で酔う
平気な顔して嘘つけるってことは詐欺師の素質があるってことだねぇ〜
人を騙すってことは嘘つきってことだから
昔から「嘘つきはドロボーのはじまり」って
ことわざの通りだね
入学も卒業もしてないのに
『ハイ、私は日大卒業しました』
『ハイ、私は早稲田卒業しましたよ〜』
なんて平気な顔して嘘をつく
普通はさすがに言えないよね〜
ほかにもウソがあると思われても仕方ない。
当然、自業自得だよ桐山さん。
普通は未熟でしたじゃー済まされないよね〜子供じゃないんだから。
(学歴)詐称は桐山靖雄氏の全てに通じる根本的な傾向、癖だね。
過去の犯罪歴をみてもビールラベル張替え私文書偽造。
詐欺と偽造、詐称。
桐山氏の特長と傾向が見えてくるね…。
こんな桐山氏に
「たたく撞木は真である」
なんて言われても
ちゃんちゃら可笑しい笑っちゃう(爆笑)
しかも十数年も若い美女会員とコッソリ付き合っていたわけだ
もう教祖として一切弁解の余地ないね。
しかも自分は因縁が切れずにボケた。
アワレ。
- 阿含宗サイトがメジャーバージョンアップですね
- バカだよな〜
学歴詐称なんて(笑)
でもどうせならなんで東大卒って詐称しなかったんだろね
さずがに自分の実際を考慮して遠慮したのかね〜
- >【“ニセ医師”43歳の男を逮捕 2300人以上に健康診断か?】
>桐山さんて真言宗の僧侶資格無いって本当なんでしょうかね
>本当ならば上記ニセ医師と同じく詐欺師ですね
ハハハ。医師は科学的なものだから国家試験もあるし、資格も必要だ。
が、僧侶資格って何?非科学的なものに資格なんてあるのかい?
非科学的なものの資格認定は、やはり非科学的なものが判定するしかないね。
僧侶の資格なんて、他人にまかせるんじゃないよ、自分の目で判定するもんだ。
釈尊が、僧侶の試験でも受けて、その資格を持っていたかね?
僧侶資格なんて、自称で十分よ。昔は医者でさえ、基準がなくて自称で良かったんだよ。
- >普通の人なら
>自分の学歴なんて嘘つかないよね〜
そりゃ、気の小さい凡夫は正直なものさw。
>平気で最終学歴ウソつけるってことは
>ほかにもウソついてても全然おかしくないな
おかしくないよ、でもバカは気をつけても騙される。
>嘘つきは詐欺師の特長だからね。
>自分の嘘話しに自分で酔う
それに騙されてるアホ。
>平気な顔して嘘つけるってことは詐欺師の素質があるってことだねぇ〜
>人を騙すってことは嘘つきってことだから
騙される者はアホ。
>昔から「嘘つきはドロボーのはじまり」って
>ことわざの通りだね
そのとおりだね。それに騙されるのはボケ、死ななきゃ治らない。
- >>540 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 09:17:34.89 ID:DlsJ3dUC
>ハハハ。医師は科学的なものだから国家試験もあるし、資格も必要だ。
>が、僧侶資格って何?非科学的なものに資格なんてあるのかい?
なるほど、あなたは桐山さんが偽僧侶であることを認めるのですね。
そのとおりで、桐山さんは偽僧侶です。
しかし、桐山さん本人は自分が偽坊主だと認めたことはない。
つまり、桐山さんが嘘をついていることをあなたは認めるのだ。
あなたも五戒の中に「嘘をつかない」というのがあるのを知っているでしょう。
細かい嘘と違い、出家を自称する者が僧侶の資格があるかのように
嘘をつくのは、人を騙すと言います。
桐山さんが人を騙していることをあなたは認めるのですね。
- >>540 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 09:17:34.89 ID:DlsJ3dUC
>釈尊が、僧侶の試験でも受けて、その資格を持っていたかね?
お得意の屁理屈が始まった。
あなたは忘れているのだろうが、前にも何度かその屁理屈を出して、
ここで反論されているのです。
仏教は釈尊が開祖なのだから、誰かに得度してもらう必要はない。
これが答です。
だから桐山さんも「桐山教の僧侶」なら、自分で資格を与えてかまわない。
だが、桐山さんは真言宗という仏教の一派で得度したと書いている。
仏教には仏教の資格がちゃんとあって、
これを取得しない者は僧侶としては認められない。
しかも、それは釈尊が決めたことです。
釈尊は得度しない者が勝手に僧侶を名乗ることを禁止した。
最初は釈尊自らが得度したが、それでは効率が悪いので、
資格を持つ比丘たちも得度できるようになった。
これが上座部であれ、大乗であれ、仏教の大原則です。
これを破る者、無視する者は仏教徒ではない。
だから、桐山さんもあなたも仏教徒ではない。
- >>540 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 09:17:34.89 ID:DlsJ3dUC
>釈尊が、僧侶の試験でも受けて、その資格を持っていたかね?
出家の資格がどれほど大事かを示すのが鑑真です。
彼は僧侶の資格を授けられる人だったから、要請に対して、
失明してまで日本に来て、戒壇を設けた。
日本仏教の大恩人です。
宗派はともかく得度をしない限り、僧侶を自称するなら、
自分だけでなく、他人を騙すことなる。
釈尊自ら決めた重大な規則を守らないなら、その人は仏教の僧侶ではありません。
そんなこともわかりませんか。
こういう社会的な規則を無視する人たちのことをヤクザ、チンピラと言います。
世の中には国家資格でない資格などたくさんある。
だが、これらの資格を軽視して、勝手に名乗るのはヤクザやチンピラです。
で、桐山さんとあなたはどちらなのだ?
- >>540 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 09:17:34.89 ID:DlsJ3dUC
>釈尊が、僧侶の試験でも受けて、その資格を持っていたかね?
僧侶の資格に意味がないなら、どうして桐山さんは
アゴン宗で得度式をしているのだ?
資格がどうでもいいなら、得度式なんていらないでしょう。
信者が勝手に坊さんの格好をして、自分は坊主だと名乗ればよいことになる。
だが、現実に桐山さんは得度を行い、度牒を授けて、出家と在家を明瞭に区別している。
桐山さんが偽僧侶なら、アゴン宗で得度を受けた僧侶たちも偽僧侶です。
桐山さんは信者を一度ならず、二度もこうやって騙したことになると
あなたは認めるのですね。
そのとおりで、桐山さんは口を開けば嘘が出て、人を騙す天才的な宗教詐欺師です。
- >>540 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 09:17:34.89 ID:DlsJ3dUC
>ハハハ。医師は科学的なものだから国家試験もあるし、資格も必要だ。
こんなふうにあなたが「ハハハ」と高笑いしても、
世間ばかりでなく、アゴン宗ですらも僧侶の資格は重視している。
まともな仏教教団なら、あなたみたいに資格を無視したりしません。
資格を無視して高笑いするなら、それは桐山さんを
笑っているのと同じです。
桐山さんの無資格ぶりを笑っているのなら、批判側と同じだから、
結構な話だが、あなたは桐山さんを擁護するために「ハハハ」と
高笑いしてみせたのでしょう?
結局、他人を笑ったつもりで、あなたの無知と、矛盾だらけの
宗教を頭から信じている狂信を読者に笑われただけです。
- >>540 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 09:17:34.89 ID:DlsJ3dUC
>ハハハ。医師は科学的なものだから国家試験もあるし、資格も必要だ。
仏教を信仰しながら、僧侶の資格を無視するなら、それはあなたの
道徳心は桐山さんと同じで、とても低劣だ、ということになる。
いつからそんなに一般人が持つような道徳心すら失ったのだ?
アゴン宗に入ってからですよね。
アゴン宗に入る前は偽僧侶に批判の目を向ける普通の人だったが、
アゴン宗に入ってから、嘘と矛盾を受け入れている内に、だんだん道徳心が
低くなり、今ではこんなふうに人前で堂々と偽僧侶を擁護するほどに墜ちた。
今ではエロ教祖を見ても何も感じないのでしょう?
よその教祖がエロ事件を起こしたら、侮蔑を覚えるのに、
同じ事を桐山さんがしても、あなたは何も感じないどころか、
E川さんは愛人ではないなどと一生懸命に弁護しようとする。
自己洗脳が進んで、宗教家畜の階梯を順調に駈け上がっている。
世間の連中が霊的に不浄に見えて、最近、自分の身体から
清らかなオーラが出ているように感じませんか。
それは侮蔑と慢心という煩悩がどんどん増大している成果ですから、
完全宗教家畜まであと少しです。
特にお引き留めはしませんので、僧侶の資格すらないエロ教祖の後を
どこまで付いていき、宗教家畜道をまっとうされるとよろしいでしょう。
- 人や組織から貸して貰った物は50円切手一枚でも返すのが社会常識である。
学識のありそうな深山さんはそう思いませんか?
仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
本人不要の場合は黙って道場の納札箱に入れて帰れば良いだけなのです。
販売されているケースは古物業者を謀って売りつけたと私は理解します。
- >>548
そんなに道徳心が高いのに何故あなたは桐山ゲイカにそれを向けないのか?
>>520,>>536で桐山さんの学歴詐称や偽僧侶のことが書き込まれています。
元信者には厳しく接する貴方は何故に信者を裏切ったウソのてんこ盛りの桐山ゲイカに甘いのか?
どうしてウソに目をつぶり元信者にだけ社会常識を求めるのか?
「私は早稲田卒です(←←学歴詐称)」
ていうのも
『私は仏陀です』
ていうのも
同じじゃん!(笑)
同じ人が言ってるんだから
どっちも嘘でしょう。
だいたい、学歴詐称する人は
必ずそこに損得感情があるんだよ
自分を今以上に大きく魅せることで
自分が得すると思うから嘘をつくんだよね
嘘つきは習慣だから。
桐山さんは
今まで口八丁手八丁の嘘で
のらりくらり信者を騙してしのいできたんだよね
時には叫び、時には涙を流して
声高らかに高演説を繰り返し
金と地位と城を築いてきた
しかしその中身は学歴詐称と同じで空っぽ
信者達はただただ金を出しただけで
肝心のモノは何も身に付いていない
嘘からスタートした教祖と教団に未来はあるか?
阿含宗信者:
『あの〜ちょっとお聞きしたいことがあるんですが〜』
早稲田大学:
『はい、なんでしょう』
阿含宗信者:
『そちらに在籍していた桐山靖雄(堤マスオ)の卒業を確認したいのですが・・・』
早稲田大学:
『少々お待ち下さい』
『ん?』
『申し訳ございません、もう一度お名前をお願いします』
阿含宗信者:
『桐山靖雄、我が師、桐山靖雄(堤マスオ)ですよ』
早稲田大学:
『誠に申し訳ございません、そのような方の在籍も卒業も一切記録がございません』
阿含宗信者:
『え〜〜〜〜〜!』
『そんなぁ〜!』
『マジですかあ???』
- まさか、法具や法施があのようなオークションで高値で落札されているとは
思いもしなかった。あ〜こんな値段で取引できるなら、売っておけばよかった。
時代は変わったな〜。 まさかこんな時代が来るなんて思いもしなかった。
もし、出品していたら、数十万円にはなったかな。
あ〜〜残念。生活費の足しになった。
- 552ふふん そうかね 一つこんな実話がある。
先年逝去した母が語っていた事である。
祖父さんが富山の元の田舎に居たころ親しかった隣の家に、
親鸞聖人真筆の南無阿弥陀仏の六字の御名号が仏壇にあったそうだ。
然し金に困って売ったんだよねえ。
先祖から伝わった仏さんを売るようじゃあそこの家も途絶えるよ。
だそうですわ、君は相当情けない事を言ってる自覚がない。
- >>553
親鸞聖人真筆のものならその様なこともあるかもしれない。偉大な方ですからね。
でも、桐山ゲイカの場合は心配ご無用です。
あれは聖者モドキの詐欺師で偽僧侶であり信者を騙して金や労働を強奪している大悪党です。
仏罰は大悪党の桐山ゲイカが受けなければならない。ウソツキが定めた法具類はただの金属でしかありません。
- だからよーそんな程度じゃアゴン宗叩きになってねーっつーの
- 553
はぁ?やめてせいせいしているよ。あんなにカネカネしている宗教から、解放されて。
法具一式返したけれど、まさかオークションで出品してお金にしているという
その感覚がうらやましいくらいだったよ。その知識と知恵があったら、
少しは違っていたはず。全財産、この宗教に使ったんだよ。何もかも。
結局救われなかった。残ったのは先祖供養という名の借金だったよ。
今思うと、本当に洗脳は恐ろしいと思っているよ。
なんでも程々バランスが大事だったと。のめりこんだ自分を恨んだよ。
- >>548
> 人や組織から貸して貰った物は50円切手一枚でも返すのが社会常識である。
募金鷺とあまり変わらんからな、ブッダのジョウブツ法によって
供養をご先祖様に届けるとかいって、その根拠がウソ八百だったら
届けた事にはならんだろう。
お金を預けた方はおいおい話が違うだろうって事にもなる。
何故に自分たちがやったことは棚にあげるのだ。 ?
その発言を云うのであれば、ここの批判に対して真正面から
反論してから云えよ。
まずもって人を騙して人からお金をせしめたのはどっちが最初
なのかさ。いってご覧よ。
- >>553
あの〜、で、実話はいいですけど、その後その家は実際に途絶えたのですか?
途絶えるであろうとか、人の希望的感想だけでは何の説得力ありませんよ。
- >>553
見方を変えればこの六字名号を売った話は正しい選択ですよ。
それで生活の危機を乗り越えたのだから親鸞さんもまた本望で喜んでますよ。
- >>553
しかも捨てたのではなく売ったのだから、またその宝物を大切にする然るべき人が
買って役に立ちますよ。
- >>548
私は自分だけに適用できるある考えあって、納札箱に全て返納したが、
黙って置いていけなんて指導はしてませんよ。
きちんと手続きをしなければなりません。(私は退会手続きしましたが)
実はそれが煩わしい話なんです。
- >>548
レンタルした物は返すのが社会人の義務だという理屈とも少し違う。
入信したからには退会返却することを通常想定していない。
それを返却することは教団から反発を食い、あれこれ説教されたり説得されたりする。
それをなくして、DVDを返すがごとく完全ドライで返却を受け付けてくださいよ。
- そういう意味ではこの教団が一方的に決めた返納せよとのルールはそれ自体
一種の脅迫なんですよ。
そんな脅迫ならば断る!と拒否します。
- >>548 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:40:33.75 ID:oXY/bRaF
>仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
まだ桐山さんが回収したがっているのはご宝塔だと思っているのですね。
少しは、回収品目に疑問を持つだけの知性は残っていないのか。
貸与と販売と、いったい何を基準にして決めたか、あなたは「説明」できますか。
「桐山ゲイカは大霊能力と仏陀の智慧で判断したのだから、
間脳の開いていない自分にわかるはずがない」と思っているのでしょう?
だから、いつまでも宗教家畜のままなのです。
思考を放棄せず、アゴン宗の常識でいいから考えてごらんなさい。
そうすると、まず一つ疑問が出てくる。
オミタマのこもっているものを返せというならわかるが、
そうではない点です。
曼荼羅や三辮宝珠尊など桐山ゲイカの御親修でオミタマの
こもったものでも返さなくても良いという。
それでいて、法具一式を返せという奇妙な指示です。
法具なんて、お清めがしてあると言っても、オミタマが
こもっているわけではないから、ただのゴミです。
しかも、タダで借りているわけではなく、お金を払っている。
貸与などといくら言っても、事実上は購入です。
そんな使い古しをわざわざ返せというのはどうしてなのか。
私の説明を読む前に、他の信者さんたちも考えて見てください。
- >>548 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:40:33.75 ID:oXY/bRaF
>仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
ご宝塔やお袈裟といった物を持ったまま辞められて、これを使って
教団内に信者のような顔をしてスパイに入り込まれては困るからです。
しかし、曼荼羅や三辮宝珠尊を持っていても、信者のような顔をして
入り込むことには役に立たないから、あんなものはどうでも良い。
桐山さんは、教団内にスパイが入り込んで、教団を乗っ取ろうとしていると
信じているから、そのスパイを排除するためにも、お袈裟をつけて
信者のふりをして入り込めないように、回収を命じているのです。
この命令はスパイを排除するにしても現実的ではないし、子供じみている。
だが、それが桐山さんの頭の程度なのです。
- >>548 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:40:33.75 ID:oXY/bRaF
>仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
桐山さんは、教団を他人に狙われている、乗っ取られる、という
強い強迫観念を持っている。
自分の財産であり、エラクなった証しである教団を他人に乗っ取られたり、
分派されるのを何よりも恐れている。
総本殿の威容こそが桐山さんの勲章だから、閉鎖状態でも一向にかまわない。
世間的に一宗の管長としてお山を勲章として誇れればそれで良いのです。
あなたは桐山さんにとって奥さんすらも桐山さんの「勲章」だった
ことに気がついているか。
桐山さんの目的は解脱などではなく、世俗的にエラクなることであり、
そのために一生かけてアゴン宗や総本殿を作ってきた。
この命の次くらいに大事な大事な勲章を乗っ取られたら、とんでもない。
それが法具を返せという理由です。
- >>548 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:40:33.75 ID:oXY/bRaF
>仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
桐山さんが見本にした立正佼成会は霊友会から分派した。
霊友会からはたくさん分派して、しかもそれぞれが大教団になっている。
桐山さんはこういうのを見て、分派活動を極端に恐れているから、
ものすごい過剰な反応をする。
オウムの時がそうでした。
関西では、例祭に来る信者を誘っていたオウム信者を、職員が
「怒鳴りつけて」追い返したことを誇らしげに語った。
関東では、地方道場で幹部がオウムに流れると、無策のまま、
いきなり道場を閉鎖した。
これが仏陀の智慧を持ち、事物の明快な認識力と、高度の判断力を
持つと自称する解脱者のしたことです。
桐山さんの無能無策と、教団を乗っ取られるという極端な
被害妄想が彼をこんな行動に駆り立てるのです。
その結果が法具を返却するという何の意味もない「慣習」となって残り、
あなたみたいな狂信者は金科玉条にしている。
- >>548 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:40:33.75 ID:oXY/bRaF
>仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
5〜6年前、桐山さんは2ちゃんねるでの批判を聞いて、法話の
会場に批判側の女スパイがいるとして、「別れなさい」と連発したそうだ。
あなたみたいな信者は桐山ゲイカが霊視したと思っているのでしょうね。
その当時から、批判の量が一番多いのは私だから、
桐山さんは深山の女スパイを霊視したらしい。
これ一つ見ても、桐山さんには透視能力や霊視能力が皆無なのがわかる。
天地に誓っていうが、私に女スパイなどいないし、
仮にいても、法話を聞きに行けなんて馬鹿な指示はしない。
アゴン宗の批判をするのに、ヨレヨレでロレツの回らない桐山さんの
同じ話を聞く必要はない。
私の批判内容を見ればわかるように、アゴン宗が公式に出している情報を
元にしているから、年寄りの自慢話など聞く必要がない。
桐山さんに超能力などなく、あるのは被害妄想だというのが、
こういう一件を見てもわかる。
ところが、あなたみたいな狂信者は桐山さんの、他教団がスパイを
放っているとか、攻撃しているなどと聞いて、本気にする。
教祖と似たレベルの信者が残っているのでしょう。
- >>548 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:40:33.75 ID:oXY/bRaF
>仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
桐山さんが女スパイなどと訳のわからんことを言い出した理由が数年後にわかった。
桐山さん自身がE川さんという女スパイを信者内に入り込ませ、
監視していたからです。
自分がしている悪事を他人もしていると言い換えた。
E川さんが桐山スパイだとすれば、YANのS瓶さんの失脚の件、
横浜のK柳先達の失脚の件など、全部説明がつく。
桐山さんのスパイはE川さんに始まったことではなく、慈恵会時代の
古い先達からも聞いたことがあります。
その先達は、慈恵会時代、北野師の金剛院派と掛け持ちしていた。
それ自体は当時は違法ではなかったのに、ある時、桐山さんから
「君は北野の所にも行っているようだね」と言われた。
いかにも霊視や透視したかのような口ぶりらしかったが、
その先達は、スパイがいるのだとピンと来たと言う。
- >>548 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:40:33.75 ID:oXY/bRaF
>仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
スパイを使い、いかにも霊能力があるかのように見せかける手法は
桐山さんでなくても、インチキ教祖は良く使う。
麻原彰晃がその手を使い、幹部信者の個人的なことを言い当てて、
教祖様はすべてお見通しだと思いこませて洗脳した。
実は、愛人などにスパイさせ、情報を集めていた。
さすがは桐山ゲイカの愛弟子だけあって、手法は同じです。
信者は簡単にこういうトリックに引っかかることを私も体験しました。
S瓶さんが失脚した時、彼がYANの仲間に演説をしていると、
突然桐山さんが現れて、彼を叱りつけ、自分はどこにいても
すべてお見通しだと言ったそうです。
この一件を話した先達は、桐山ゲイカの超能力の実例として示したのです。
もちろん、先達は桐山ゲイカの超能力を深く信じて今でも信者をしています。
本人のために言うが、先達は決して頭の悪い人ではない。
だが、普通の常識をもって見れば、誰かが階上の自室にいた桐山さんに
告げ口したことは明かです。
よもやそれがE川さんだとは考えもしなかった。
- >>548 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:40:33.75 ID:oXY/bRaF
>仏舎利尊の法塔は貸与となっています。
桐山さんはスパイを放ち、自分には超能力があって、道場内のことは
すべてお見通しであるかのように信者たちにハッタリをかけるのは
教団を乗っ取られないためです。
自分に逆らうような不穏な行動をすればたちまちわかるぞと
脅かしをかけることで、逆らえないように支配する。
前は入場者の管理などしていなかったから、信者のふりをして、
お袈裟をちょっとつければ自由に道場に出入りできた。
お袈裟や念珠などがあれば、スパイが自由に入り込めたのです。
桐山さんは本を書いている時はその内容の法話はしないことを自慢していた。
うっかり話すと、スパイがそれを聞いて、先に本を書かれてしまうというのです。
あの嘘だらけの本の何をどう真似するのか、被害妄想もここまで来ると立派です。
だから、桐山さんは法具が外に流れて、スパイの道具にされることを
極端に恐れているのです。
法具の回収なんて見当違いな被害妄想で、スパイには何の効果もないのだが、
あなたみたいに言われたとおりに狂信する愚かな信者には有効です。
- >>553 :神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 18:57:29.01 ID:oXY/bRaF
>親鸞聖人真筆の南無阿弥陀仏の六字の御名号が仏壇にあったそうだ。
で、何を言いたいのですか。
仏舎利尊は貸与だとえらく厳密なことを言うかと思えば、
突然、何の脈絡もない話を出すあなたの脳味噌はどうなっているのだ?
結局、批判側に何か因縁をつけたくて貸与の話を出しているにすぎないのがわかる。
真筆を売ると絶家するのですか。
そんな恐ろしい本尊は最初から買わないほうが良い。
本当にあなたの頭って、オカルトなんですね。
仏教では絶家は悪いことではありませんよ。
釈尊の家系は絶家です。
釈尊は片端から出家を勧めたのだから、絶家を作った人です。
あなたも桐山さんと同じで、家系など家単位でしか物が考えられない。
世代が古いのか、それとも脳が古いのか、どちらですか。
すべての家系が絶家せず、あらゆる人が子孫を残したら、
地球は数世代でパンクします。
こういう単純な計算もできない桐山ゲイカを仏陀の智慧の持ち主と
崇拝して、ご宝塔は貸与だと吠えているあなたの脳味噌は、
もしかして桐山ゲイカの脳梗塞脳の「貸与」ですか。
借りた物は早く返しなさい。
- この糞深山うるせーぞ!
なにを根拠に偽僧侶という。
いいかげんにしろよテメエ!
証拠を見せろ!
- >>576
ほれ
http://souko.digi2.jp/mede01/rireki01.html
- >>577
すごい証拠資料じゃないですかぁ! 学歴詐称、僧籍詐称、阿闍梨詐称!3連打じゃないですかあ!?
((度牒(どちょう)とは、得度した僧尼に交付される身分証明証のことである。))
※そういえば
桐山靖雄さんの出家得度の証明書見たことないな〜?
見せて欲しいなぁ。
見たことある人います?
チベットのじゅなくて日本のやつね。
やっぱ証明書無しで
信者に真言宗の護摩法伝法会したらあかんやろ〜
- 553でふと思ったのですが
桐山さんよく信者に言ってましたね
『御宝塔を粗末にしたら地獄に堕ちる』とね。
これっていわゆる宗教的脅しですよね
こういうことを言い出すようになったらその教祖も教団も疑ってみたほうがいいですね
御宝塔を桐山靖雄氏宛てに直接宅急便で送り返した私が地獄に堕ちるか
教団の若い女を囲い贅沢と名誉と色香の限りを尽くした自称仏陀の桐山さんが地獄に堕ちるか
な〜に、大丈夫大丈夫
地獄なんかにゃ絶対堕ちませんよ、安心して下さい
この私が保証しますから(笑笑)
- >>580
>教団の若い女を囲い贅沢と名誉と色香の限りを尽くした自称仏陀の桐山さんが地獄に堕ちるか
ここのところはオウム真理教の麻原と全く同じだよね。
麻原も教団の女数人に手を出し子供まで産ませた。
桐山ブッダも女性信者に手を出し18年もの間お手当を渡して色欲を満喫した。
どちらも信者を騙して裏で欲望を貪った大悪党だ。
- >桐山靖雄さんの出家得度の証明書見たことないな〜?
>見せて欲しいなぁ。
>見たことある人います?
>チベットのじゅなくて日本のやつね。
そういう証明書、何の役に立つの?宗教なんてみな詐欺だと思えばいいのよ。
そういう詐欺師が発行した証明書に何の効果もないよ、アホらしい。
桐山師の売りは因縁解脱だからさ、因縁切れない人は、詐欺だと判断すれば良いの。
で、因縁切れた人は本当だと判断すれば良い。
私はうまいこと、一つ因縁が切れた。
だから桐山師の素性などどうでも良い、関心ないよ。
私の因縁が切れることが、一番重要だからさ。
- >>582
因縁がキレたとあなたが言っても
・環境や状況が好転しただけ
・勘違い
ということが多い。
これだけ嘘をごまんと付いてきた桐山さんの教えで
因縁がキレたと結論付けることを疑ったほうがよいですな。
嘘だらけ、紛い物だらけの教えを実行して奇蹟が起きることは考えにくい。
もしも奇蹟が起きたとするなら、他の理由で起きたものである。
- >>582
>だから桐山師の素性などどうでも良い、関心ないよ。
>私の因縁が切れることが、一番重要だからさ。
準さんはその調子で自己満足してればいいよ。あなたなんか用はない。
ウザイからここに出てこないでください。
さようなら。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>なにを根拠に偽僧侶という。
私の次の質問に答えてみなさい。
「桐山ゲイカが僧侶だという証拠を出してみなさい」
出せるか。
あなたは偽僧侶である資格を出せというが、見当違いも甚だしい。
偽医者と疑われた人は、自分が本物の医師であることを証明するべき義務が
あるのと同じで、必要なのは、桐山さんが偽僧侶であることの証拠ではなく、
桐山さんが本物の僧侶である証拠です。
それも示すべきは批判側ではなく、疑われた桐山さんにある。
本物の僧侶であることを示す義務こそが桐山さんやあなたにあるのです。
さあ、出してください。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>なにを根拠に偽僧侶という。
あなたは桐山さんの度牒を見たことがあるか。
ありませんよね?
度牒とは得度した時に必ずもらえるもので、
僧侶の資格を示すものだから、大事にしないといけない。
桐山さんの僧侶の資格が疑われたのは1986年に出た批判本だから、
以来、26年もたっているのに、桐山さんは偽僧侶、偽阿闍梨という
指摘に、何一つ反論したことがない。
桐山さんは「バカは相手にしない」と開き直っているのだろうが、
開き直って良い内容ではない。
信者さんたちも僧侶の資格をものすごく軽く見ているが、
それはあまりに無知です。
釈尊は得度しない者が出家を名乗ることを厳重に禁止した。
どの仏教でもこれが基本となり、日本では国が戒壇を設けたほどです。
僧侶の資格という、桐山さんが仕事としている分野において、
基本となる資格を疑われたら、それに対してきちんと応える義務がある。
だが、桐山さんは口を拭って素知らぬふりです。
偽僧侶、偽阿闍梨という批判に対して沈黙したら、
それを認めたのと同じです。
つまり、「桐山さんの沈黙」こそが偽僧侶の何よりの根拠です。
私は根拠を示した。
次はあなたの番です。
吠えるだけで、負け犬になって逃げるか。
それとも準シュダオンさんみたいに口を拭って卑怯者になるか。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>この糞深山うるせーぞ!
>なにを根拠に偽僧侶という。
>いいかげんにしろよテメエ!
ヤクザみたいな口調で人を怒鳴りつけるのは桐山さんから習ったのですか。
それともこれがアゴン宗の普通の会話か。
賢劫の千仏、練脳塾、仏陀の智慧などと偉そうなこといいながら、
人間性は墜ちに墜ちて、宗教ヤクザです。
桐山さんも怒鳴りつけるのが大好きだった。
ワガママで身勝手で、自分の非を責められることが死ぬほど嫌いだからです。
あなたも桐山さんからその性格を王者の相承でデンパ受信したようですね。
桐山さんも自分の間違いを絶対に認めない。
成長期に問題のある人に良く見られる性格です。
桐山さんに嘘があまりに多いというか、嘘だらけなのは、
自分の間違いを認めないための防御の一つでもあるからです。
要するに、桐山さんは人格破綻者、自己愛性人格障害者という病人です。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>この糞深山うるせーぞ!
信者さんたちに言うが、嘘はいくら詭弁を使っても、
お金を使っても、マスコミを使っても、嘘でしかない。
桐山アゴン宗は非常に嘘が多いから、これを長く信仰するには、
無知のままでいるか、あるいは嘘を少しずつ受け入れるしかない。
多くの人は嘘を少しずつ受け入れる。
準シュダオンさんのように嘘が何ともない人は最初からたくさん受け入れる。
多くの信者さんたちは嘘に対する拒絶反応があるはずです。
だが、それを我慢してちょっとずつ嘘を受け入れていくと、嘘に鈍感になり、
やがて準シュダオンさんのようにむしろ嘘が好物になってしまう。
桐山さんの僧侶の資格などどうでも良いと信者さんたちは軽視していませんか。
仏教では決して軽視してはいけない資格を、信者さんたちは軽視している。
そればかりか「伝統仏教の坊さんは資格はあるかもしれないが、
オシャカの成仏ホウを体得していない。
それに対して、桐山ゲイカは資格はなくても、成仏ホウを
体得しているのだから、むしろ、本物の僧侶だ」などと思っていませんか。
私はこういう意見を実際に聞いたことがあるのです。
桐山さんを弁護するためなら、資格を持つ坊さんを足蹴にさえしている。
オシャカの成仏ホウなんて何の根拠もない話だし、
なによりも僧侶の資格とはまったく関係ない。
こんなふうに嘘を受け入れるために、信者自ら別な嘘を作って桐山さんを
弁護するようになる。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>この糞深山うるせーぞ!
信者さんたちは馬鹿げた詭弁で、現実から目をそらさないことです。
桐山さんは今の所、偽僧侶、偽阿闍梨です。
なぜなら、本人が僧侶、阿闍梨の資格があることを証明していないからです。
繰り返すが、疑われたら、本人が証明するべき義務があるのであって、
他人が、偽僧侶、偽阿闍梨であることを証明する義務はない。
偽医者を疑われたら、本人が医師免許を示すのが順序なのと同じです。
僧侶の資格もないのに僧侶を名乗り、阿闍梨の資格もないのに阿闍梨を名乗る。
大僧正も勝手に名乗っていた。
嘘ですよね。
信者さんたちに気がついてほしいのは、桐山さんは、資格など
現実世界で確認できることについて、非常にたくさんの嘘をついている点です。
それも僧侶や阿闍梨といった、彼の本業の分野で嘘をついている。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>この糞深山うるせーぞ!
桐山さんの祖父が上意討ちをした話も現実世界だから、嘘なのがわかっている。
ソンディが異母兄の生まれ変わりだというのも、嘘だとわかっている。
こんなふうに、現実世界で確認できる内容について嘘をつきまくっている
桐山さんが、霊的な世界について本当のことを言っていると思いますか。
他人から見えることでさえも嘘をついている桐山さんが、他人が
確認できないことでは嘘をついていないと信者さんたちは信じるのですか。
現実世界でこれだけの嘘つきなら、霊的な世界についても
嘘をついていると考えるのが当たり前です。
上意討ちやソンディの件はまさに桐山さんの霊能力の証拠として
出された内容であり、それが嘘だとわかっている。
霊的な世界についての話は桐山さんの空想や妄想です。
スレで嘘を並べて平気な準シュダオンさんが、
因縁がキレタなんて書いても、信者さんたちはアザ笑いますよね。
ならば、どうして同じ事をしている桐山さんを笑わないのですか。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>この糞深山うるせーぞ!
桐山さんは因縁を完全に切ったという。
だが、完全に切った後である1987年には密教食事件で刑獄の
因縁を出している。
1996年には脳梗塞になったのだから、脳障害の因縁を出している。
E川裁判については信者さんたちは異論があるだろうから、
これを色情の因縁だと主張しないとしても、
密教食事件は罰金刑という有罪です。
密教食事件を桐山さんが「光和のバカが」と連発したから、
まるで他人の罪をかぶったように解釈している信者もいるが、
罰金刑は間違いなく、桐山さん本人にくだされた判決です。
また、刑獄の因縁とは有罪、無罪にかかわらないというから、
桐山さんが刑獄の因縁を出したには間違いない。
刑獄の因縁はたしか霊障のホトケがついているんでしたね。
霊障解脱し、因縁を切ったはずの桐山さんがなんで刑獄の因縁という
三大悪因縁という大物の因縁を出すのですか。
因縁や霊障という桐山さんにしかわからない世界の話が
現実世界ではこんなふうに矛盾しているのです。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>この糞深山うるせーぞ!
脳梗塞になったことは桐山さん本人が今では認めています。
だが、桐山さんは最初は病気であることすら認めなかった。
先達の一人が桐山さんの病気を指摘すると、激怒して、
「病気ではない」と否定した。
だが、後年、本で病気であることを認め、さらには脳梗塞も認めた。
因縁解脱したはずの桐山ゲイカが脳障害の因縁を丸出しにして、
シャアシャアとそれを認めるのもすごい光景だが、
病気の直後にはずっと嘘をついていたこともすごいと思いませんか。
病院に行っただろうから、脳梗塞という診断を受けたはずです。
今では桐山さんの脳梗塞など当たり前のように語られているが、
1996年から数年間は、桐山さんはこれを否定していた。
つまり、嘘をついていたのですよ。
また、嘘です。
信者さんたちはこんなことはもう忘れているのだろうが、
このように、桐山さんは口を開けば嘘が出る。
準シュダオンさんと同じで、自分の間違いを絶対に認めたくない人だからです。
自分の間違いや非を絶対に認めない人を世間では、壊れている人、という。
だが、信者さんたちは桐山さんを霊格者、仏陀などと尊敬している。
- >>576 :神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 01:31:12.66 ID:TGFPlcLp
>この糞深山うるせーぞ!
こうやって桐山さんの嘘つきぶりを見れば、偽僧侶、偽阿闍梨も
桐山さんの人生から見て、例外でないのがわかる。
桐山さんの常なのです。
三つ子の魂百までもで、小学校時代、桐山さんの嘘つきぶりは、
仰天した先生が親に注意をするほどひどかったように、
桐山さんは九十すぎの今日まで、口からも身体からも嘘が出てくる。
虚言癖などという生やさしいものではなく、彼の存在そのものが
嘘でできているような人です。
なにせ、資格も学歴も、作ったアゴン宗も、彼が到達したという境涯も、
全部偽物なのだから、人生そのものが嘘でできている。
そこで再度信者さんたちに問いかけたい。
こういう人生が嘘でできているような桐山さんの霊能力を信じるのですか。
僧侶の資格すら嘘をつく桐山さんが霊視したという不成仏霊や霊障の
ホトケ、守護霊や守護神、仏様からの御霊示とやらを信じて、
高額のお金を出すなら、それは狂信と言われても仕方ないでしょう。
あの準シュダオンですらもうお金を出さないのに、信者さんたちは
まだ出すのだろうか。
- >>593の修正
正:あの準シュダオンさんですらもうお金を出さないのに、信者さんたちは
まだ出すのだろうか。
誤:あの準シュダオンですらもうお金を出さないのに、信者さんたちは
まだ出すのだろうか。
- 深山さまを粗末にしたらバチがあたりますよ。
- 人が個人的に出すお金が心配事になって腹立つ。
人の懐具合が気になる 下司ですね 下司ってゲスと読みます。
宗教が世間に必要なら存続する 不要なら当事者が捨て去る。
祈祷で食ってる社寺は厳しいものでありまする。
横でとやかく言っても助かる人が居るうちは存続する。
加持祈祷そんな馬鹿なことがあるか!という人生は幸せなんですよ。
このアゴン宗に二代目が出るか?どうかの境目ですがホント心配ですね。
- 阿含宗ホームページより http://www.agon.org/books/AGON_BK000105.php
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1.桐山靖雄メッセージ
2.瞑想の基礎トレーニング
3.基本の瞑想(花の瞑想法)
4.輪廻転生瞑想(如意宝珠敬愛法)
著者・桐山雄
2012年9月27日
定価2,940円
平河出版社
- 二代目は人間じゃないよ
二代目は京都のお山だよ
桐山さんは自分の財産を他人にゆずれる程
気前のいい男ではなかったんだね
自分がひとりでこしらえたと思っているから
他人にゆずる気などサラサラないのだろう
阿含宗の信者はほとんど知らないと思うよ
【阿含規約】ってのがあって
そこにこんなことが書いてあるそうだね
「阿含宗の後継者は親族に限る」ってね。
笑っちゃうね(笑)
- >加持祈祷そんな馬鹿なことがあるか!という人生は幸せなんですよ。
>このアゴン宗に二代目が出るか?どうかの境目ですがホント心配ですね。
二代目が出ようが出まいが、関係ないでしょ。なんであんたが心配すんのよw。
私は、二代目になど関心はないね、どうでも良い、潰れたって関係ないw。
馬鹿な信者は 、何処にいっても、家畜にされるだけさ、深山くんみたいにね。
オウム信者で、電気治療されて、馬鹿になった古参信者が、深山という仮名で、
テレビ番組に出ていた。あれは阿含宗でイカレタ、深山くんがモデルだよw。
深山くんのレスは異常だろw、あのレス量はまともじゃないw、あれを読んでる
人がいたら、それも異常だwね。
深山くんの信者時代は、異常だと思うよ、はたから見てたら狂人じみていたろう
ね。信者時代も、退会後も、異常じみてる人だろう、彼はw、哀れだね。
自分の愚かさに気づかず、ゴミレスを垂流してる深山くん。
オウム真理教・NHK特番に、仮名の深山さんが出てきた、あれはあんたがモデルだ。
宗教を狂信・盲信した、あんたの愚かさがモデルなのだよw。
- >>599
因縁がキレタ なんてエラソーに言ってる準さん
貴方こそ
「異常者」
なんだから、ここに来るなよ
準さんのレスこそ「異常」なんだから、他の人を
貴方がどう見ていようとも、誰も聞いてないw
異常な準さん、どうか家でひっそりと暮らしてください
- 桐山さんはまだ生きているのか?
和田さんはあり金さらげて、逃げるよな たぶん?
深田さんあたりは、おろおろするだろうな?
まだ、ニセ僧侶になろうとする若者がいるんだろうか?
かわいそうに!
- 局長ババアは逃げたりはしねーよ
根性座ってるからな♪
- >599
釈尊に対してあほらしいと言うあほうの準シュダオン、お前こそ
自分の愚かさに気づかず、ゴミレスを垂れ流している。ジミズは
出て来なくなったぞ、お前も出て来るな。
- 来るな、出るな、書くなと言っても馬の耳に念仏でしょう。
だって彼はここでしか相手にされないのだから。
こちらもいつもいつも相手にする暇と言うよりも価値がない。
- >>598
桐山さんよぉ
法の世界に世襲はないでしょ〜w
後継者は徳と法力で選んだら?
あんたに人材選びと育成は無理かなぁ(笑)
まぁ〜元気な時に内弟子愛人eちゃんと
貴重な時間を散々潰してきたんだから
後継者育成する時間なんてなかったんだろうね?
そういえば、あんた
信者の千座行代行とか言って
毎朝ちゃんと勤行してくれてたのかい?
毎晩夜更かしで昼まで寝てたんじゃないのかな(笑)
- >>371 :深山 ◆Y0jS4ug6fQ :2012/09/16(日)
>「これあるによりてこれあり これ生ずればこれ生ず
>これなきによりてこれなく これ滅すればこれ減す」
>(仏陀の真実の教えを説く[上]、131頁)
>
>これが桐山さんの体得した縁起の法だそうです。
>これがあるからこれがある??・・・信者さんたちはお分かりになったでしょうか。
>桐山さんは「実に簡単明瞭な教えです」と書いていて、
>何の説明もないが、私には意味不明です。
昔の観音慈恵会の頃の出版物の方がもっとまともだったと思う。
例えば、「密教誕生」の本は宗教小説ではあるが読んでも面白くかなりためになった。
今読み返してみてもそう思う。
この本で唯識思想の説明を詳しく行っているが、その中で「縁起の法」についても述べた所がある。
49ページですが、ここではきちんと次の様に明記している。
「これがあるがゆえにかれあり、かれあるがゆえにこれあり。これなくばかれなく、かれなくばこれなし」と
書いているのです。
だから知らん訳がないのです。アゴン宗になり金廻りが良くなった頃から本の内容もおかしくなった。
おかしくなったと言うより役に立たなくなったと言った方がいいのなな。
- >>607
訂正
誤) おかしくなったと言うより役に立たなくなったと言った方がいいのなな。
正) おかしくなったと言うより役に立たなくなったと言った方がいいのかな。
- >ホトケ、守護霊や守護神、仏様からの御霊示とやらを信じて、
>高額のお金を出すなら、それは狂信と言われても仕方ないでしょう。
>あの準シュダオンですらもうお金を出さないのに、信者さんたちは
>まだ出すのだろうか。
この部分↑だけが目に止まった。こりゃあ、おかしなレスだよ。
準シュダオン氏がお金を出すのを止めたなんてレスは、どこにもなかったと思うよ。
深山くん、嘘つきレスは、止めたまえ。
準シュダオン氏がお金を出さない、なんて、どこにも書いてないよ。
そういう嘘つきだから、あなた、阿含宗の修行も役に立たなかったのですな。
- >>609 :神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:35:45.11 ID:1HBjPUZF
>この部分↑だけが目に止まった。こりゃあ、おかしなレスだよ。
>準シュダオン氏がお金を出すのを止めたなんてレスは、どこにもなかったと思うよ。
「準シュダオン氏」?
準シュダオンさんはこんなふうに書けば、
自分の姿が見えないと思っているのですね。
そういうのを頭隠して尻隠さずというのです。
あなたが準シュダオンさんなのは明瞭で、「この部分↑だけが目に止まった」という
この一文だけで準シュダオンさんだとわかる。
その直後に「準シュダオン氏」など別人物であるかのように書くとは、
あなたは笑いのツボを心得ている。
自分が尻を出していることにすら気がつかないのですね。
人それぞれに文章には「臭い」があるのです。
あなたの場合、強烈な悪臭があり、それを十年以上も鼻先でかがされて来たから、すぐにわかる。
悪臭でわかるというよりも、あなたの文章を読むと
私は頭痛してくるから、「あ、準シュダオンさんだ」とわかるのです。
- >>609 :神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:35:45.11 ID:1HBjPUZF
>準シュダオン氏がお金を出すのを止めたなんてレスは、どこにもなかったと思うよ。
準シュダオンさんは前も他人であるかのような書き方をしました。
あなたはこれを職場でもしたことがありますね。
職場であなたが総スカンを食っている時、あなたは匿名の手紙を出して、
「準シュダオン氏は才能のある優秀な職員である。
才能がありすぎて、他の人には理解てきないのだ。
彼をみんなで無視するのは人の道に反する。
もっと彼の才能を尊敬して、大事にするべきである。
なお、私は準シュダオン氏ではない」
と書いて上司に投書した。
でも、簡単にあなたが犯人だとばれた。
文章が準シュダオンさんそのものであり、内容的にも本人しか
ありえないということだけではない。
あなたは皆さんの前で「匿名の投書があったように・・」と
言ってしまったからです。
職場の人は誰もまだあなたに投書の件は言っていないのだから、
別人が投書したのなら、あなたが知っているはずがない。
今回、「この部分↑だけが目に止まった」と書いて、
簡単にばれてしまったように、職場でも簡単にばれた。
しかも、今日まで、あなたは職場で簡単にばれていたことを
気がついていなかったでしょう?
皆さんを騙せたと思っていましたよね。
周囲が少し態度を変えたから効果があったと思った。
違いますよ。
あなたが手の付けられない人間だから、関わるのをやめたのです。
だって、逆恨みから嫌がらせでもされたら、たまらない。
あなたは、そんなことはしない、と言うだろうが、
いや、ちゃんとしています。
それが次です。
- >>609 :神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:35:45.11 ID:1HBjPUZF
>深山くん、嘘つきレスは、止めたまえ。
嘘を連発している準シュダオンさんから嘘つき呼ばれされてもねえ・・・。
自分がしている悪事を他人がしていると非難して攻撃するのを逆恨みというのです。
桐山さんもそれをしていた。
自らは経典を捏造しながら、大乗経典を偽経典と非難する厚かましさ。
「この部分↑だけが目に止まった」なんて真っ赤な嘘で、
あなたは私の昨日の文章を読んで、そこで何度も何度も
準シュダオンさんの名前を出され、からかわれたから、
怒り狂っているのです。
私の文章を読んでいないなら、>>599のような罵声は書かない。
阿含経の根拠を示してみろと言われても、あなたは無視するが、
自分のこととなると、こうやってムキになって書く。
アゴン宗などどうでもよく、準シュダオン教をここに出すことで、
自己顕示欲を満たしたいだけなのが、こういう反応を見てもわかるのです。
桐山さんと同じであなたも自己愛や自己顕示欲ばかり強いエゴイストですよね。
- >>609 :神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:35:45.11 ID:1HBjPUZF
>準シュダオン氏がお金を出さない、なんて、どこにも書いてないよ。
私がこの件については前にあなたに返事をしている。
もちろん、まったく覚えていないでしょう。
アゴン宗にお金を出しているのなら、具体的に示せばいいだけです。
偽僧侶を疑われたら、度牒を示せばいいのと同じです。
だから、前から私はあなたに、今年の護摩木は何本か、
法施は何をもらったのか、輪廻転生瞑想の伝法会に出たのか、
と質問しているのに、何も応えない。
一度、過去にもらった法施を出して誤魔化そうとしたが、私から、
それは過去の話だろう、今年はどうなのだ、とやり返されて、沈黙した。
解脱供養四体、冥徳解脱数体とあなたは書いた。
アゴン宗ではもちろんこんな数で済むはずがない。
どうしてこれ以降、あなたは一体も申し込まないのだ?
「出しても何の効果もなかったし、ここでの批判を読んで
桐山ゲイカに霊能力なんてないことは良く知っている。
お釈迦様にもできないことを桐山ゲイカにできるはずがない。
それでも十万円も出すならヴァカだww」
これがあなたの本音です。
桐山さんの真似をして二枚舌を使わず、本音を書いたらどうか。
本音を書くとは正直に書くことであり、嘘が減りますよ。
桐山さんのように二枚舌どころか、千枚舌になると、嘘と入我我入して、
一体化しているから、嘘を減らしたら、存在そのものが減ってしまう。
冗談ではなく、桐山さんから嘘を取った、本当に何も無くなる。
- >>609 :神も仏も名無しさん:2012/09/28(金) 10:35:45.11 ID:1HBjPUZF
>深山くん、嘘つきレスは、止めたまえ。
すでに何度もあなたには説明しているが、私は準シュダオンさん
など相手にしていない。
ユビキタスさんの「相手にする暇と言うよりも価値がない」(>>604)に
私も激しく同意です。
今回のこのレスも、アゴン宗の信者としての準シュダオンさんを
笑い者にしているだけです。
読者もそれを良く知っており、私が準シュダオンさんを
おもしろおかしくからかっているだけで、
透視したなんて誰も思っていないから、安心してください。
あなたがお金を出しているかどうかなんて、誰も関心がなく、
どうでもいいことなのです。
ドツキ漫才だと何度もあなたには説明している。
今日の書き込みも、昨日の>>585-594でも準シュダオンさんを
ドツキ漫才の相手にしたのです。
今回のあなたの「準シュダオン氏」は最高のネタです。
頭隠して尻隠さずで舞台に出て来てくれたのだから、
読者に思いっきり笑ってもらいたいとレスを付けました。
ドツキ漫才の相手にされたくなかったら、出て来なければいいだけです。
出てこない相手を無理矢理引きずり出して叩いたりしない。
礼儀正しい相手は、信者でも宇宙人でも、私もまた礼儀をもって接する。
あなたみたいに恥知らずで、厚かましく、無神経で、自惚れだけで
人生を生きてきたような老醜には、それにふさわしい役柄をしてもらうだけです。
- 阿含宗のホームページがバージョンパップしたとのことで、久しぶりにのぞいて見たら、阿含宗の
連絡先一覧にカナダのトロント連絡所が記載されていませんでした。トロント連絡所もおとり潰しに
なったのですね。海外支部で残っているのは、あと台湾とブラジルとロンドンだけです。
海外での法要を派手にやっていながら、海外の支部がどんどん消えてゆくのはどういうことでしょうか。
海外支部の会員や元会員の方で、何か情報がありましたら、お聞かせ下さい。
- 615
誤:バージョンパップ
正:バージョンアップ
- 570,道場閉鎖なんて聞いたことないよ。
話を造ってるナア。
- 近江神宮ホームページより http://oumijingu.org/publics/index/1/detail=1/c_id=5/page5=1/type014_5_limit=10/
10月7日阿含宗護摩のため境内車両規制のお知らせ
2012-09-21
10月7日(日)午前10時より12時30分まで、近江神宮楼門下広場におきまして、
阿含宗滋賀道場による「世界平和祈念・神仏両界柴燈大護摩供」が行われます。
つきましては当日ならびに前日午後に限り境内の車両規制が行われますので、ご了承くださいませ。
当日は楼門階段下は車両の通行ができませんので、結婚式ご参列の方ならびに社務所ご用務の方
(七五三・初宮詣衣裳レンタルの方を含む)の車両は1の鳥居に向かって右側から、
その他のご参拝・観光等の方は1の鳥居に向かって左側からお進みいただきますようお願い申し上げます。
柳川の橋のところの入口は正月同様出口専用とさせていただきます。楼門階段下のところは駐車できません。
また楼門下階段の歩行につきましても、両端の手すりの外側を通っていただくようになりますので、
よろしくお願い申し上げます。
ご不便をおかけしますが、係員の指示に従っていただき、なにとぞ安全に通行いただきますよう、お願い申し上げます。
- >>570
じゃ、ホームページからトロント連絡所が消えているのは何故?
都合の悪い話を「創作」と思うのは信者さんだけだよw
- 619、事情は宗の事務局に尋ねて御覧なさいよ。
それで誰かが苦情を言い立てるほどの事かね。
- >>620
閉鎖されてないのであれば、今まで公開されていたトロント連絡所を掲載しないはずがない。
要するにもう機能しておらず、そんな面白くもない話を宗務局は発表しないだけとわかります。
誰も苦情なんか言いません。ああ、ここもまた閉鎖とは衰退をよく表しているねえと評価しただけです。
- >>618
近江神宮はたしか1995年6月に桐山さんが柴燈護摩焚いてますね。
昔やったネタを繰り返すしか芸がない。
しかし連休だというのにそんなつまらん所にかり出されて信者も気の毒だ。
結婚式の一般客は近寄らないように。煤がかかり、衣装が台無しだ。
しかし連休に結婚式招待されるのも迷惑だがw
- アゴン宗様と近江神宮様には強い信頼関係が結ばれていると小生は推察する
次第でございます。
神域に神仏の降臨を請い地域一帯の栄えと安寧を祈る絶好の機会で在ります。
古よりご生縁有られる氏子様のみならずこの行事を知られた方々は是非にも
修験道の儀式による護摩法要に参拝されまして
わが身、我が家と縁者に幸多かれとお祈りください 合掌。
- >>622
お前のレスも迷惑だよ
- 桐山さんの略歴
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
阿含宗管長、中国・国立北京大学名誉教授、
中国・国立北京外国語大学名誉教授、
中国・国立中山大学名誉教授、
中国・国立佛学院(仏教大学)名誉教授、
モンゴル国立大学学術名誉教授・名誉哲学博士、
モンゴル科学アカデミー名誉哲学博士、
チベット仏教ニンマ派仏教大学名誉学長・客員教授、
タイ王国・国立タマサート大学ジャーナリズム・
マスコミュニケーション学名誉博士、
サンフランシスコ大学終身名誉理事、
ロンドン大学SOAS名誉フェロー、
スリランカ仏教シャム派名誉大僧正、
チベット仏教界・ミャンマー仏教界から最高の僧位・
法号を授与、ブータン仏教界から法脈相承・
秘法皆伝法号「ンガワン・ゲルツェン
(王者の説法をする仏法守護者)」授与、
中国国際気功研究中心会長(北京)、
ダッチ・トゥリートクラブ名誉会員(ニューヨーク)、
日本棋院名誉九段、中国棋院名誉副主席
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
これを見てどう思いますか?
素晴らしい!と思った人は・・・いませんよねぇ〜
よくもまぁ〜こんなに集めたもんだ〜
桐山さんのコンプレックスがよ〜くわかりますね〜
こんなにたくさんの略歴を掲載することじたいがムダである。
自信の無い証拠(^^)
自分に自信のある人はこんなにたくさん載せない。
載せる必要がない
世俗の肩書きや権威に縛られてますねぇ
本当に仏教徒なんですかぁ〜?学歴経歴コンプレックス?
- >>625
激しく同意w
性格の悪さがもろ出てるw
局長ババアもおだて過ぎだろw
- ホームページから消えているのは、トロント連絡所だけでなくハワイ支部もでした。
以前は、両方ともちゃんとあったのに、今はありません。
二つも消えているというのは、やはり閉鎖になったからなのではないですか。
いずれにしても、宗務局に問い合わせればわかることだと思いますが。
- >>623 :神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 04:01:47.07 ID:/7ONP4KB
>アゴン宗様と近江神宮様には強い信頼関係が結ばれていると小生は推察する
いかにも二枚舌アゴン宗の信者らしい発言ですね。
宝生さんもこういうきれい事を並べるような性格なのだ。
恥知らずとは便利な性格です。
近江神宮と表だっては信頼関係などを強調しながら、
「神道には成仏ホーがない。だから、神社は霊的に汚れている。
アゴン宗が護摩を焚くことで清めてあげるのだ」
と内心、神道を小馬鹿にしている。
自分の二枚舌ぶりに何の矛盾も葛藤も感じない宝生さんみたいな
信者を見ると、驚かされた。
今だけでなく、私は信者時代に驚いた。
- >>623 :神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 04:01:47.07 ID:/7ONP4KB
>アゴン宗様と近江神宮様には強い信頼関係が結ばれていると小生は推察する
他の信者さんたちは何かためらいはないのですか。
信者さんたちも「神道には成仏ホーがない」という主張を聞いているはずです。
「神道は成仏ホーがないのだから、霊的に清められておらず、
神社は霊的に汚れている。
それをアゴン宗が成仏ホーで霊障のホトケを供養して霊的に
掃除してあげるのだ」という考えです。
信仰は自由だから、妄想と自惚れを信じるのはかまわない。
問題は「本音を神社に隠している」ことです。
隠していないと言うなら、では、そのように神社側に話をしたのか。
していませんよね。
近江神宮にも隠しているのです。
本音を隠しているということは、嘘を付いているのと同じです。
本音を隠し、「地域一帯の栄えと安寧を祈る」などときれい事を並べている。
信者さんたちはこんなきれい事を並べて、本音を隠していることに
何かうしろめたさは感じませんか。
私は感じた。
- >>623 :神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 04:01:47.07 ID:/7ONP4KB
>アゴン宗様と近江神宮様には強い信頼関係が結ばれていると小生は推察する
世界で焚いている護摩もそうですよね。
そこが霊的に不浄であり、アゴン宗様が清めてやるのだ、という慢心に
満ちた本音を隠し、口先は「地域一帯の栄えと安寧を祈る」などと言う。
桐山さんも為政者たちの前ではこびへつらう。
イスラエル護摩を焚くために、嘆きの壁に頭をすりつけ、
イスラエルを支持するとまで表明した。
死者たちが霊障のホトケだという侮蔑を隠し、
おまえたちには成仏させる力がないという自惚れを隠し、
それでいて、護摩を焚くためなら土下座まがいのことまでする。
桐山さんが宗教大臣の前で嘆きの壁に頭をすりつけてみせ、イスラエルを
支持すると表明したのは、まさに土下座です。
土下座しながら、内心相手を小馬鹿にしている。
信者さんたちのトップが、目的のためなら手段を選ばず、
悪徳商人顔負けの裏表の使い分けしていることに、情けないとは思わないか。
私は信者時代、桐山さんが勲章をくれる権力者たちの前に出ると、
法話での威張った態度とは正反対に、ヘコヘコしているのを見て、
その内弁慶ぶりに、とても情けないと思った。
- >>623 :神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 04:01:47.07 ID:/7ONP4KB
>アゴン宗様と近江神宮様には強い信頼関係が結ばれていると小生は推察する
アゴン宗のしている土地浄霊は二枚舌であり、相手に本音を
隠しているという意味で嘘をついている。
二枚舌や嘘の上の宗教行事に本当の意味で価値があるだろうか。
信者さんたちは「自分は二枚舌など使っていないし、
単に地域の繁栄と死者成仏を祈るだけだ」と言うでしょう。
だが、あなた方は二枚舌と嘘の上に成り立っていることをここで指摘された。
それでも護摩木を書いて二枚舌イベントに参加するなら、
あなたもそれを手伝ったことになります。
オウムがサリンを作っていることを知らずに寄付していたのなら罪は軽いでしょう。
だが、カルト教団だと警告されてもまだ寄付していたら、罪は重い。
それと同じです。
- >>623 :神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 04:01:47.07 ID:/7ONP4KB
>アゴン宗様と近江神宮様には強い信頼関係が結ばれていると小生は推察する
二枚舌を使っているという指摘に、信者さんたちは誰も反論できない。
オシャカの成仏ホーなど阿含経には存在しない、死者成仏を
釈尊は否定している、釈尊は護摩は禁止したと指摘されても、
信者さんたちは何も言えない。
にもかかわらず、現実を無視して「法律違反でもないし、みんなが
しているのだから」と護摩木で参加するなら、罪は重い。
もちろん、誰も信者さんたちを罰したりはしない。
自ら為した悪業の報いを自らが負うだけです。
アゴン宗では金と人を差し出すと悪業の報いを帳消しにして
くれるという便利な「仏界金融業」があるそうだが、
釈尊は、報いは自らが受けると、アゴン宗の取引信仰を
否定していることは覚えておいてください。
- 著作【龍神が飛ぶ】に神道と仏法の相違と何故に日本国で仏法が
「古の朝廷で在るべし」と受け入れられたかとその説明が記述されている。
さて、護摩法は釈尊在世のころより存在した。
キリスト教の旧約聖書で「カインとアベル兄弟の諍いの種になったのも
火祀であった」万年単位の古い古い供儀様式である。
人間の信仰には、神に供え物を捧げ利益を期待する形式が各民族にある。
その場に参集する人達の祈願を神に取り次ぐのが導師の勤めだ。
このアゴン宗は祈祷寺院である、神への取次ぎが出来ると信ずればこそ人々の
資材が集まる 桐山氏90歳 彼の二代目が出るかどうかの正念場である。
彼が自らの悪因縁を一切断ち切ったということが真実ならば二代目は出る。
- >>634
何かっこつけた言い回ししてるんだろう。
お馬鹿な信者だこと。自分をでかく見せようってか?
- >634彼が自らの悪因縁を一切断ち切ったということが真実ならば
お前頭悪いやろ。桐山は脳障害の因縁、色情の因縁、刑獄の因縁等
何も切れていない。いい加減に真実を見ろ。
- >>634
> さて、護摩法は釈尊在世のころより存在した。
はい。たしかに存在しました。
で、それを否定したのです。
存在してなかったら釈尊の時代にはなかった護摩を否定したかどうかわからないと言えたのに、
存在した護摩を完全に否定しちゃったんだから仕方ない。いや、ご愁傷様です。
※ログ速よりの引用のため、記事はここまで。